「出雲大社」ーー日本文明の二元的構成原理。

梅棹忠夫著作集第7の「日本探検」の中の、「名神高速道路」と「出雲大社」と「空からの日本探検を」を読み終わった。いか、出雲大社の項。

  • 相嘗(あいなめ):神人供食。祭りは神と人との交歓である。
  • 農耕の神:イネ、コメ、酒。農業神。
  • 天下無双の大廈:完全に東南アジアですな。
  • 神の粘性係数:神殿の大きなもの。「雲太、和二、京三」。出雲国杵築明神、東大寺仏殿、京の大極殿。大社の神には人間の体臭がない。みだらなももが完全に欠けている。植物的神聖さ。
  • 神とひとの歴史::大化の改心は神事と政務を分離。出雲は平安朝初期まで古代的秩序である祭政一致が保存された。天照大神の長男の子孫が天皇家(伊勢の大神宮)、二男の子孫が出雲臣。天照大神系の顕(政治)と大国主神系の幽(祭祀)の二重構造。二重構造の原因は破壊の不徹底にある。神仏習合の波は日本的な神々をおそった。仏教の発展はあったが神は温存された。日本的二重構造。世界宗教の挑戦への固有信仰の応答。明治の神官は宗教活動を許されず神社の管理人となった。第80代国造千家尊福神道大社を設立し布教。
  • 縁むすびの神さま:神無月と神有月。神々は集まって男女の縁むすびを相談すると信じられている。出雲大社にお礼参りにくる。近代以前の神前結婚は嫁入り婚で神が誓いの確認者。明治以降の人前結婚は家族制度と一体だった。神前結婚で式場は家から外にでて媒酌人は神さまに戻る。家族制度は崩壊。この神前結婚は戦後に勢いを増す。ふたたび縁むすびは神の手にかえった。
  • 神々の復活::結婚は神さま、葬式はお寺という分業。お寺は家と結びついて戸籍を管理。神さまの仕事が増えてきた。神前結婚、七五三、地鎮祭、、、。司会業、保証業、浄化業。科学と民主主義という世俗と神聖なる儀典の主宰との二重構造の発生だ。日本文明には二元的構成原理がある。

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ジム:ウオーキング40分4キロ。

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「名言との対話」6月29日。下村治「私の興味は計画にあるのではなくて、可能性の追究にある」

下村 治(しもむら おさむ、1910年明治43年11月27日 - 1989年(平成元年)6月29日)は、日本経済学者大蔵官僚

池田勇人内閣で高度経済成長プランナーを務めたのが、下村治の歴史的役割だ。池田隼人は後に「下村君を育てたのは私だと思っている。よく成長してくれた」とこの経済ブレーンを語っている。

今回読んだ評伝は「日本の経済思想」と銘打った評伝シリーズなので、経済理論の詳細が書き込まれており難しい読書だった。大久保利通渋沢栄一福沢諭吉北一輝柳田国男などと並んで、下村が論じられている。それほどの人だということだろう。

下村はプランナーであったが、自身を計画主義者ではないと言う。自分の役目は、国民の創造力に即して、その開発と解放の条件を検討することである、と述べていた。国民一人一人の創造的努力を刺激し、自由に発揮できる条件を整備するのが政府の役割だという考えである。創造力を開発し、制約を取り払って創造力を解き放つのである。そして、経済成長とは新機軸の誕生、新事態の創造であると喝破する。高度成長の教祖・下村治の「下村理論」は、イノベーションを成長の原動力する経済理論である。

経済は人間のためにあり。経済成長は人間の値打ちを高めることでなければならない。経済成長は国民の才能を生かす最大、最良の方法だ。「最大の生きがいは、わたくしたちが自分の能力をじゅうぶんに発揮できたと思うときではないでしょうか」。そのような機会を与える社会を追求しようとした。

1973年の石油危機からは、一転して「ゼロ成長論」を展開して人々を驚かせた。しかし、下村は「安定して均衡を維持できる姿を追求」していたのであり、考えは一貫していた。日米経済摩擦、市場開放には反対の論陣を張った。「アメリカに何か言われると、ただただ頭を下げてばかりいる」。座右の銘の「思い邪なし」のとおり、「問題の根本をみつめ、正しい解決」に向かうべきだとの思いで仕事をした人だ。

 私も下村治の名前はよく聞いていたが、今回知った「可能性の追究、創造力の開発と解放、生きがい」など、官庁エコノミストらしくない物言いに共感を覚える。環境、風土、教育などの条件整備を進めなければ、イノベーションは起こらない。様々な分野でイノベーションが起こらなければ、閉塞状況は突破できない。矮小な計画ではなく、可能性の追究をテーマとした道筋をそれぞれの持ち場で描かなければならない。

下村治―「日本経済学」の実践者 (評伝・日本の経済思想)

下村治―「日本経済学」の実践者 (評伝・日本の経済思想)