リレー講座「超高齢社会への対応 ― 疾患の性質変化と医療・介護の在り方 ―」

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リレー講座。「超高齢社会への対応 ― 疾患の性質変化と医療・介護の在り方 ―」江崎禎英先生。経済産業省 商務・サービスグループ 政策統括調整官 (兼)厚生労働省 医政局 統括調整官(兼)内閣官房 健康・医療戦略室 次長。

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 ・イノベーションとは常識を変えること。固定観念から脱却すること。視点を変える事こと。今後は高齢者はそれほど増えない。若い人が減るだけだ。

・人間は最大120歳まで生きられる。細胞分裂が終わるのが120年。新約聖書にも120とある。還暦の2倍。60歳以降は2周目の人生。今からはかなりの人は100歳を越える。2週目の人生をどう生きたらよいかわからない。大還暦。

・健康長寿社会とは役割と自由がある社会。それを医療と介護が支える。日本の医療は間違いなく世界一。アメリカでは歯1本抜くと150万円、盲腸は300万。国民皆保険制度。実感はないかもしれないが1.2億人をカバーしているこのような制度は世界にない。

・1割は90歳になっても弱らない。そのための条件は肉食と恋。高齢者は体に蓄積がないから肉をどんどん食べるべき。トキメキ、役に立っているという実感。

・人生120年を阻害するものは、食べすぎ・運動不足・ストレス。この3つを解消するのが新しい時代の医療。ガン:30億の細胞が1秒間に1万コピーされる。このとき3個のミスがおこる。だから人には必ずガン細胞ができるが、一方でどんどん入れ替わっている。このバランスがくずれるとガンになる。しか見つかるまでに20年かかる。末期ガンでもよく食べる人は元気になる。ガンは熱に弱い。温泉。栄養と体温。100歳以上の人の免疫細胞は50歳代。ガンで人は死なない。免疫が弱るから他の病気になる。結核などは外、ガンは身内。免疫細胞が重要。メンタルにへたってはいけない。

・3分の1は生活習慣病。生活習慣を変えると3か月でよくなる。現代は生活習慣と老化型。生活習慣病は自覚するようになったら終わり。だから管理と自律が大事。再生医療は先制医療という予防に使う。

・介護の現場では何もさせないから引きこもりになる。新しいワクワクをさがそう。「ありがとう」は悪魔のささやき。ありがとうと言われたい。欲しいのは尊敬。

・今後の3原則:病気にならない(健康状態を維持)。重症化させない(早いタイミング)。社会と切り離さない(生きがい)。「おいしい。楽しい。ワクワク」。杖を忘れる。

・公的医療保険介護保険の外側にヘルケアがある。ヘルケア産業は2016年25兆円、2025年33兆円。健康保持・増進は、2016年9.2兆円、2010年10.3兆円、2025年12.5兆円。患者・要支援・要介護は2016年15.8兆円、2010年17.3兆円、2025年20.6兆円。

・浮いたお金で患者が少なく薬が開発できていない3000の病気の開発にあてる。

・いつまでも生きがいをもって楽しく生きる。3時間待ち3分医療。ウイルスうようよ

・糖尿病:中国人4億人。インドネシア半分。日本に関心が高い。

・2週目の人生が本番。その人たちが1週目を支える。超高齢社会はすばらしい社会だ。一生、社会の一員として元気に生きる。さてどうしますか?「今が一番楽しい」という人生・大阪万博「命輝く高齢者」、このテーマは日本しかできない。

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 ・総研ミーティング

・高橋茂人さん

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ジム:ストレッチ、ウオーキング(坂道30分)、筋トレ、ストレッチ。

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「名言との対話」11月28日。小島喜孝「これら民衆の苦闘の遺跡を、遺族、現存者の方々に同行して廻ることを夢みております」

小島喜孝(1916年9月11日〜2003年11月28日)は民衆史家。

東京都の西の三多摩で生まれた。青山師範学校卒業後、小学校教員になる。1948年、GHQによって教職追放を受ける。出版社勤務ののち、北海道に渡り、北見工業校などで教鞭をとる。北海道歴史教育者協議会の副会長。その傍ら、歴史に埋もれた民衆史を掘り起こす運動をすすめた。オホーツク民衆史講座などで活躍した。著書に『谷中から来た人々」のおてもとの「常紋トンネル』『北海道の夜明け』などがある。

今回読んだ 『鎖塚ーー自由民権と囚人労働の記録』は、研究者あるばかりではなく、実践の報告書であり、評価が高い。「鎖塚」とは土まんじゅうの上に鎖がのせられていたことから名づけられた名前である。囚人二人が繋がれた鎖は墓標であろう。明治国家を断罪する、民衆からの北海道開拓史だ。伊藤博文山縣有朋、そして金子賢太郎ら明治の指導者は内国植民地である北海道に必要な労働力として囚人を使った。金子は安い賃金、過酷な環境で、囚人労働者が斃れることを想定していた。その方針に沿って財界が協力した。一方で囚人の人権を守ろうとしていた人々も出現する。監獄改良の第一人者・原胤昭は自由民権から囚人人権へと進んだ人である。

もう一つは、昭和に入っての朝鮮人・中国人の募集という名の強制連行と徴用を取り上げている。1939年(昭和14年)だけで8万7千人が集団連行され、1万396人が北海道に送られた。戦争末期には強制連行された朝鮮人は72万人に達し、四分の一が北海道に配置された。この年には朝鮮人の暴動が各地で起こっている。彼らの墓はない。

この本の中には、菊池寛平、井上伝蔵、津田三蔵、大井上輝前、原胤昭、片山潜、永岡鶴蔵、坂本直寛らの名前ある。読み進めるとドラマの連続である。

 小島喜孝は北見工業高校在勤中の1973年に『鎖塚』のあとがきで、「これら民衆の苦闘の遺跡を、遺族、現存者の方々に同行して廻ることを夢みております。来夏の夏には、歴史の研究者・教育者・愛好家の方々といっしょに、北見地方民衆の歴史遺跡めぐりを、やりたいと思っております」と述べている。

日本政府は戦時中・戦後の強制連行と虐待の資料を償却して証拠書類を湮滅している。これが現在、日韓で問題になっている「徴用工問題」である。小島の迫力あるドキュメントである『鎖塚』は今、改めて読むべき本である。 

鎖塚――自由民権と囚人労働の記録 (岩波現代文庫)

鎖塚――自由民権と囚人労働の記録 (岩波現代文庫)