追悼! 外山滋比古先生逝くーー「知的生活」を貫いた超老人。享年96。

外山滋比古先生が7月30日に亡くなったというニュースが流れた。享年96。「知的生活」を志す私が若い頃から影響を受けてきた人だ。晩年の「超老人」としての過ごし方にも教えられた。

以下、追悼の意をこめて、私のブログでの外山先生に関する記述をピックアップ。

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2018年9月27日:『効く「ビジネス書」徹底ガイド』(宝島社)で、毎日の習慣に影響を与えたビジネス書の8冊の本の1冊として紹介した。 外山滋比古「知的生活習慣」。90歳を超えた外山節がさく裂。知的生活習慣を身につけてよりすぐれた人間になることを志すことが新しい生き方だという考え方である。日記を毎日つけて、日々のゴミを出して壮快な毎日を送ろう。図書館は本を読む場所というより、ものを書く場所として活用しよう。

2018年1月3日:外山滋比古「面白いことに夢中になって年を忘れているうちに死ぬ。これが一番」。

最後の「残照夢志」のページには以下の叙述がある。誕生日には「うかうかしてはいられない。もっと大きな仕事をしなくてはいけない」と思った。「本当に考えるとはどういうことか」「忘却の効用」をより深く新しく考究しよう。それらをライフワークにしよう。「超老人の志」として、「新しい勉強」をしようと決心した。91歳で志を立てたたのだ。 この超老人の一日の生活リズム(日課)は以下のようになっている。4時半起床。5時46分の始発で茗荷谷駅から丸ノ内線で大手町に5時56分着。半蔵門線九段下駅に6時5分到着。定期を買っている。北の丸公園に向かい、6時半からのラジオ体操を顔見知りと一緒に行う。皇居の周りを回る。半蔵門三宅坂桜田門二重橋大手町駅へ。地下道の喫茶で一服しカプチーノを飲む。地下鉄で座って帰宅。自宅到着は8時過ぎ。歩数は1万歩。朝食のしたくをし、食べ終わると8時40分。後片付けをしてひと寝入り(また寝)。長くて1時間。あるいは新聞。全ページの見出しを見て、一つ本文を読む。11時にまた寝から覚めて郵便物を処理し、自宅近くの図書館に向かう。図書館は書斎代わりで原稿書きを2時間。場所を変えるのがいい。午後1時には家に戻る。昼食をつくって食べ終わると午後2時。再び図書館に戻る。午後5時に帰宅。雑事を済ます。午後7時から夕食のしたく。午後8時に食べ始め、8時半に片付け。午後9時には床につく。テレビは見ない。
知的生活習慣 (ちくま新書)

知的生活習慣 (ちくま新書)

 
90歳を超えているが相変わらずの外山節を久しぶりに楽しんだ。15年ほど前に幕張の市町村アカデミーのパーティでお会いしたことがある。その時は知研の講師で来ていただいたことが話題になった。この本のポイントは、知的生活習慣を身につけてよりすぐれた人間になることを志すことが新しい生き方だという考え方である。そして生活を失った教育に問題があると述べている。日記を毎日つけて、日々のゴミを出して壮快な毎日を送ろう。図書館は本を読む場所というより、ものを書く場所として活用しよう。メモ魔。ランチョンパーティ。夕方の食前の時間。共同生活が重要。俳句は農村の詩であり川柳は都会の詩である。川柳には知性が必要。高齢者に向いている。
中央公論」5月号は「特集 知的整理法革命」で、6人の発言を紹介している。外山滋比古「何歳になっても思考力は鍛えられる」。外山滋比古は、知ること(知識)と考えること(思考)の違いを強調した上で、思考力を磨くには外国語の読解と本をあまり読まないことをすすめている。知識が増えるのはよくないことであり、人間としての勉強をすべきだと語っている。
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大学:春学期の成績付けが終了。最終レポートではパワーポイントを使った「都知事選」の公約の図解が提出された。昨年までは手描きでもやむなしとしていたが、ZOOMのリモート授業では今年はほぼ全員がパワーポイントで出してきた。これもリモート授業の成果の一つだ。久米さの新設の大学「iU」の学生の発表大会をZOOMで少しみた。1年生の春学期終了時としてはレベルが高い。先生たちの指導がいいのだろう
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夜は、橘川さんと私塾連合のYAMI大学深呼吸学部の特別学科モデルのディレクションを受ける。noteを使ったシステム設計。図解塾を開講することにした。
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「名言との対話」8月6日。岸本水府「私たちの求めんとする川柳は、小徒然草、小茶話即ち「エッセイの縮図」であるという自信を持って、進みたいと思っているのであります」
 岸本 水府(きしもと すいふ、1892年2月29日 - 1965年8月6日)は、大正昭和初期の川柳作家、コピーライター。番傘川柳社会長。日本文藝家協会会員。

