朝、多摩キャンパスで学部の授業。夜は、品川キャンパスで大学院の授業。

朝は、学部の「ビジネスコミュニケーション」の授業。

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授業の前に、橘川先生と懇談。大日本、3人、新規、、、。

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 夜は、大学院の「インサイトコミュニケーション」の授業。

始まる前に、二宮さん、武井さんから院生から修士論文の副査の依頼を受ける。

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大手企業のビジネスマン、大学の事務職員、フィナンシャルプランナー。以下、受講生のFBへの書き込み。

  •  今日の授業で如何に文章で表現していることを体系的に理解できてい無いかが、理解できました。現業について自分自身でこれ程整理出来ないということは、何が目的で仕事を進めているか、何をするべきなのかが整理されていないことを意味していると感じています。また、人生においても何をしたいのか、何をするべきなのかなど、「個人」としての目的を設定するのに役に立つと考えます。これからインサイトコミュニケーションの授業をとおして、普通に図に落とし込むことが出来るぐらいまで深く物事を考える習慣を身に着けたいと考えます。また、卒業論文作成にも活用していきます。春期宜しくお願いします。
  • 難しい文章を読むことも書くことも苦手で、自分の考えをしっかりと持ちたい、伝えられるようになりたいと受講を決めました。本日のワークで、自分の仕事を図で書き説明しましたが、毎日の業務であってもペンが進まない、どう図にしたらいいのか分からないという状況でした。そして目的や、伝えたいことがはっきりしていないことや、前提条件も提示しなければ周りに伝わらないことがよく分かりました。図を見ながら話すことや、周りに意見を聞くことで足りないところに気付くことができ、そして他メンバーの図解を見ることでより視点が増えるので、ぜひ自分の仕事の図解を完成させ、仕事に活かせるよう学びたいです。まだつたない文章ですが、この毎回の感想も最後にはしっかりと想いを伝えられる文章になるようこれから沢山頭を使いたいと思います。

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 「名言との対話」4月19日。飯田善國「彫刻は主体と宇宙とを繋ぐものだ」

飯田 善国(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 2006年4月19日)は、日本彫刻家現代美術家、詩人

少年時代に従兄から油絵具をもらい、絵画に熱中する。慶應義塾に進み、学徒出陣。帰還後は東京芸大に入学し、憧れの梅原龍三郎に学ぶ。画家を目指して渡欧した飯田は、イタリアの彫刻家・ファッチーニに学ぶ。1958年、ヴェネツィアビエンナーレでヴォルスの大回顧展を見て、「画家として自分がやろうとしていたことがすでに解決済みだった」という衝撃的な体験を受け、絵画を断念する。その後ミュンヘンでヘンリー・ムーアの大回顧展をみて衝撃を受ける。「ムアの世界は、一度絶望を知った人間の眼で見直された人生の風景とも呼ぶべきもので、絶望を内に匿し持っている人間が内部の絶望と折り合いをつけながら自覚的に生きる技術を身につけようとする固い意志によって造形されている」。そして飯田は彫刻の世界へ入っていく。

帰国後は木やブロンズ、ステンレス、さらに彩色を施したロープなどを組み合わせ抽象造形を展開している。1970年代半ばには東京都町田市に住居とアトリエを設けた。町田市芹ヶ谷公園の子どもたちの水浴び場になっている《彫刻噴水・シーソー(虹と水の広場)》は飯田の作品である。1983年から1989年には法政大学工学部建築画家の教授をつとめた。

飯田は野外彫刻公共彫刻展で数多く入賞を果たした。結果としてパブリック・アートと呼ばれる公共彫刻は40点以上にのぼっている。飯田は美術評論でもある。そして『ナンシーの鎧』、『見知らぬ町で』、『ネミ湖にて』など詩集を3冊出している詩人でもあった。また、詩画集『クロマトポイエマ』は、西脇順三郎の英文詩にスクリーンプリントを添えた作品、版画集『M.M.曲面シンドロームは、マリリン・モンローをテーマとした作品などもある。飯田の常設美術館「TRIAD IID・KAN」はハーモニック・ドライブ・システムズ安曇野工場敷地内にある。

飯田は境界をまたぐクロスオーバー・アーティストとなったのだが、岩波新書『彫刻家 創造への出発』は画家から彫刻家への転向の過程での苦悩や鬱屈、苦闘を記したている。飯田善國にとって、彫刻は宇宙とつながる道だったのである。

 

彫刻家―創造への出発 (岩波新書)

彫刻家―創造への出発 (岩波新書)