11月の読書予定

11月の「名言との対話」用の読書すべき本がそろった。

f:id:k-hisatune:20191019213436j:image

 

 「名言との対話」10月19日。大石武一「もし失敗したら失敗したで、そのときに、さらに別な対策を考えればよいのである」

大石 武一(おおいし ぶいち、1909年6月19日 - 2003年10月19日)は、日本医師医学博士政治家

医業をやりながら趣味として植物学をやることを父に勧められ東北大学医学部で学ぶ。卒業後は東北大学医学部助教授を経て、筋を通した政治家であった父の死を契機に後を継いで1948年に政治家へ転身する。連続10回当選し、河野派(後に中曽根派)に所属する。

1970年前後は、水俣病四日市ゼンソク、イタイイタイ病住民訴訟が起こっていた。大阪国際空港ジェット機騒音訴訟、自動車排気ガスによる大気の鉛汚染、光化学スモッグ、水質汚濁、ヘドロ、、。工業化の進展による悲惨な環境破壊が大問題になっていた。第64回国会は「公害国会」と呼ばれた。その直後に環境庁が発足する。

1971年の第三次佐藤内閣のもとで佐藤総理に自薦して念願の環境庁長官に就任し実質的な初代長官となる。大石武一は、政治の目的は「生命の尊重」「人の生命を守る」と考えた。それを環境行政の基本理念としようとする。それを示すことになったのが、以下の二つの案件だ。

水俣病患者救済問題については「疑わしきは救済する」という行政措置を示し、救済対象を拡大した。これによって環境庁は「人の命を何よりも大事に守る」という役所にしたいと願った。もう一つは観光用道路の建設計画で揺れていた尾瀬という日本の自然の宝を護るため、各界の強い反対を押しきって中止させるという強いリーダーシップをとり、自然保護行政を立て直しことだ。ここでは植物学に進路をとろうとした経歴が生きた。

また、公害の無過失賠償責任制度の立法化も、民法の権威である我妻栄東大名誉教授の力を借りて実現する。疫学的に見て蓋然性が非常に高い場合には法的に企業の責任を認めることになった。

これだけのことをわずか1年という任期で実現させている。自薦しただけのことはある。オープンマインドで住民や、記者とも交流を図る。陳情はなるべく会うようにする。現地に足を運ぶ。そういう行政の情報公開と住民との対話路線が国民にも支持され、力になった。

盛岡の原敬記念館で、2000年の「現代」で行った「20世紀最高の内閣」という企画の結果をみたことがある。環境庁長官大石武一だった。今は環境省となっているが、大石の業績に匹敵する長官、大臣は見当たらない。この評価は今でも同じではないだろうか。

火中の栗を拾う。損得で考えない。解決に向けて渦中に入っていく。そういった姿勢と気力、そして心中の理想が、エネルギーとなって、実績をあげたのだと『尾瀬までの道』を読んで改めて感心した。 

尾瀬までの道―緑と軍縮を求めて (1982年)

尾瀬までの道―緑と軍縮を求めて (1982年)