- 朝の起き抜けに昨夜の読み残しの『戸田城聖』の伝記を読み終える。創価学会をつくった牧口、戸田、池田という3代の師弟による物語。
- ブログを書く。生活スタイルが安定するまで、日常を詳しく書くことにする。
- ブログ、noteの「名言との対話」は、昨日2日は戸田城聖。「大革命をやるのだ。武力や権力でやるの革命ではない。人間革命という無血革命をやるのだ。これが本当の革命なのだ」。、未了だった1日は五味康祐を選び書く。流行作家として敬遠していた人だが、守備範囲の広い人物だった。「私が死ぬとき、もし、天候に異変があったら、わたしはベートーヴェンのもとに往くのだ、そう思ってくれと家内に言ってある」。何ごとかをなした人物と取り組む朝の時間は私にとって至福の時間だ。続けよう。
- 朝食。朝は最近では東京MXテレビの「モーニングクロス」を見るようにしている。堀淳キャスターの感覚が若いのとコメンテーターの幅が広いこと、そして年代別・男女別にニュースの反応がわかるので参考になる。そしてBSを見るようになってきた。
- 梅棹忠夫著作集11巻の「情報産業社会における芸能」「唯物論政府」「ミナト神戸の運命」を読了。情報産業の時代という視点からの論稿は意外性に富んでいて、納得させられるところだらけだ。この切り口ですべてを切ることができる。
- 大学へ行くか迷ったが、明日からの仙台での講演3件の資料をパソコンに入れることが自宅でできたので、行く必要がなくなった。今晩、もう少し内容を考えよう。
- 仙台の富田さんから電話。明日の午後のゴルフ(ハーフ)の件。仙台到着時間の確認あり。
- 昼食は家内と近所の柚木庵。
- 帰りは公園を散歩しながら、いくつもの種類の桜を楽しんだ。
- ハッシュタグとブログのカテゴリーのやり方を勉強。
- 八木さんに電話。「新・深・真 知的生産の技術」効果で3月会費支払いが増加。久米さんのデータを八木さん、根岸さんに送るよう頼まれた。八木さんのライフワークも出版の目途がついたようでうれしい。
- 近所の病院で先週の血液検査の結果を聞く。今夜来る看護師の娘に見てもらおう。
- 橘川さんから電話。デジタルビジネス・イノベーションセンターの西野弘さんと会って、私のことも話題になったということで連絡あり。新潟、寺子屋、、、。
- 4月1日からのブログのテーマをどうするか。今までは「副学長日誌」的な内容が主だったが、テーマを変える必要がある。「新・毎日が日曜日」か、「非常勤という働き方・行き方」か、「エッセイ」中心か、「読書録」か、「人・旅・本」か、「知的生活と知的生産」か、、、、、、、。もう少し考えてみよう。
- 最近読んだ出口治郎『知的生産術』と堀正岳『知的生活の設計』の役に立った部分をチェック。今夜、重要部分をアップしよう。どちらもいい本だが、若い著者のIT関係の情報はありがたい。
- 夕刻、豊洲に住む娘と葵唯ちゃんと歩夢くんが来る。和やかな夕食会。
- 夕食後、2つの本のポイントをピックアップする。
- 明日からの仙台行きの準備。仙台の横野さんから講演の打ち合わせ。
- 人間学を学ぶ月刊誌『致知』5月号が届いたので、風呂で読む。国際エコノミスト長谷川慶太郎のインタビューが載っている。昭和2年生まれで92歳。200冊を超える著書がある。私が30代前半の頃に、ご自宅でインタビューしたことがある。当時はベストセラーを連発していた。まだ現役なのだと知って驚いた。この雑誌で長谷川は「歩くこと」を強調。人に会うことと現場をみること。現場を押さえるから絶対の自信がある、それが仕事の基本。長谷川慶太郎は1985年の「情報化社会の本当の読み方」で、冷戦の終焉と東側の完敗を予言した。ゴルバチョフが注目しソ連を訪問している。1991年にはソ連は崩壊。まさに生涯現役のモデルだ。
- さて、一杯飲んで寝ることにしよう。ただいま22時過ぎ。---------------
出口治郎『知的生産術』。
「 還暦ベンチャー、古稀学長」の人。世界80数か国、1200都市を自分の足で歩いた人。立命館アジア太平洋大学(APU)学長。
- 知的生産とは、自分の頭で考えて、成長すること。
