オンライン出版記念パーティを初体験ーーリアルなパーティよりも実がある。さらなる可能性も感じた。

橘川さんの『参加型社会宣言』のオンライン出版記念パーティ。17時から。32名参加。
リアルのパーティでは、人との会話や、酒・食べ物に気をとられて、挨拶はあまり聞いてはいないことが多いが、オンラインだときちんと聞くことになる。リアルだとあまり多くの人と会話はできないが、オンラインだと出席者同士が著者を介在して知り合いになる可能性が高い。
数時間にわたり、一人3分づつのエキスを聞き、主宰者の著者が紹介するコメントを聞くのは得難い体験だ。こういうパーティも、リアルよりオンラインかもしれない。やり方はまだ工夫できそうだ。私もやってみようかな。
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オープニングの演奏は星ゆうすけ(インドから)。
来賓挨拶は中村伊知哉(iU専門職大学学長)「やられた。超客員教授」。乾杯は久米信行(iU教授)「20年後につぎの出版記念パーティを。暇つぶし社会」。
祝辞の最初は私が指名された。「コロナ禍でなくコロナ渦。橘川さんは渦。エライ人が年を取ってダメになるのは人脈、情脈が枯れるから。最先端と最前線。千里馬を見出す目利きである名伯楽。最先端からエネルギーを補給し続けて最前線で時代の中心であばれている。ZOOM、クラウドファンディングなど私も渦に巻き込まれている。未来のためにもっと大きな渦に」
大久保「保坂の政治塾。内田裕也土井たか子」。為本「教育。資本主義と民主主義が終わる」。滑川海彦「タイミング!」。遊佐ひとみ「会計」。和田嘉弘「インテリジェント代表。20年」。大野誠一「リクルート、、。公文情報塾。リスペクト」。西野弘「25年。日本沈没。大企業は昭和のまま。ビジョンペーパー。次はスマート・スモールカントリーの研究」。鈴木敏行「企画書」。妹尾みえ「ライター。ブルース。やっくんがゲームクリエータで100万本」。西岡真由美「離島をターゲットにしたオンライン家庭教師事業」。NAOKI SEIJI「高山先生。松岡正剛の師範」。高崎よしかず「ドレミング。板前から。貧乏人を救う。20億人の金融難民」。宮崎よしすけ「一本歯ゲタ。スポーツ選手たちに本を配る。和歌山未来フェス」。浅田カズノリ「熱中小学校。ルーター。盲人のためのアプリは100万本、27ヵ国」。前田「一日一回本を送っている」。伊藤「リーフラス代表。子どものスポーツ指導。32県、5万人」。たまこ「仙台。生き方と文章が同じ」。高野雅治「20年。未来フェス」。松永「よはっと図形」。浅沼正治「書評家。noteに投稿」。堀てつひこ「ブロックチェーンの会社」。中山よここ「半農半X。テレワーク。移住」。竹越和貴「気分調査。ベネッセ」。津田博史「ヤミ大学」。中能ひろみ「熊本。美しい本。明るい示唆。」。田原正人「マレーシアから。ZOOM革命。双方向コミュニケーション。ヤミ大学よろめき歩行学部」。鈴木太夢「期待通り。五條堀先生」。
橘川幸夫「林雄二郎。君は偉い。宮沢賢治。1対1の関係。20冊の本。推薦文。本を書くということ。推敲なしのネット、書き直し、寝かす本。ネットは空間を超える。本は時間を超える。
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午前:オンライン講座についてのまとめ。
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「名言との対話」7月11日。小松方正「死なない限り、俺は舞台に立つ。役者とはそういうもんなんだ」
小松 方正(こまつ ほうせい、1926年大正15年〉11月4日 - 2003年平成15年〉7月11日)は、俳優声優
長野県生まれ。中央大学専門部卒。大蔵省勤務時代より演劇に熱中し、俳優を志す。1953年、真空地帯』に大住軍曹役で出演。1957年『26人の逃亡者』で映画デビュー。以来、個性派俳優として、舞台、テレビなどで活躍した。大島渚の独立プロ「創造社」に参加する。以降大島作品の常連俳優となり、『太陽の墓場』や『絞死刑』、『儀式』などの作品で活躍した。アクの強い悪役敵役などが中心だが、演技力は幅広く、日本を代表する名脇役だった。大島渚監督との出会いが運命を変えたと自覚していた。1972年、45歳の時に22歳年下の女性と結婚した。仲人は大島渚・小山明子夫妻がつとめている。
脇役として出演するこの人の顔と演技はよく目にした。主役級の役者はなかなか脇役にはなれないだろうから、脇役の方が仕事が多いのではないかと、出演作品のリストをながめながら思った。

 1982年から1999年の18年間にわたる大病との凄絶な闘いと、病を通して強くなった夫婦の絆が書かれた『俺は元気は大病人』(第三文明社)を読んだ。亡くなる3年前に書いた本だ。頭蓋骨骨折、糖尿病、慢性腎不全、人工透析脳梗塞、直腸ガン、大腸ガンの再発、、などまさに病気のデパート状態の後半生だ。闘病生活の中で小松は俳句を覚えた。「尽くす友とも 報わざるとも 百合の花」は、妻への感謝の句である。 「逆境の恩寵」をかみしめながら、一日一日を丁寧に生きていく。

「大事なのは、病気になってからどうするかということだ。、、ひと通り経験したら、今度はそこから這い上がることを考えなければならない」「講演を成功させようとすると、痛みも感じないようになり、神経が仕事の方に向いていく」。病気は死ではない。「天職と思う役者稼業だけを一生懸命やろう。どんな仕事も断らない」。舞台に立つと思うとエネルギーが湧いてくる。それが小松方正の役者魂である。