柴生田俊一『子ども地球歳時記』(日本地域社会研究所)ーー日本の俳句から世界のハイクへ

柴生田俊一『子ども地球歳時記』(日本地域社会研究所)。土曜日の日経新聞に広告。

「1964年と2020年の東京五輪をまたぐJALハイク・プロジェクト50年超の軌跡」

229ページ。横書き。本体1800円。オビは大岡信朝日新聞折々のうた」から。

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柴生田さんは私のJAL広報部時代の上司で、俳句を世界の子どもに広めた中心人物。あれから30年経って、ようやくライフワークが完成したことになる。今や全世界で子どもがハイクを詠んでいる時代になった。今では「ハイク」と記されるようになった。

1964年の東京オリンピックの前年にJALは全米ハイク・コンテストを行ってから、現在まで続く俳句の国際化プロジェクトをある時期に担った人がまとめた俳句の国際化、グローバル化の歴史ノンフィクションだ。一企業が日本文化の発信拠点になってきたのは珍しい。企業の社会貢献のひとつのモデルだろう。この本にはそのことを明らかにした功績がある。

 カナダ国際交通博覧会(交通博。1987年)。北米ハイク・コンテスト。全伊ハイク・コンテスト。オーストラリア子どもハイク・コンテスト(レジャー博)。世界子どもハイク・コンテスト(19言語、1444句が集まった。1990年)。第2回世界子どもハイク・コンテスト(1991年。世界24ヵ国から7万句。19言語。須賀川市)。大阪国際花と緑の博覧会(花博)、、、、。

ドイツは型にうるさい。イタリアは自由。、、、、俳句はその国、民族にふさわしい形で少しづつ変貌していく。日本の子どもたちよりも世界の子どもたちの方が熱心になっている。日本の俳句は、いまや世界のハイクになった。

日本:あかとんぼとまったところがあかくなる ひまわりやまっきっきいのフライパン シャボン玉私の顔も飛んでいく パンジーにまほうをかけてちょうにする くさのとげかぜがいたいといっている

アメリカ:一葉散る蛙の池に音もなく 婦人会みな天道虫を胸につけ

オーストラリア:滝がごうごうと 岩をほとばしり落ち、小鹿が 不思議そうに見上げている

ソ連:森の花はつむな森のにおいだけもって帰れ

メキシコ:燃える火 光線で溶かされた金 太陽の熱さ

タイ:平和なれ母なる自然生口島

中国:おじいちゃんのあごひげ わたしのあのお筆のように 歳月を書いている

この本のオビで大岡信は「「短い詩」をつくることが、どれほど子どもたちの想像力を刺激し、精神的緊張と注意力を目覚めさせうるものであるかを知って、じつに新鮮な驚きと感銘を受けた」と記している。

子どもハイクは、環境教育と世界の平和につながっている。

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ジム:スイミング30分500m。

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「名言との対話」10月27日。中一弥「やりたいこと、まだまだ」

中 一弥(なか かずや、1911年1月29日 - 2015年10月27日)は、日本画家。享年103。

早くに父を亡くし、貧乏暮らしの中で右目の視力を失うが、小さい頃から好きだった絵は描き続けた。当時人気の挿絵画家だった小田富弥訪ね弟子になる。18歳、名古屋新聞に連載していた直木三十五の『本朝野士縁起』の挿絵でデビューする。

綿密な時代考証に裏打ちされた情感に富む作風で知られた。正確なデッサンと江戸への深い造詣から生み出された絵は、「本当の江戸時代」を感じさせた。池波正太郎の作品展にでてくる挿絵は中が描いた。池波は「中さんの絵は色っぽい」と評した。改めてこの人の挿絵を眺めたが、池波正太郎と同じ感想を私も持った。

吉川英治山本周五郎野村胡堂海音寺潮五郎村上元三藤沢周平池波正太郎吉村昭佐藤雅美乙川優三郎、、、。そしてほんの最近まで現役であり、中一弥は三男の小説家・逢坂剛の作品の挿絵も描いていることを知った。103歳という長命であり、明治から平成まで、日本の時代小説に夢を与え、花を咲かせ続けた生涯だった。1971年、第6回長谷川伸賞受賞。1993年、第41回菊池寛賞受賞。1996年勲四等瑞宝章受章。2014年、第48回吉川英治文化賞を受賞。

「僕の挿絵には色彩がいらない」。「線がいちばん重要」で、「色彩を知らないで墨絵一点張り」の画家を自任していた。それだけ力があったのだろう。

「やりたいこと、まだまだ」は、100歳になった時点で朝日新聞のインタビューにこたえた言葉だ。生涯現役とはこの人のことをいうのだろう。