- 人・旅・本
- 数字、ファクト、ロジック
- 影響力=仕事量Xスピード
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堀正岳『知的生活の設計』。
- 知的生活とは、新しい情報との出会いと刺激が単なる消費にとどまらず、新しい知的生産につながっている場合。
- 知的積み上げ。引用文コレクション。
- Sportifyのマイリストで関連音楽を開拓。
- #project365。毎日アップ。写真など。
- テレビをやめようPC
- 3000冊。電子書籍と併用で1万冊の蔵書ライブラリー。
- 寺田倉庫のminikura。写真で閲覧可能。
- 「ひらくPCバッグnano」。仕事道具をひとまとまりに。
- 知的生活の大伽藍。ブログの検索性を高める。カテゴリ分けとタグづけは入念に。
- ライフハックLIveshowという番組で発信。
- メイソン・カリー「Daily Rituals」(天才たちの日課)。
- 「文賢」。日本語執筆のサポートツール。
- ホームオートメーション。TpP-Link WiFi スマートプラグを使う。
- モバイルバッテリーOmnicharge.電源自体。
- マッハ新書。
- ブログLIfehacking.jp
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「名言との対話」4月3日。ヨハネス・ブラームス「私は本当に幸福です。
つまり私は音楽のことだけを考えているのです。私は音楽に恋しているのです」
ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms、1833年5月7日 - 1897年4月3日)は、19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。
ドイツロマン派を代表する作曲家。ドイツ古典派音楽の伝統を尊重し、ワグナー・リストらの新ドイツ派に対立して絶対音楽的な立場に立った。主要作品は四曲の交響曲、バイオリン協奏曲・ピアノ協奏曲のほか、「大学祝典序曲」「ドイツ━レクイエム」「ハンガリー舞曲」など。J.S.バッハ、ベートーヴェンと共に、ドイツ音楽における三大Bとも称される.。
著名な外国人が生きた時代は、日本史の中の人物では誰と同じ時代かと考えると、その人のことを想像できる。ブラームスより2歳年下の福沢諭吉は、ブラームスの死の4年後の1901年に亡くなっているから、福沢と同じ時代を生きたことになる。
作曲家の芥川やすしが、肺癌のため逝去したときの最後の言葉は「ブラームスの一番を聴かせてくれないか、、、あの曲の最後の音はどうなったかなあ」だったというエピソードもブラームスの影響を垣間見ることができる。
ブラームスは創作意欲の衰えにより一度は作曲活動を中断する。1891年に知り会った名クラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルトの演奏により再び創作意欲を取り戻した。ブラームスが優雅で艶やかな音色の「クラリネット五重奏曲」を作曲したのは58歳だ。著名な人が同じ年齢で何をしたかと調べてみた。セルバンテスが「ドン・キホーテ」を発表したルソーが「告白」を執筆した。 永井荷風が「墨東綺譚」を発表した。高村光太郎が「智恵子抄」を発表した。山本周五郎が「青べか物語」を発表した。盛田昭夫が「ウオークマン」を発売した。私は宮城大から多摩大へ転職した年齢だ。
この出会いは晩年に創作意欲を失いかけたブラームスを目覚めさせた。ブラームスはその後何年にもわたって立て続けにクラリネット作品をつくっている。大橋巨泉がタケシという才能の登場に刺激されて再度チャレンジしたことを思い出した。尊敬する才能を見出してくれたシューマンへの尊敬心や同時代のライバルであったワーグナーへの対抗心ではなく、中年の危機を救ったのは名演奏家との出会いであり、自分がやるべき音楽をどこまでもやり続けるべきだとの使命感の再発見だった。音楽に恋したブラームスは、終生独身だった。