新宿の京王プラザホテル:中国富裕層向けの医療事業、西野流呼吸法。

新宿の京王プラザホテル。

12時:蔡さん、富田さん、久保田さんと「南園」で会食。

中国人の富裕層向けの医療事業を構想している蔡さん(宮城大一期生)と、免疫治療関係者の久保田さんと死を宣告されてその治療で2ヶ月で完治した仙台の富田さんとの会食。互いの事業展開がみえた時間となった。

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15時:ホテルのカフェで貫和敏博先生を富田さんから紹介される。貫和先生は日本呼吸器学会の会長経験者で東北大学名誉教授。この二人は西野流呼吸法の信奉者でそれぞれ30年、18年の経験を持つ人たちだ。先日の私の日経ビジネス電子版のインタビューが取り持つ縁。「平成時代の366名言集」をお渡しする。

貫輪先生から興味深いお話をうかがった。呼吸臨床、ゲノムの時代から今は脳の時代。「脳の進化形態学」(村上安則)、オーラ、気、武道、ノンバーバルコミュニケーション、Nukiwat、東洋的身体、膠原繊維構造、、、、、。

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自宅に息子が来ていたので最近の様子を聞く。

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「名言との対話」12月7日。篠原三代平「過去からの「自己蓄積」の大小ではなく、近時の「自己成長」の有無である」

篠原 三代平(しのはら みよへい、1919年10月26日 - 2012年12月7日)は、日本経済学者

1937年 - 高岡商業学校卒業。1940年 - 高岡高等商業学校(現富山大学経済学部)卒業。1942年 - 東京商科大学(現一橋大学)卒業、東京商科大学特別研究生。1945年 - 大蔵省政経済実勢研究室研究員。1950年 - 一橋大学助教授。1962年 - 一橋大学教授。1970年 - 経済企画庁経済研究所所長。1973年 - 成蹊大学教授。1985年 - 東京国際大学教授。日本経済学会会長や財団法人アジア・クラブ理事長などの公職をととめ、1998年文化功労者、2006年(平成18年)文化勲章

綿密な統計データの推計に基づき、現実の経済に即した仮説を立てて理論化する実証研究の開拓者である。在庫や設備投資が一定の周期で循環連動することを指摘した景気循環論。大企業と中小企業の賃金格差を資本の集約度の差で説明した「資本集中仮説」などを提起した。実証経済学であり、電車、寝床、トイレがひらめきの場所である。そのひらめきの一つが新造語「ブーメラン効果」だ。

70歳で刊行した『峠みち(その一)』を読んだ。折に触れて書いた偶感、断想、追憶、あいさつ、追悼などの雑文を収録したエッセイ集だ。こうしたエッセイ集では著者の人柄や本音、日常生活がわかるので私はよく読むようにしている。

中山一郎、赤松要、大熊信行と3人の師匠を持ち、戦後に活躍を始めたこの新米経済学者は、輸入経済学からの離脱、自分の頭で展開するタイプの経済学への切り替えを目指し、輸入から創造へは20有余年を要したと語っている。

還暦では翻訳を除いて20冊、古希では30冊の単行書を書き上げる記録をつくったと書いている。書けという外圧に応戦した結果だという述懐だ。最終的には、専門の論文以外に、単著25冊、共著3冊、編著8冊、共編著20冊、訳書2冊となった。

「未来学の盲点」というミニエッセイがあり、未来学嫌いを明言している篠原は「将来とは『将に来たらんとする』時期のことだし。未来は『未だ来たらざる』時期のことだ」というある先輩エコノミストの言も紹介している。日本未来学会の重鎮の一人である梅棹忠夫との1976年の対談(E・S・P)も興味深い。梅棹は「文化人類学は破産学あるいは破産させる学問なんです。あらゆる学問体系を破産させていく」として経済学に疑問も呈していて同世代の篠原も穏やかに応戦している。

この本の中で、篠原は過去からの「自己蓄積」の大小ではなく、近時の「自己成長」の有無が重要であるとし、経済学者らしく、「時々刻々の成長率」という言葉を使っている。1975年頃の56歳時点で一生のうちでやりたいと思ったことはやってしまったと奥様にうそぶいた篠原は、1990年発刊のこの本では「人生70年」と語り、古希の時点で自らを「老境」としているのだが、実際にはそれから22年の人生が控えていたのである。想像を超えた高齢社会が待っていたのだ。異次元の超高齢社会の主役となりつつある私たちは「時々刻々の成長率」を意識して日々を過ごしていくべきだろう。 

峠みち〈その1〉

峠みち〈その1〉