世田谷美術館「ある編集者のユートピア。小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校」展。

世田谷美術館で始まった「ある編集者のユートピア小野二郎ウィリアム・モリス晶文社、高山建築学校」展。

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小野二郎(1929-1982)。弘文堂で編集活動を開始し「現代芸術論叢書」を立ち上げる。晶文堂を立ち上げて、60年代から80年代にかけて出版文化に影響を与えた。ウイリアム・モリスのユートピア思想に基づいていた。「私はモリス研究家ではなく、モリス主義者である」と小野は宣言している。52歳で早逝したのが惜しまれる。「70歳まで生きたい。70歳まで生きないとおれの仕事は格好つかない」。「今日のわれわれの問題ひとつひとつをモリスだったらどう考えるかを考えるのが、自然な私の習慣になっている」。「そごう美術館」で始まった「ウィリアム・モリスと英国の壁紙展」も観るつもり。

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日経新聞に広告。『万葉歌の世界』。

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 平成30年の総括が盛んだ。本日の日経には「時価総額の増加ランキング」の記事が載っている。増えたのは、トヨタが1位、以下キーエンス日本電産ソニー任天堂武田薬品信越化学、ダイキン工業、ホンダ、村田製作所。減らしたのは、NTT、東京電力、野村、日本製鉄、新生銀行関西電力東京ガスパナソニック中部電力大和証券。記事では長く規制で守られてきた産業、つまり国際競争についていけない企業が淘汰された時代だとのコメントを載せている。平成の主役は国際競争に勝ち残ったトヨタに代表される製造業で、産業構造の革新は遅れた、と総括している。

そうだろうか? 国内に限った視点だろう。世界で見ればこの30年で情報インフラを提供する企業GAFAなどの躍進が著しく、製造業に軸足を置く企業の影が薄くなったのだ。また国内でもソフトバンク楽天などが急速に伸びていて、モノづくり系は伸びずに、ランキングは大きく変わっている。「産業構造の革新」という意味は、情報産業の躍進という時代の変化がポイントなのだ。

企業の決算の記事が目立つ。ソニー営業最高益。信越化学2期連続最高益。日立3期連続最高益。三菱電機純利益6%増。デンソー純利益20%増。EPSON純利益28%増。伊藤忠純利益25%増。三井物純利益1%減。キリン純利益62%減。スズキ17%減益。海運大手2社大幅赤字。ANA/JAL減益、村田製純利益18%減。東エレク34%減益。電力10社中7社減益。、、、。栄枯盛衰。

現在のアメリカは、資産上位0.1%が下位90%と同等の富を所有。

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「名言との対話」4月27日。佐田の山「お前たちはお客さんに『相撲を見せてやっている』と思っていないか。『見ていただいている』という気持ちで土俵に上がりなさい」

佐田の山 晋松(さだのやま しんまつ、1938年2月18日 - 2017年4月27日)は、長崎・五島列島出身の大相撲力士。第50代横綱

1956年初場所初土俵.1961年初場所に新入幕を果たした。入幕3場所目の夏場所、前頭13枚目で12勝3敗を挙げて初優勝。1963年、出羽海親方の長女と結婚。1965年初場所に3度目の優勝を果たし横綱に昇進。大鵬柏戸の両横綱と全盛期が重なったのは不運だったかもしれない。

大鵬佐田の山戦は常に大相撲となった。佐田の山が突っ張りで激しく攻める。大鵬は下からあてがいながら応戦し、あと一歩のところで組み止められることが多かったが、敢闘精神あふれる相撲をとった。大鵬に善戦する姿は目に焼きついている。ユーチューブで久しぶりに大鵬戦を何番か見てみたが、闘志あふれる姿は爽やかだ。

「この柱、現在はコンクリート製ですが、私が若い頃は木製でした。部屋での稽古が終わった後、この電信柱に向かって何度も何度もテッポウを繰り返しました。この電信柱が私の基礎を作ったと思っています」「力士たるもの、はがき一枚出すにも着物で行け」

1967年11月場所では12勝3敗で5度目の優勝、1968年1月場所では13勝2敗で連覇を果たしたのだが、3月場所で序盤に3敗を喫するとあっさり現役を引退した。出羽海部屋の名横綱に見られた「引き際の潔さ」という伝統を受け継いだと言われている。

「引退して少しは楽になるかと思ったらとんでもない。ますます大変になった。こんなことならもう少し現役を続けていれば良かった」と後悔する口ぶりだったが、出羽ノ海部屋を立派にマネジメントした。師匠としては、三重ノ海横綱へ育てたほか、子飼いの弟子からも関脇・出羽の花、小結・大錦、佐田の海舞の海などの幕内上位力士を多数育成した。

二子山理事長が停年を迎えた1992年からは日本相撲協会理事長を3期・6年にわたり務めた。現役時代に苦杯をなめた大横綱大鵬が理事長にはなれなかったのとは対照的だ。引退後はライバルを圧倒したのである。「見ていただいている」は、力士としての発言ではなく、歴史と伝統ある大相撲を率いる日本相撲協会理事長としての名言である。