1913年西田当百等とともに番傘川柳社を組織し『番傘』を創刊、のちに編集主幹。そのかたわら、コピーライターとして福助足袋(現:福助)、壽屋(現:サントリー)、グリコ(現:江崎グリコ。広告部長)、桃谷順天館等の各社の広告を担当した。豆文広告を発案。1936年に「一粒300メートル」、「穿く身になって作る足袋」など名コピーライターだった。OSK日本歌劇団松竹歌劇団のテーマ曲「桜咲く国」の作詞者として知られる。

著書に『母百句』・『川柳手引』等がある。田辺聖子による評伝『道頓堀の雨に別れて以来なり』があり、田辺は同作で読売文学賞および泉鏡花文学賞を受賞した。

今川乱魚・大野風太郎監修『岸本水府の川柳と詩想』(新葉館ブックス)を読んだ。以下、岸本水府の本格川柳論から。

僕たちは本格川柳と呼ぼう。

私は私たちの本格川柳道の信念にあやまちなきを信じ、研鑽と自重をもってこの上の前身を誓うものである。

私たちの川柳から各人が陳腐平凡を追放すれば、本格川柳は光る。

己の信ずるところに進むことを芸術の、川柳の本当と言わなければならない。

柳家一人が、すべての場合川柳全体を代表していると思わねばならない。

川柳は日本人の言葉のリズムに合った十七音字を日常語で行く人間諷詠であり、喜びあ、悲しみ、笑い、矛盾、皮肉、軽快、あこがれ、理想が存分に奏でられる街頭録音である。何という奔放自在な文芸なのであろうか。

私たちの求めんとする川柳は、小徒然草、小茶話即ち「エッセイの縮図」であるという自信を持って、進みたいと思っているのであります。

一家をなしている川柳家の無気力なことに驚かずにはいられない。

私たちの渇仰する川柳が、その日その日の思いを最も感銘に、私たちの知っている範囲の平易な文字を持って、告げ、訴え、叫び得るとすれば、川柳ほど便利で、早わかりして、しかも深刻な、近代思想にかなった文芸はない。

日常生活にも、人としての悩みやいろいろな思いがあるのですが、それを片っ端から川柳にしていくことは、生きていくうえの何者かの要求に応じているような心持ちがするのであります。

川柳 境地は明るいものであります。そして短詩型のくせに自由であります。簡易であります。

川柳は、清新な小気味よい、人の世の姿を忠実に鋭く描く文芸であります。

人の言い尽くしたことを繰り返しても人は手を打ってくれません。川柳に詠むものは新しくなければなりません。

その人に限り、その人でなければ詠えないような作品こそ、本当の川柳であります。

穿ちは警句であります。寸鉄殺人的な言葉であります。わずか十七字の中でピリッとした利き目を見せて、それで一幕ものを見たり、短編を読むくらいの力を持たせなければなりません。

