『捧賢一 歌集』ーー歌は日記、歌は自分史。

『捧賢一 歌集』を読了。

 毎年詠んだ短歌を年代順に並べた立派な歌集。実業人らしいのは毎年の歌の冒頭に、コメリという会社の売上高と店数を記してあることだ。それは昭和63年(1988年)の「売上高181億円・店数57店舗)から、平成18年(2006年)の「売上高2474憶円・店数763店舗)まで続く。事業の発展と並走して歌を詠んできたという構成だ。

金子兜太と黒田杏子が巻頭をかざっている。金子兜太は「こういう人間を本物というのだろう」「しろうと恐るべし」、黒田は「捧さんは微笑佛です」と語り、それが歌集のタイトルとなっている。捧本人は「私の歌はどれも日記のような、素人の平凡な日記です」という。歌を自分のための日記であると考えればいいといいうことがわかった。

微笑佛 商いのうた―捧賢一歌集

微笑佛 商いのうた―捧賢一歌集

 

1988年「慎ましく広き背なりし学びおる人はダイエー中内社長」「日本にチェーンストアつくらんと渥美先生火のごとく燃ゆ」

1990年「旅立ちの息子は友に囲まれて母はひとりで泪ぐみおり:

1992年「ロスの旅古きホテルの片隅に飢えたるごとく『日経』を読む」

1993年「還暦を迎えし朝わが妻はあじさい床に生けてくれたり」「母の声に呼ばれしもんか夢覚めて宿の障子は白みゆきたり」「

1995年「ひとすじにビッグビジネス取り組めり松田先生と上場プラン」

 1996年「亡き父に大連米利を報告す鐘楼堂の桜うつくし」

1997年「わが友を降格させし夜はさびし松原禅師の心経を読む」「亡き父は米寿の祝いなすころか東証一部上場お褒めくだされ」

1998年「アカシアの並木を抜けて朝日さす大連コメリの開店の旗」「「己が舞」舞いてみれやと小椋佳われも生き抜く不況のりこえ」

2000年「1000億企業達成なせし夜は一人静かに感傷もよし」「情報化コメリドットコム開設す人の心をいかに伝えん」「

2001年「桜咲く皇居の前のホテルにて資本提携調印なせり」

2003年「新株の発行なしてこの乱世生き抜くための地盤つくらん」「大引けの波乱の株価決まりたり一人ホテルに決断えおなす」「大阪の百億企業を譲り受く住吉大社に日輪おろがむ」「激震の惨状のなか己が身をかえりみず朋友客を守りぬ」「おめでとう古希を祝いてくれし妻古き家にて年かさねたり」「七十歳のわが誕生日うららかに鳥さえずりてあかるき日なり」

2004年「商いて五十余年を過ぎきしにまたくり返し原点に立つ」

2005年「流通の革命叫びし中内さん逝きて戦後は六十年となる」

ダイエー創業者の中内功をうたった歌が、最初の「中内社長」から、最後の「中内さん」まで2首ある。呼び方からこの人の生涯がみえてくる感がある。歌は日記であり、歌は自分史である。

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夕方に、ジムでひと汗。

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「名言との対話」5月11日。三木たかしさゆり、君の歌はウソをついてるよ。
理路整然とした うまい歌は感動しないんだよ」

三木 たかし(みき たかし、1945年1月12日 - 2009年5月11日) は、日本作曲家

最初は船村徹に弟子入りするが、「君は作曲家の方が向いているよ」と言われる。1967年、なかにし礼の薦めで「恋はハートで」で作曲家としてデビュー。翌年、実の妹である黛ジュンに「夕月」を提供して大ヒットとなる。これ以後売れっ子作曲家として活躍する。代表作には石川さゆり津軽海峡冬景色」、わらべ「もしも明日が、、」、テレサ・テン時の流れに身をまかせ」などがある。

自分は偉大なる素人で、好奇心を持って何か空から自分の体に降ってくるものを僕は書きたいと語っていた三木たかしシングル総売上枚数は2000万枚、オリコンランキングにランクインした作品数は188作。2005年に紫綬褒章受章。日本作曲家協会理事長を務めた。

 作詞家の阿久悠なかにし礼と組んで多くのヒット曲を飛ばしている。作詞は阿久悠で作曲が三木たかし、という豪華コンビで作ってもらったのが、多摩大学を擁する田村学園の学園歌「この輝ける日々よ」だ。毎年大学や大学院の入学式や卒業式、中高校の卒業式などに参列するときに歌うが、その度に「いい歌だなあ」と感心する。

心に翼を見つけた日から 明日はまぶしい光にあふれ 翔び立つ夢を語るのも 彼方の世界を想うのも 今 あればこそ 今 生きてこそ この輝ける日々よ いつまでも 今 あればこそ 今 生きてこそ この輝ける日々よ いつまでも

瞳に希望を映した日から 時代は魅惑の友だちとなり 流れる風に急ぐのも 移ろう季節に迷うのも 青春 あればこそ 青春 生きてこそ この輝ける日々よ いつまでも 青春 あればこそ 青春 生きてこそ この輝ける日々よ いつまでも

ユーチューブで「三木たかし先生模範歌唱」で三木が歌う「別れの予感」を聴いてみた。そして「やわらかさをだすには、息をたっぷり吸ってたっぷりと吐き出していく。母音を強すぎず歌う」など非常に実践的な指導をしている。それをテレサ・テンが取り入れると、やさしさとかわいらしさがでる絶唱となり、感動的だ。

 「さゆり、君の歌はウソをついてるよ。理路整然とした うまい歌は感動しないんだよ」の後には、「人の喜怒哀楽って、もっと呼吸が乱れたりとかもっと違うものがあるよ」と続いている。さゆり、とは石川さゆりである。第19回日本レコード大賞中山晋平賞を受賞した「津軽海峡・冬景色」の歌唱指導の際に語った言葉だ。スナックでカラオケで歌って点数がでるのがはやりになっている。私も点数をあげとうとして何度も挑戦している。歌には感動しないが点数は高いというケースによく出くわすことがある。逆に本当にうまく感動させる人の歌には点数が辛くなる。機械の方がまだ未熟なのだ。三木たかし石川さゆりを諭したように、楽譜に沿って正しくなぞるのではなく、人間の喜怒哀楽を表現するのが歌なのである。