塩原太助ーーー「本所に過ぎたるものが二つあり、津軽屋敷に炭屋塩原」

 塩原太助記念館を訪問。

 記念館では神田紅が紹介していた。塩原 太助(しおばら たすけ、寛保3年2月3日1743年2月26日) - 文化13年閏8月14日1816年10月5日))は、三遊亭円朝の「塩原多助一代記」で有名な江戸時代の豪商。幼名は彦七。裸一貫から身を起こし、大商人へと成長。「本所に過ぎたるものが二つあり、津軽屋敷に炭屋塩原」と歌にまで詠われるほどの成功をおさめた。戦前には立志伝型人物として教科書にも登場した。

戦前の「上毛5偉人」には、高山彦九郎新田義貞新島襄関孝和・塩原太助が顕彰されている。また戦後に群馬県下の誰もが親しんだ『上毛かるた』にも「沼田城下の塩原太助」がでてくる。平和の使い新島襄、心の燈台内村鑑三和算の大家関孝和、誇る文豪田山花袋、、、。

f:id:k-hisatune:20190831171833j:image

  18歳で丸4日かかって江戸へ。炭商人の山口屋に奉公。粉炭の量り売り。22年間必死に働き、奉公人の鏡といわれる。40歳で独立し成功する。塩原太助は、商売で儲けた金を、社会にために使った。無縁坂など道の修復、神社仏閣、亀戸天神、香川丸亀の灯篭、接待所、互助組織、、、、。今なお名前が残っているということは、庶民に本当に尊敬されていたということだろう。

 亡くなった後に、この人は有名になっていく。1878年明治11年三遊亭円朝が『塩原太助一代記』を創作し、高座で人気を博す。1885年(明治18年)『塩原太助一代記』が刊行され12万部のベストセラー。1891年(明治24年円朝明治天皇の御前で口演。1892年(明治25年)東京歌舞伎座円朝の『塩原太助一代記』が初演。1900年(明治33年)『新編・修身経典尋常小学校用』巻二巻に塩原太助が採用される。1925年(大正14年群馬県水上町に塩原太助翁記念公園が完成。渋沢栄一が顕彰碑に揮ごう。1928年(昭和3年墨田区堅川に「塩原橋」。太助の故郷に塩原太助公園が完成。塩原太助翁之碑が建立。1947年(昭和22年)「上毛かるた」に取り上げられる。1966年(昭和41年)報徳太助神社建立。1994年(平成6年)生誕250年記念として塩原太助公園に「塩原太助とあお別れ之像」建立。2012年(平成24年国立劇場坂東三津五郎の歌舞伎「塩原太助一代記」の公演。2015年(平成25年)国立演武場で桂歌丸「塩原太助一代記・青の別れ」が口演。2016年(平成28年国立演芸場桂歌丸「塩原太助一代記」が口演。

塩原太助は、今なお生きている。 

塩原太助ーその実像と真実

塩原太助ーその実像と真実

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」9月10日。望月良晃「寅さんは、菩薩です」

望月良晃(?- 2014年9月10日)は、柴又帝釈天題経寺住職。

人気映画『男はつらいよ』のフーテンの寅こと、車寅次郎が頭が上がらない「午前様」のモデルである。

山田洋次監督は、「寅という人間は、みんなにバカだと言われて、笑いものになりながら、本当はとても大事な役割をこの世で果たしているような男なんだろう、そういうふうにぼくはこの映画をつくりながら考えています」と語っている。また、相手の気持ちになってやれる、その人の立場に立ってものを考える、その人の幸せのために自分はどうすればいいかと真剣に考えるとか。そういう能力は寅は誰にも負けないとも『寅さんの教育論』で語っている。

望月良晃はフーテンの寅さんについて、その能力こそ、仏教でいう菩薩のはたらきそのものであり、人の心にいつしか救いの灯を灯を点ずるのであると書いている。

では菩薩とは何か。人々の苦しみを自分の苦しみとして受け止める。困っている人を助ける。人のために尽くし、相手の身になって考え行動する。自分だけが救われることを考えるのではなく、この世に生きているあらゆるものに対して心配し、助けようとする「慈悲」の心と、他者の安楽を自分の喜びと感じる「喜」、そして自他の区別なく人を見る「捨」の心を持った人である。そうしてみると寅さんは菩薩そのものではないか。その菩薩の姿をみなが喜んでいるのが、この映画が長く続く秘訣ではなのだ。最近、母親と弟が毎週土曜日に楽しみにみているとのことで、私も影響されて改めてみるようになった。寅さんは、本当はとても大事な役割をこの世で果たしている菩薩だとみる望月良晃の観方に納得する。

また、望月住職は「演歌は、滅びの歌であり、流離の歌である。その意味で、仏教が教えた無常観を歌い上げていると言えるようである」とも言う。

  今回読んだ『柴又巷談』は人生問答を6人の著名人と語っている本である。「あとがき」には「私は、6人の善知識に会って、人生修行の旅をさせていただいた」とある。『華厳経』の中に、善財という童子が、53人の「善知識」を訪ねて教えを乞う求道物語がある。善知識とは良き先達を意味している。自分自身の善知識は誰であったか、誰であるかを考えてみたい。 

柴又巷談―御前さまの人生問答 (1984年)

柴又巷談―御前さまの人生問答 (1984年)