穿ちすぎると失敗します。皮肉を言い過ぎると嫌味になります。ですから穿ち、皮肉には注意して、落ち着きのある句を示さなければなりません。

滑稽を一歩誤ってクスクスになると同じく、穿ちが誤ると理屈に陥ります。理屈をこねていては川柳にはなりません。

滑稽と言えばクスクス笑わせるのが本格ではありません。真の滑稽には涙があるくらいです。

滑稽は自然に湧き出たものでなければなりません。拵え上げたものではだれも笑いません。

軽みとは、さっぱりした垢抜けのしたものであります。

平凡の中に川柳味を見いだすこと、それが平淡であります。乃ち平凡は苦労なしのこと、平淡はあらゆる事柄を切りぬけて出た境地であります。

川柳には技巧がなくてはなりません。平凡な事柄でも技巧によって活かすことができます。

川柳は字数が少ないので、省略法が何よりのたよりとなります。しかし無理な省略は句を傷つけ意味をなさぬようなことになります。省略には技巧を要します。

題で作っても、題は後に除かれるものとして作らなければなりません。

一つの題に類想が多いことは、既に先人の作にも類想があるとみても差し支えなく、類想が多ければ多いほど平凡または陳腐と見ることができると思われます。

無理な言葉は使わなぬこと 十七字にまとまらぬからといって、無理な言葉を使うことは絶対に許されません。川柳は民衆詩ですから、私たちが日常に使っている言葉を根本とします。

下品なことは絶対排斥 川柳は下品なことを嫌います。社会のアラを作るものだと思ってそんなことを川柳の本質のように誤解している人があるようです。下女や居候を詠んで読んでいるものとも違います。

初心者時代には自分だけにわかって人にわからぬ句をよく作ってくるものです(中略)出来た句は必ず人に示して句意がはっきりしているかを見て貰うべきです。

川柳に早く上達したいが、どうすればいいかといいますと(中略)多読多作が一番早道でしょう。

川柳を作るような人は、冷静に自分は何処にあるかを見て、頓挫することなく思う方向に進むべきであります

人前で呼ばれても恥ずかしくないようなが雅号でなければなりません。短冊に書ける雅号でなければなりません。雅号はホンの符牒には違いありませんが、名は人格に関するものであります。

あなたの句に気取った句、気障な句はありませんか。あまりにも川柳的な句はありませんか。川柳という物差しを持つのが窮屈なら、せめて川柳と言う鏡を持って時々顔を見てください。

俄づくりの吟詠とそれでないのと、句稿をみてわかるのが選者である。

今日の川柳は(中略)近代人の鋭い感覚さえも盛られ、昔ながらの川柳の穿ちや、滑稽や軽みの外に、ある時は寂しさや、切ない情感までも詠破して、人の心にぐんぐん喰い言入るものであります。

川柳は人間そのものを丸出しにした、生活記録、人生批判の街の詩であります。

川柳は自然を描いても、それを人間世界におく、これが俳句と川柳の違いでしょう。

川柳は古川柳の昔からその時々の言葉を使っていますから、生まれながらにして新しいものであると言える訳です。川柳は現代語を用いるべきです。

「感覚」に幾分の古川柳方を加えて、人間を見る、人間を評する、よき味わいを保持するのが近代の川柳ではないか。

今の人の心を歌ったのならそれで新しい句である。

人間生活の姿、形、行いを「まこと」をもって詠じたものであり、「清明爽澄凛」を保持していきたい。

「世相風刺」--それは、花ひらくこれからの川柳のいのちであろう。

生きた時代色、新しい風俗人情が句の上に出るのは川柳の命だとおもう。

川柳にに限らず、文芸は「共感」ーーー多くの人の喝采ーーされなければ価値がありません。
川柳を作っているといつも明るい心になれる。明るい心は真面目である。川柳はふざけてはいけない。人間不諷詠である。

 「ぬぎすててうちが一番よいという」「凡人という凡人でない証拠」「乗るとすぐタクシー代を握る母」「美しい指みな動く酒のかん」などの傑作もいいが、何より「本格川柳」を標榜して川柳刷新運動を先導した思想が素晴らしい。川柳道、川柳家、、、そして「人間諷詠」という川柳の本質をあらわす言葉に感銘を受けた。心を詠ずる短歌でもない、自然を詠む俳句でもない、私には人間諷詠の川柳が合っているようだ。 

岸本水府の川柳と詩想 (新葉館ブックス)

岸本水府の川柳と詩想 (新葉館ブックス)