映画『万引き家族』

映画『万引き家族』を楽しんだ。

昨年の『第71回カンヌ国際映画祭』において、今村昌平監督『うなぎ』(1997年)以来、日本映画21年ぶりの快挙となる最高賞パルム・ドールを受賞したことも記憶に新しい是枝裕和監督の『万引き家族』(2018年6月8日公開)が、7月20日、フジテレビの『土曜プレミアム』(毎週土曜後9:00~)にて本編ノーカットで地上波初放送された。

 この映画を偶然にみて、最後までみることなった。貧困化がすすむ社会の現実をえぐった力作だ。出ている俳優はみなうまかったが、とくに安藤サクラの演技には驚いた。これがNHKの朝ドラ「まんぷく」の主人公と同じ人か。第42回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞(『万引き家族』)以下、内外の様々の賞を数多く受賞しているのはうなずける。

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「名言との対話」7月21日。高橋義孝「仕事をするとは、「己」を棄てて、その仕事の要求するものに「己」を従わせるということなのである」

高橋 義孝(たかはし よしたか、1913年3月27日 - 1995年7月21日)は、日本ドイツ文学者、評論家、随筆家。

10歳で関東大震災に遭遇。東京帝大大学院を出て、ドイツのベルリン大学ケルン大学で学ぶ。画家、歴史家を夢見た少年は、ドイツ文学者になった。

北大助教授などを経て、37歳、九州大学文学部助教授になり、東京博多間を往復する生活に入る。41歳、教授。57歳、辞任。60歳、名古屋大学教授になり東京との往復生活に入る。63歳、退官。68歳、52歳から津続けていた横綱審議委員会の委員長に就任。82歳、老衰死。辛辣にして洒脱な江戸っ子で、学問、評論、随筆に活躍した。

教授時代は終始一貫して東京の自宅を動かず、九大時代は最初は国鉄の寝台車で往復、のちにジェット機で往復し「ジェット教授」と呼ばれた。師は内田百閒と尾崎士郎。弟子に山口瞳がいる。その山口瞳を師匠としたのが常盤新平である。夏目漱石、内田百閒、高橋義孝山口瞳常盤新平。この系譜は研究のしがいがありそうだ。繰り返し読んだ芥川龍之介に対する評価は高い。「また」、「そして」、「のみならず」などの接続詞や副詞の使い分けが素晴らしいと評価する。この視点は、私の着眼と同じである。

著書『私の人生頑固作法』の「実説百閒記」では、変人・奇人として名の高かった師の内田百閒が嫌いなものが4つあったと買いている。NHK、朝日新聞、雷、そして相撲である。「漱石先生のような偉い人が一体どうして相撲みたいな下らないものを見に行かれるのだろうか」と書いている。しかし、漱石の孫弟子である高橋義孝は、日本相撲協会横綱審議員会委員長をつとめるまで入れ込んでいる。実地に相撲場に行って得られるものは、相撲という華麗なドラマを楽しむことにあり、同じ相撲を味わい楽しんだ遠い祖先と同じ眼で土俵を見つめているとの指摘には同感する。相撲を見つめる眼を持つことで日本人になっていくということだろうか。

謡曲の短歌のメロディーこそが、日本だ。 季節の味わい、推移、生々流転、それが人生であり、人間であるという人間観こそ、日本的だ。それに身をゆだねることが日本人の生き方だ。その日本は敗戦による「民主主義」よって荒廃の幕が切って落とされた。法律さえ犯さなければ何をやってもいいという精神の荒廃が進んでいると憂慮する。

そして、日本人は己を棄てることを、習い事や稽古事を通じて学ぶのであり、仕事が要求するものに「己」を従わせることで仕事は進むというのが、高橋義孝の仕事観であり、日本観だ。このドイツ文学者のテーマも日本と日本人だったのではないか。

己を棄てて対象の求めるものに従いながら没頭する中から、最終的に己という個性を生かす道がみえるようになる、と私は考えるが、どうだろう。 

私の人生頑固作法―高橋義孝エッセイ選 (講談社文芸文庫)