日本シャンソン館(芦野宏)。生方たつゑ記念館。塩原太助記念館。

群馬県渋川市の日本シャンソン館を訪問。

シャンソン歌手の芦野宏が1995年につくった建物と庭園。

 

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沼田市の生方たつゑ記念館を訪問。

歌人。1904年生まれ、2000年没。95歳。

伊勢生まれ。7ヶ月で生まれた早熟児だった。日本女子大では文学、哲学に興味を持った。そして東京帝大の聴講生として美学を学ぶ。そこで伴侶となる生方誠と出会う。生方はアメリカ留学を経て帰国した薬学が専門の青年だった。2人は結婚し、群馬県沼田の生方薬局の嫁となる。昭和5年、東京の短歌の今井邦子のもとに通う。それは旧家の嫁として苦労する中で、心の支えが欲しいということをからだった。31歳で初めての歌集を出す。「山花集」というこの歌集には沼田の土地の特色がよく出ていた。昭和18年第3集を出す。この辺から松村英一に師事し文学に傾く。昭和22年女性歌人の会を結成する。「白い風の中で」で読売文学賞を受賞。近代詩の域に達した。そして「浅紅」を創刊し選者となる。テレビや講演に引っ張りだことなる。昭和54年生方記念資料館を作る。76歳、「野分のやうに」が釈ちょう空賞を受賞する。これは第18日集。82歳財団法人生方記念文庫を作る。昭和55年勲四等受賞。平成元年沼田の名誉市民となる。95歳で亡くなった。詠んだ歌は8000首。そして歌集は21冊。歌書は10冊。随筆9冊。評伝8冊。生涯45冊の本を書いた。

かがやけば花のにほひもこぼれくるこころやさしく寄りそふときに

岸のうへにとりこゑまねるをとめ子よこころに、おもふうことはなからむ

月の夜におほよそのものひそまりて光れる見ればながくいきたし

壷のなかにみづの凍らむかすかなるけはひは夜半にひとりきくべし

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水上の塩原太助記念館を訪問。

1743年生まれ、1816年没。73歳。

江戸中期に生まれた商人である。18歳で江戸に4日かかって向かった。炭屋の山口家に奉公。40歳で独立し大成功を収める。本所にすぎたるものが2つあり、津軽大名と炭屋塩原と謳われた。様々の公共事業に手を染めて尊敬された。金の使い方を知っていた。1816年73歳で没している。

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