日本民芸館「藍染の絞り 片野元彦の仕事」展

日本民芸館「藍染の絞り 片野元彦の仕事」展。

「私は齢すでに老いて猶道は遠い。然し仕事はこれからである。精進に精進を重ねていかなければならぬ」

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片野元彦(1899-1975)。片野かほり(1932-2016)。

21歳、岸田劉生に師事。

57歳、柳宗悦が絞の現況を視察。同行した片野に「藍染めを再興するように」と示唆する。「物を作る心は河井寛次郎から学べ、染色の道は芹沢けい介から導かれよ」と助言を受ける。河井は「柳が絞りをやれと言うならば、どこまでもそれに答えねばならん。絞をやるなら過去の絞を忘れることだ。そして今までの絞をことごとく火で焼き捨てて終え、そしてその畑に自分の絞の種を播いて懸命に育てるのだ。自分もその耕作を手伝う。(中略)絞は考えるものではなく身体から吐き出す仕事である。その吐き出した仕事の中に自分を見つめよ」と言う。「自分の絞を人任せにして染めるのか、甕が無いなら自分で甕を持て」「師は自分の幾山河を越えてこそ、他力の救いと浄土が待っている」。

わが仕事も先生(芹沢けい介先生)の偉大な山を仰ぎ見て、果てしなく拡がるその裾野に生うる一本の雑草になりとなりたいと念じて今日に至った。

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柳宗悦「絞を悲願とせられるよう祈る」

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・私はこの絞染の一介の職人として、此の手仕事に生命をさ捧げることを無上の悦びとしている。

・齢すでに古希を過ぎて、猶絞に寄する心止みがたく、生命ある限り此の仕事を深めたいと只管に念じている。

藍染絞の美しさは、括られた布に沁み透る天意であり、これこそ他力門の美と信じている。

・私はすべてを忘れ自分さえも忘れさせてくれる此の仕事に生きる喜びを感じている。

「天意」。片野の絞人生は57歳からわずか19年だったが、「片野元彦絞」は確立された。

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日本近代文学館で「太宰治」展をみようと思ったが、休みだった。

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駒場公園にある旧前田侯爵邸の和館。

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昼食を食べた蕎麦屋のアルバイト募集の張り紙。

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電車の中の大学の広告。

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・スポーツクラブで1時間半。ストレッチ、ウオーキング30分、筋トレ、ストレッチ、バス。

・NHK「韋駄天」:べリリンオリンピック中止

・「名言の暦」の校正。6月まで終了。

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「名言との対話」4月28日。ルー・テーズ「バックドロップはへそで投げなさい:

 ルー・テーズLou Thesz、本名:Aloysius Martin Thesz1916年4月24日 - 2002年4月28日)は、アメリカ合衆国プロレスラーミシガン州バナット出身のハンガリーアメリカ人。

16歳でデビュー。21歳、NWAチャンピオン。1948年から1955年まで936連勝(引き分けを含む)という大記録を打ち立てる。通算6度のNWAチャンピオンとなる。

ルー・テーズが発明したバック・ドロップは、ヨーロッパの柔道から触発された技であり、日本では岩石落としと呼ばれた大技だ。子ども頃にテレビで観ていた私たちは「脳天逆落とし」と言っていた。

力道山と死闘は今でも目に焼き付いている。2度のNWA世界ヘビー級選手権試合を戦い、日本でもファンが多かった。相手の得意なものを引き出すことも考えながら闘うのが信条だったから、3本のうち相手に一本を取らせるという器の大きなレスラーだった。日本人レスラーでは、力道山以外には馬場、猪木、木村、大木、蝶野などと闘っている。引き分けに終わった日本での力道山との試合は1957年だった。そして1990年には27歳の蝶野正洋に対し、ルー・テーズは74歳だったのは驚きである。

ルー・テーズは心技体を磨いた。そしてプロレスを技術によって芸術に昇華させようとしていた。若いころからの鍛錬という貯金を肉体の中に貯め、徹底した自己管理で70代になるまで現役を通した「鉄人」である。

チャンピオンベルトにはどのような価値があるか。ルー・テーズはチャンピオンがどんな内容の試合でしてベルトを守ったかによって、価値が決まると語っていた。

そして最晩年にレスリングとは何かと問われて以下にように答えている。「私はレスリングだけを続けてきた。エンジョイし、毎日何かを学ぶ。その繰り返しだった」。

このようなキャリアを眺め、レスリングに関する発言を聴くと、ルー・テーズは、史上最高のプロレスラーであると言われることに納得する。