岡山知研のメンバーたちとの懇親会。

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 明日の県庁での講演研修に備えて夕刻に岡山入り。毎年数回新幹線で岡山往復をしているので、時間が短く感じる。3時間ほど時間があったので、原稿チェックなどを行なった。こういう移動の時間はありがたい。

18時半からNPO法人知的生産の技術研究会の岡山の仲間たちと飲み会。会長の伊藤さんの快気祝いを兼ねている。

それぞれ相当の人物たちだ。ふぐの陸上養殖の夢を追う技術者。難病を専門とする医療機関の起業家。障害者雇用のプロフェッショナル。石田梅岩の在野の研究者。

3月の東京での総会。岡山から5人参加予定。日程は3月の最終週に設定して欲しい。

 

16日の山陽新聞朝刊。台風死者12都県73人。決壊52河川73カ所。不明13人、避難5000人超。東日本大震災以来の大災害だ。

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「名言との対話」10月15日。ジョー・スタンカ「円城寺 あれがボールか 秋の空」

 ジョー・ドナルド・スタンカJoe Donald Stanka1931年7月23日 - 2018年10月15日)は、アメリカ合衆国オクラホマ州出身の元プロ野球選手投手)。

 米大リーグ、ホワイトソックスでメジャーに昇格しあげた1勝を含めて、生涯通産で100勝72敗。ピッチングの姿は赤鬼の形相だった。

 1961年の日本シリーズ南海巨人戦第4戦。エラーと長島の内野安打で満塁になる。宮本に投げたストライクとおぼしきフォークボールを「ボール」と円城寺審判は判定し、キャッチャーの野村とスタンカは激高する。スタンカはユニフォームを着ると気性が荒くなる男だった。そして再開し打たれてサヨナラ負を喫する。本塁のカバーに向かったスタンカは円城寺と激しく衝突し、円城寺ははじきとばす。この試合を観戦していたファンの商社マンが、後に実業になっていたスタンカに「円城寺 あれがボールか 秋の空」という川柳を送った。故障した杉浦忠にかわり大車輪の活躍をし、南海ホークスパ・リーグ優勝に貢献した。スタンカは後に「セントラルの審判が巨人にひいきしたとは思いたくない。パリーグなら見つけているからストライクにしたはずだ」と語った。

1964年には26勝を挙げてシーズンMVPに輝き、阪神タイガースとの日本シリーズでは第1・6・7戦で先発し3完封の離れ業をやってのけ、南海の日本一に大きく貢献した。日本シリーズのMVPも受賞した。

プロ野球最強のエースは誰か』でバッテリーを組んでいた野村克也は、大エースの杉浦忠、世界初のカットボールで30勝投手に変身した皆川睦雄に続き、第3位にスタンカをあげて高い評価を与えている。

たった一つのエピソードが、その人の代名詞になるというケースがある。当時の観客の言い伝え、書籍、テレビ解説、、、、。54歳の時点でのヒューューストンにおける映像を見る機会があった。営業を担当する刺繍会社の社長のスタンカ。週末は日本人商社マンとのバーベキュー会で、この大和魂を持った男は、日本での最高のひのき舞台における想い出話に日本人とふける。人生最高の時を語り合うのは幸せだったろう。