リレー講座:米倉誠一郎「松下幸之助に学ぶ」。

リレー講座:米倉誠一郎松下幸之助」。

  • この20年、日本では新陳代謝が行われなかった。プラットフォームがテーマだった。ビッグデータ、AI、金融、、。データがポイント。オープンイノベーション。顧客スコアリングなどは信用創造
  • 日本:教育無償化は教育内容を温存したままだから効果は疑問だ、バウチャー制がいい。消費増税したら消費が増える、不安を消すことが重要だ。安心となれば使う。(ドイツはシュレーダーが立派だった。メルケルが恩恵を受けた)
  • 最大の問題は「格差」。イノベーションを内包している資本主義は格差を生む。経済格差が教育格差を生んでいく。是正は「教育」しかない。日本の資源はヒトしかない。戦前までは教育に金をかけ「よみかきそろばん」を日本人は学び、欧米にキャッチアップした。21世紀の教育とな何か?
  • 松下幸之助。プロセスイノベーション。優れたデザイン性。モチベーター。コミュニケーター。ネーミング(スーパーアイロン。愛妻号)。事業部制の発明。交渉力。松下幸之助は神様ではない。イノベーターだった。

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昼休み:多摩大総研にて。日本情報マートの松田専務来訪。金融機関メディアを通じた中小企業支援を行う企業。大学との組み方を、松本・長島先生と一緒に考える。大中華圏。名言と図解。

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知研の高橋副理事長来訪:情報交換。

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リレー講座終了後、ジムへ。ストレッチ、ウオーキング30分、筋トレ、ストレッチ、バスの2時間コース。

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 「名言との対話」6月6日。田原桂一「光そのものの存在を見たい、光を自分の手でつかみとりたい」

田原桂一(たはら けいいち、1951年8月20日 - 2017年6月6日)は、日本の写真家。

写真家の祖父の影響で、中学時代に写真の技術を習得する。高校卒業後、劇団に参加し照明と映像を担当し、1972年に劇団のヨーロッパ公演に同行し渡仏するのだが、そこで出会った日本の柔らかい光とは違う、ヨーロッパの刺すような鋭い光に衝撃を受け、パリにとどまり写真家として活動を始める。

田原の仕事はグローバルで、なおかつ膨大だ。シリーズ『都市』(1973年 - 1976年)。シリーズ『窓』。シリーズ『顔貌』。『光の庭』(北海道恵庭市サンマルタン運河地下道内に『Echos de lumière』を常設。パリ写真美術館の屋外空間に『庭園Niwa』が常設。回顧展『田原桂一 光の彫刻』を東京都庭園美術館にて開催。パリ第七大学新校舎の外壁デザイン『Physique』、。マルセイユのブッシュ‐ド‐ローヌ県立図書館の外壁プラン光の彫刻『Ode a la Mediterranee』。GINZA888ビルの基本設計および総合プロデュース。何必館京都現代美術館にて『光の表象 田原桂一 光画展』を開催。、、、

田原の言葉がある。

人の想いを写し 自然を映し ひかりを移す
風があり薫りたち 静寂に音が響き 肌がふるえる
温度のある優しさと鉱物の輝き
私は「私という感覚」のみによって存在しているのか?
理解出来ることや、出来ないことが
渾然と浮遊し不思議な平衡感覚の上に私個人が乗っかっている。
安定的な重力と不安定な触覚が覚醒するとき、
思考がある一定の規則からはみ出してしまうことが度々起こる。
表現しようとする意思を働かせたとき、過剰な想いと言葉が
「不明瞭な意味」を生み出そうとして私のなかを駆け巡る。
光りを摑み取りたいという傲慢な欲望が私を支配する。

「光の画家」と呼ばれたフェルメールと同じように、「光の写真家」と呼ばれた田原は、写真家の枠を越えて、映像、ブランディング、建築、都市計画と活動の幅を広げていく。「光」を掲げてどこまで行くのかと人々が思っていた矢先、65歳という若さで亡くなくなってしまう。主題を持ち、ぶれずにその角度から世の中を見続けるということの凄みを田原の生涯は教えてくれる。