私家版「野村克也の名言録」ーー15年間のブログでの記述から

野村克也さんが昨日亡くなった。私が感銘を受けて、このブログに記した野村克也の名言録を以下に記して冥福を祈ろう。

  • 筋書きを書いて演出までやるのがキャッチャー。
  • もしスペンサー選手やブレイザー選手がいなかったら、日本のプロ野球精神野球の域をなかなか脱せず、日本の野球は相当遅れていただろう。
  •  草柳太蔵は何事も生きているうちは勉強という意味の「生涯一書生」という言葉を野村克也に贈った。それが野村の名言「生涯一捕手」になった。また、「いい仕事は必ず誰かが見ていてくれる」とアドバイスされ、心に深く染み込んだと後に野村が述懐している。
  •  才能には限界がある。でも、頭脳に限界はない。
  • 常に(V)時代が脳裏にあり、川上さんを鏡にしていた(川上哲治死去に際し)
  • 素質が一流でも思想が二流では成長しない。
  • 器用な人はもう一工夫、もう少しの地道な努力が足りないことが多いので、長期戦になれば最後は必ず不器用が勝つんです。
  • 才能は学びから生まれる。
  • 中心なき組織は機能しない。
  • エースと4番は育てられない。
  • 足と肩にスランプなし。
  • 指揮官の重要な仕事はひとづくりである。
  • 監督は「気づかせ屋」でなくてはならない。
  • チームづくりの終着は「まとまり」。
  • 士は己を知る者のために死す。
  • 人間学のないリーダーに資格なし。
  • 監督の5原則。
  1. 仕事を通じて人間形成、人格形成をする
  2. 人生論が確立されていないかぎりいい仕事はできない・目(目のつけどころ)、頭(考えろ、工夫しろ)、感性(感じる心)・コツ・ツボ・注意点(意識させる)が重要・無形の力をつけよ
  3. 教育こそ監督に求められる第一の使命。
  4. 心が変われば人生が変わる。
  5. 指揮官の最初の仕事は戦力分析にある。

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「名言との対話」2月12日。山田「私は終生、「踏み切り」「割り切り」「思い切り」の『三切り主義戦略』と 「研究」「普及」の『ニキュー戦術』を経営哲学のモットーとした」

山田 晁(やまだ あきら、1884年明治17年)11月12日 - 1973年(昭和48年)2月12日)は、日本実業家

山口県生まれ、1909 年、旧日本陸軍の軍需工場だった大阪砲兵工廠に就職した。化学、金属加工、機械製造とさまざまな分野の知識を習得した。神戸製鋼所、東洋鑢伸銅(現東洋精機)を経て1924年、エンジン冷却用のラジエーターチューブ製作を主とした大阪金属工業所(後のダイキン)を創業した。

飛行機用ラジエーターチューブの他、熱効率を飛躍的に向上させたガス瞬間湯沸かし
器やわが国初の電車用冷房機(1936年)などを製造。また、1937年に毒性、腐食、引火・爆発の危険性のない画期的な冷媒フロンを開発、製品化した。1951年にはダクト工事や配管工事がいらない日本初のパッケージエアコンを開発し、ダイキンの礎を築いた。耐熱、耐薬品性に優れたフッ素樹脂を開発するなど日本では珍しい金属製品と化学製品を扱う会社を作り上げた。

市場ニーズがある場所で生産する「市場最寄化生産戦略」があり、現在では、事業展開150ヵ国以上、生産拠点100以上、海外事業比率76%というグローバル企業となっている。2019年予想では、売上高2兆6100億円、経常利益2850億円。従業員76484人(2018年)という堂々たる企業になっている。2020年に向けた戦略経営計画「FUSION20」では、「空気と」「環境」の新しい価値で世界に答えをしていきます、と宣言している。

大阪砲兵工廠時代には学歴偏重の風土で苦労したが、このときの修練が人間像を形づくる基礎工事であった、と語っている。また、「メーカーは単に売るだけのものであってはいけない。製品を通して信用を得ることが何物にも代え難い財産である」を信念とした。個人においても、法人においても、「信用」が何より大事だと言っているように思う。

山田は、「踏み切り」「割り切り」「思い切り」の『三切り主義戦略』と、「研究」「普及」の『ニキュー戦術』で、独創的な製品を作り続けた。一歩踏み出す「踏み切り」、損得を考えすぎない「割り切り」、決断は早く行う「思い切り」と解釈すると、この「三切り主義」は「勇気」を意味しているように思う。自前で「研究」し、開発した商品を「普及」させていくという地道な努力を重ねる「二キュー」は「根気」ではないか。経営が描く勇気ある「戦略」と、現場の根気強い「戦術」が相まって、創業者亡きあとも、培った「信用」を土台に、その戦略と戦術を奉じて成長する姿がみえる。