朝日新聞夕刊の「知的生産の技術」特集。「知的武装」の方法を提案した書。知研も写真付きで紹介された。

本日6月3日の朝日新聞夕刊の「時代の栞」のテーマは、「知的生産の技術」(1969年刊 梅棹忠夫)だ。藤生京子記者から私もインタビューを受けており、登場している。 

知的生産の技術 (岩波新書)

知的生産の技術 (岩波新書)

 

 毎月第一水曜日に掲載される特集で、ある時代を象徴する本を取り上げ、その本が話題になった背景や、その後の影響などを幅広く分析するという優れた企画だ。右下の会合の写真は、2018年6月の知的生産の技術研究会の例会セミナーの様子。梅棹先生の40代前半の自宅の書斎での姿の写真を初めてみた。知的生産を志す人にファイトを湧かせるいい写真である。

岩波新書『知的生産の技術』は、 1969年のベストセラー4位。ブームから51年たち、100刷、145万部で、岩波新書歴代4位。工業時代の次の時代である「情報産業時代」に個人が向き合うための「知的武装」の方法を提案したのがこの本だとして紹介されている。来月は桐野夏生「OUT]の予定。

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以下、関係者、影響を受けた人たちのインタビューを抜粋。

小川壽夫(元編集者)「学術研究の成果を啓蒙する当時の新書の常識としては、確かに異色でしたから」

吉岡忍(ノンフィクション作家)「情報爆発を体感した時代」「教養主義の崩壊の始まりともリンク」

久恒啓一(多摩大特任教授)「実行がかんじんである、という梅棹の言葉が腑に落ちてきた」「本に刺激を受けた会社員らの勉強会・知的生産の技術研究会を訪ねると、同世代が自分の頭で考える方法を模索していた。どこにいても、仕事も学びも続けていける。そんな手応えを得られた気がします」

飯田卓(国立民族学博物館教授)「内容の幅広さ、誰にもまねできると思わせる機能性と開放性。それこそが梅棹的な思想です」

吉見俊哉(東大教授)「今後は個人の知的武装を超えた、社会的な条件を問う時期にきている」

吉川浩満(文筆家)「専門家と違うやり方で発信する、生産する消費者のつもりでやってきました」

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新宿「ルノアール」で、川柳名「不良長寿」こと松田君と、共著の「フォト川柳」の謀議。

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「名言との対話」6月3日。ヨハネ23世「わたしは小さな荷車を引く、小ロバのようなものです。大きな重いものは運びませんが、いつも働いています」 

ヨハネ23世ラテン語: Ioannes PP. XXIII英語: John XXIII1881年11月25日-1963年6月3日)はローマ教皇(在位:1958年10月28日-1963年6月3日)、カトリック教会司祭

1958年10月28日、ピオ12世の後を継いで、76歳で教皇に選出され、ヨハネ23世を名乗った。さて、ローマ教皇とは何か。ペテロの後継者を任じていたが、教皇の権威が増すにつれて「イエス・キリストの代理者」呼ばれるようになった。ローマ市内にある世界最小の独立国家バチカン首長という国家元首たる地位もある。ローマ法王とも呼ばれるが、正式にはローマ教皇が正しい。

ヨハネ23世は76歳で教皇となり中継ぎと思われたが、そうではなかった。カトリック教会の近代化を意図し、誰もが予期しなかった公会議の開催を指示し、1962年10月、第2バチカン公会議の開催にこぎつけた。しかし胃がんい侵されてた教皇は会議の終了を待たずに世を去った。 史上初めて世界五大陸から投票権を持つ参加者 (公会議教父) が集まった。教会の現代化をテーマに多くの議論が行われ、以後の教会の刷新の原動力となった。

神学校時代の14歳から書き始めたヨハネ23世の信仰の記録「魂の日記」は、生涯書き続けられた。その中で、自分を律する言葉を書き連ねている。、、悪友と交わらない。乱暴な言辞をしない。女生と交わらない。禁欲。葡萄酒は飲まない。新しいことや書物に熱中しない。、、、自分を聖化することによて、この世の俗なるものをも聖化しようとする聖人の道を歩くこうとしたのだ。『教皇ヨハネ23世』を読んで、神父とはこのような積み重ねの人なのだということが私にもわかった。

1932年に教皇巡察使から大使としてルーマニアに昇任するといわれていたが、実際には神学校の同級生にさらわれてしまう。この時に、ある神父にあてた手紙の中に、冒頭に掲げたこの「小ロバ」が出てくる。「無視され、無にひとしい者と思われることを愛せよ」と、失望せず、勇敢に困難に立ち向かった。また上長として気をつけることとして、形式主義の陥らないことと、部下との協力関係を築くこととしている。そういった心構えが、いつしか人々の信任を得たのだろう。

「私は自分の蔓から無用の葉っぱをすべて取り去り、誠実、公正、慈悲なるものに集中しなくてはならない」との決心のとおり、4年半の時間しかなった教皇の地位にある間に、公会議の開催と成功という大仕事をやり遂げた。それはキリスト教世界の将来への大きな布石となった。

教皇ヨハネ23世 第二バチカン公会議を開い

教皇ヨハネ23世 第二バチカン公会議を開い

  • 作者:青山 玄
  • 発売日: 2014/12/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)