朝日新聞から梅棹忠夫『知的生産の技術』についての取材。7日間ブックカバーチャレンジ5日目は柴生田俊一『子ども地球歳時記』

朝日新聞から1時間ほど電話取材を受けた。梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書)をとりあげるとのこと。発刊から50年経って、現在は147万部まで積み上がっている名著だ。この本が読まれた時代背景、その反響についての取材だった。反響の一つが私も関与し続けているNPO法人知的生産の技術研究会だ。情報産業論、文明の生態史観、800回を超えるセミナー、情報を扱うのが仕事になった、時代認識と知的生産の方法論、最近の全国の活動地域知研(東京・関・岡山に加え、沖縄・九州・東北・北海道・宮島の発足)、民博での50周年企画、人生100年時代、どう生きるか、、、。

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・秘書とZOOMミーティング。

・ヨガ2本。

・近所では、ココスとデニーズしか行くところがなくなった。

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「コロナ生活の間に本を読もう! #7日間ブックカバーチャレンジ5日目」

柴生田俊一『子ども地球歳時記』(日本地域社会研究所)。

「1964年と2020年の東京五輪をまたぐJALハイク・プロジェクト50年超の軌跡」。229ページ。横書き。本体1800円。オビは大岡信朝日新聞折々のうた」から。

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「名言との対話」4月30日。田辺元「悠久の大義のために死ねば、永遠に生きられる」

田辺 元(たなべ はじめ、1885年2月3日 - 1962年4月29日)は、日本の哲学者

第一高等学校理科卒業後、東京帝国大学理科数学科に入学する。文科哲学科に転科し、卒業。中学校の教師、東北帝国大学講師を経て、1919年、西田幾太郎の招きにより京都帝国大学文学部哲学科助教授に就任。西田と並んで「京都学派」の基礎を築く。1928年、教授。1945年、終戦前に退官し、北軽井沢に移居。戦後も執筆活動を続け、「懺悔道としての哲学」「キリスト教の弁証」「哲学入門」を著した。1950年文化勲章を受賞。1962年、77歳で没した。

 田辺元哲学書は難しい。今回佐藤優『学生を戦地へ送るには 田辺元「悪魔の京大講義」を読む』(新潮社)を読んだ。1940年に岩波書店からでた『歴史的現実』という本で、京都帝大での6回の講義をまとめたものだ。この内容を二泊三日で読み合わせをしながら解説している。「国のために死ね」という論理の本で、当時ベストセラーになり、動員された学徒が感化され納得して特攻隊で死んだ。それを佐藤は「悪魔の京大講義」と呼んでいる。

以下、田辺元の言葉から。

「国家は対内的に個人を統制して自己に統一する(内治)とともに、対外的に自己を主張する。この両面を統一することが政治である」。「個人は種族を媒介にしてその中に死ぬことによって却て生きる」。「個人は国家を通して人類の文化の建設に参与することによって永遠につながることができるのである」。「死を媒介にして生きることにより生死の対立を超え、生死に拘わらない立場に立つとという事である」。 「歴史に於て永遠なるものの建設に身を捧げ、かかる境地を実現した個人は、同時に他の個人を覚醒せしめる力を持つものである」

佐藤のかみくだいた解説を聴こう。

田辺元は戦争末期の1945年3月31日に退職して軽井沢にこもった。各国公館がある場所は空爆しないことになっていた。安全だったからである。軽井沢では野上弥生子と老いらくの恋をしている。こういう人は信用してはいけない。 

田辺元の「種の論理」について。全体主義の根底になるのは、その全体を作り出している「種」(種族)だ。この種がしっかり残っていないと集団は滅びるから、自分たちのグループがいかに生きるかだけを考えていく。いくつもある「種」から「類」が形成されていく。 中間的な「種」が基本単位で、そこから個体が生まれ、全体が生まれていく。それは全体主義である。全体は複数あり、切磋琢磨して世の中が成り立っている。これとまったく別なモデルが一つの原理で世界を覆おうという普遍主義だ。市場原理主義新自由主義は普遍主義だ。そこでは個体はアトム的なる。そこでは競争で勝った人間が総どりできる。普遍主義は強者に都合がいい価値観だ。

日本を種とみた場合は、個々の家族が個体となる。家族が種とみた場合は個人がそれぞれが個体となる。種と個体は固定的な関係ではない。

自発的、自主的に個人が協力することが種族の統一を維持発展することになり、種族のためと言うことが個人のためと言う意味を持つ。これが自発的協力という翼賛思想だ。

家族が同心円の中心にあって、その外側に国家があって、その外側に世界があると言う同心円。だから、国家すなわち自己とは何かと言うと、自己すなわち国家になってしまう。

いかによく生きるかという事は、いかによく死ぬかってことなんだ。人生は長く生きるとか、短く生きるとかってことじゃないんだ。

 お母さん、お父さん、妹、妻、娘、息子、友人、町の仲間、その延長線上にいる自分たちと同じような家族を持っている、1人ひとりの日本人。そんな同胞を守るために死ぬんだよ。それが結果として国家のためにもなるんだ。

日本でもテロが起これば、自由と権利が制限される事態が生じかねない。そのときは田辺元の展開した総力戦の哲学に似たものになる。

難解な田辺元の哲学を佐藤優が徹底的な批判をしながら読み解いてくれたので、大東亜戦争時に戦地へ赴く若者のバイブルとなった書を理解できた気がする。「悠久の大義のために死ねば、永遠に生きられる」というアジテーションは危険だ。佐藤は田辺元の思想を扱わざるを得ないほど危機的な時代にわれわれは生きているのだと警鐘を鳴らしている。この本は2017年に出ている。それから3年、新型コロナという脅威によって、本当の危機が迫っているのかも知れない。

学生を戦地へ送るには: 田辺元「悪魔の京大講義」を読む