週一回の都心。大学、そして出版社と大学院。

一週間ぶりに都心へ。7分の1だから、接触減は8割超か。

朝、大学で近藤秘書と打ち合わせ。

午後、出版社。

夜、品川の大学院で3時間のZOOM研修。リアル6人、リモート15人くらい。

京王線は7つの席に1-2人座っている。中央線は2-3人。山手線は3人。帰りの京王ライナーは一車両に数人。

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以下、ヒント。相当の練習が必要だ。

・ウェブカメラ。三脚。ホスト画面。YOUTUBE動画の共有。ブレークルーム。

・他のパソコンで全員の画面を出しながら。アイパッドも使う。チャット:アンケートに使う。保存。手書きのプレゼン:カメラで映す。

・手書きの共有方法・アイフォンで撮影。スクリーンショットをデジタル化。fileで送付。・アクセサリー。snippingtool。画像のキャプチャー。・ビデオ。マイビデオ・ミラーリング

・講義:ブレイクを多く。インターラクティブに。ブレークルームの活用。振り返りの時間を最後に。
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21時45分の品川のコンコース。人影はまばら。
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「名言との対話」12月30日。小杉放庵「東洋にとって古いものは、西洋や世界にとっては新しい」

小杉 放庵(こすぎ ほうあん、1881年明治14年)12月30日 - 1964年昭和39年)4月16日)は明治・大正・昭和時代の洋画家

日光東照宮の近くにある小杉放庵日光美術館は樹木や建物が周囲の景観と一体化した立派な美術館だった。鉄骨の構造を視覚的に生かした大屋根は優れた音響効果を発揮するため、季節ごとに室内音楽のコンサートも開催できる空間を持っている。市が出資している財団法人となっている。
日光の二荒山神社の神官の父は平田派の国学者だった。幼名国太郎は尋常中学校1年で退学し、日光の五百城文哉の内弟子となり絵を学ぶ。そして後に小山正太郎の不同学舎に入学する。ここで同窓だった萩原守衛は「天下の俊才は青木(繁二郎)と君(国太郎)と僕ばかりだった」と述べているように、国太郎の才能はずば抜けていたらしい。
20歳となった国太郎は、小杉未醒(みせい)と名前を変え、油を志す。彼はとても器用で、漫画家、挿絵画家などでも活躍するが、交友範囲も広い。国木田独歩横山大観という年上の大家とも対等の関係を保持していたし、田山花袋などとも親交があった。山口昌男は「時代精神が最も望ましい形で現れるネットワークを形成する力」があったと言っている。
小杉は文展で活躍するが、夏目漱石からも朝日新聞紙上で絶賛されている。また友人の芥川龍之介は「何時も妙に寂しそうな薄ら寒い影がまとはっている」と評していた。
32歳で洋画修行のため渡欧し、ピカソマチスに傾倒する。しかし、「西洋画は体質にあわない」として日本画へ転向する。そして帰国後は二科会と日本 美術院の再興運動に参加し、日本美術院の洋画部を主宰する。しかしそのいずれからも脱退し、春陽会を結成しその中心になる。ここでは中川一政萬鉄五郎岸田劉生梅原龍三郎らと親交を深めている。
昭和以降はもっぱら日本語を描くようになり、放庵と名を改める。そして風景から花鳥、道釈を対象とする。この道釈とは、良寛など有名な人物を描くことをさしている。
放庵は、写生は重視したが、「自己の想像的自然を創造しなくては画にならないのである」と述べている。
明治・大正・昭和という時代の流れの中で、常に美術界の中心にて、洋画と日本画の狭間で独自の境地を拓いた。洋画と邦画の二筋の道を歩いた。この人物は、短歌、随筆、批評もこなすなど、一筋の道を歩むにはあまりに興味が広く、またそれをこなす才能が備わっていたのであろう。
東大安田講堂の壁画が小杉の描いた代表作のひとつで、「動意」「静意」「湧泉」「彩果」などがある。絵を見てまわったが、洋画にも和風の味がある。風景や動植物は人物画もいい。

以上は2017年12月30日の放菴の誕生日に書いた記事だ。以下、加筆する。私の友人の松田俊秀君が放菴の孫の画家・小杉小二郎さんと親しいこともあり、誘いを受けて、 2020年2月22日に四谷三丁目の美術愛住館で「甦る日々 静かに時は流れ 小杉小二郎展」をみた。友人の日経新聞文化部の中澤義則編集委員のインタビューで小杉画伯に迫る対談も楽しんだ。「恐れないで新しいことにトライしています」「これからもずっと今のペースで続けていきたい」「なにゆえに描くのか。自分の知らない自分探しというところがある」

その後、松田君から贈ってもらった『耶馬渓紀行』(田山花袋著、小杉放菴画)を読了した。画家の小杉放菴を連れとして、文豪の田山花袋が語る旅行記である。私の故郷・中津から耶馬渓を中心に、ふる里の名勝について、目を開かされた本だ。

時間的に古いものは現代に於いては新しい感覚にあふれている、ということがよくある。異質の空間の接触においては、古いものを新しいと感じることがよくある。相手の文化にないものは自分たちには古くても相手に変化を与えてくれる。時間の流れと空間の広がりの中で、対象と筆法を変化させていく、それが芸術の醍醐味だろう。芸術は進化しない、ただ変化するだけだ。

 

 『耶馬渓紀行』(田山花袋著、小杉放菴画)