「アタマとカラダの世界」に沈殿しよう。

 ジム。新型コロナの関係で人が少ない。だからかえって安全だ。それと読書を中心に過ごす。 しばらくは、「アタマとカラダの世界」に沈殿しよう。

 「名言との対話」3月6日。天野貞祐「人はつねに断崖に立ってをります」

天野 貞祐(あまの ていゆう、1884年9月30日 - 1980年3月6日)は、大正昭和期の日本の哲学者教育者

京都帝国大学 教授。戦後、第一高等学校校長、文部大臣第3次吉田内閣)。獨協大学の初代学長。文化功労者

 神奈川県津久井郡生まれ。内村鑑三『『後世への最大遺物』を読んで発奮し、新渡戸稲造校長の一高で内村からも学ぶ。京都帝大、大学院を歩経て、西田幾多郎らの推挙で、智山派学院大学、鹿児島の七高、学習院を経て、母校京都帝大に招かれる。『学生に与ふる書』(岩波新書)を書いた。甲南高校校長、一高校長、そして吉田内閣の文部大臣を2年つとめた。退任後、母校の独協学園校長、そして1964年独協大学初代学長に就任。続いて国立教育会館初代館長となる。

学生時代から名著といわれていた『学生に与ふる書』を改めて読んだ。1939年に天野が1年間つとめた学生課長を兼任した時代に書いたものである。

「学生諸君に与ふ」では、寝床に就く時に明朝起きることを楽しみにしている人は幸福でだというヒルティ、勇気と信念を強調したヘーゲルなどを引用して話を進めている。学生の仕事は学問を通じての人格の涵養だ。実際活動に必要な学識は、心がけとその結果として身についた習慣である。こういう論調は旧制高校の香りがして教師たる私には響く。続けて、天野は学生課の仕事は学生の福利と教養に関する指導配慮であり、人間完成への貢献であるという。

就職について。ものごとに真剣に努力することは人間を鍛錬する。就職した団体に自己を没することによって自己を生かすという団体精神を会得せよという。

師の西田幾多郎は自身を真理の深い竪坑から鉱石を掘り出す一介の坑夫として努力する人だとしている。仕えた浜田耕作総長についても、艱難は漬物の重しようなものでこれなくしては人間に味が出てこないとの発言を紹介している。日々少しの時間でも怠らず仕事をしているといつの間にか業績がでてくる。これも「スローウ・バット・ステッディ!」の人・浜田の言である。

 「読書論」。人生の智慧を語るヒルティの、多読し良書を熟読せよという読書術を紹介し、本への書入れをすすめている。1回目は通読し、2回目は部分を徹底的に読めと天野はいう。最近の私の読書は重要な部分を抜粋するという習慣が定着している。習慣を得ればあとはおのずらことは進行する。こういった精読によって思想と精神が血肉になる。それが読書という行為の核心であり、効用であろう。

ニーチェに似た風貌で、元気溌剌とした内村鑑三に私淑した天野貞祐は「もし影響の大なる人を偉人と云ってよいならば」、明治時代の最も卓越した人物だという。この影響力という視点は私が人物記念館の旅で得た結論と同じであり、嬉しくなった。

西田哲学について。世界は一であって多であり、多であって一である。矛盾しているようだが、世界はそういう矛盾の自己同一である。天野は好きな野球を例にあげる。1チームは9人の選手がおり、9人の選手はすなわち1チームである。それぞれ独立しているが一つの活動である。絶対矛盾の自己同一という言葉は難しいが、こういうアナロジーで説明されると了解がすすむ。そして西田哲学には「作られたものから作るものへ」という命題がある。天野は人の一生は一つの彫像をつくることに比すことができるという。一つの行為が次の行為を呼ぶ。過去を含み未来をはらむ矛盾的統一として現在があり、世界が動いていく。だから習慣には重要な道徳的意味、修行の意味があることになる。個人主義全体主義を否定し、保留するのが創造主義の世界観・人生観だ。それを天野は創造的人生観と呼んでいる。生を受けて世界と人生を学ぶことはそれだけで十分な意味があるとする。天野は卑近な例を挙げて哲学を語ることができた。

2018年に中央大学草加白門会創立40周年記念式典で記念講演を行ったことがある。白門は中央大学のこと。この時、天野貞祐のことを少し調べたことがあり、独協大学天野貞祐記念館があることを知った。いずれ訪ねたい。

「人はつねに断崖に立ってをります」と天野貞祐は語る。「今日も生涯の一日なり」を座右の銘にしている私はこの言葉に共鳴する。私たちは断崖絶壁の突端に強い風を受けながら立っている。「生涯」の涯とは、涯(は)てのことである。この断崖は時間とともに前に進んで行く。そしてある日突然、寿命が尽きると私たちは海の中へまっさかさまに落ちていく。確実な明日というものはない。だから、私たちは今日のこの日をしっかりと生きなければならないのだ。生涯という言葉には、切羽詰まった、差し迫った、何かがある。強い風を受ける断崖の突端の涯てに立って、生きていこう。

学生に与ふる書 (1949年) (岩波新書〈第45〉)