9月開講のYAMI大学深呼吸学部の講座「深呼吸する言葉」(橘川幸夫)の初回を視聴してみた。

夕方の散歩での「後ろ姿探検隊」の久しぶりのショット。

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夜は「YAMI大学」深呼吸学部の橘川さんの授業の1回目。私も9月に「図解塾」を開講するので視聴者として参加してみた。旭川、仙台、ハワイから11人が参加。実に面白い。

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時代の上に生きる。ホットポイントにカンのいい人が集まる。60年代はロックとコミっクス。80年代はマーケッティングと広告。90年代はデジタルとネット。2000年代はソーシャル。社会は時代を後から追いかけてくる。

YAMI大学:大学は漆黒の闇の中にある。リモート8と対面2。ハコから先生へ。私塾のポータルサイト

言葉はリアルの現場からメディアに移動。言葉は見られ記録される。実存を自身の言葉に仮託し結晶化する。深呼吸する言葉。発語のトレーニング。

出席点呼。想像ワーク。講義。1000本ノック。近況報告。チェックアウト。

出席点呼:お題。好きな食べ物、故郷、失ったもの、、、。自己紹介と。

想像ワーク:書くことを日常化する。常に想像している。単に作業として書くだけ。行動は下から、内から。曹操は上から、遠くから、天空から。想像力を鍛える。小3生の自分を想像。

講義:30歳で本を読むのをやめた。自分で発見しよう。何をインプットするか。人が知らないことが大事。古本、業界紙、、。論理でなく詩。見るとは何か。物体は普遍ではなくさまざまに認識されている。人間の数だけ違う世界認識がある。自分の言葉を発する。アーチストは超えていく。能動的にみる。美しいものを見たいと思っていると見えるようになう。意識。存在(現在の自分)+意識(こうありたい)=努力した結果が自分。17文字の俳句はスナップ写真、31文字の短歌はショート動画。流れ、動き、論理がある。tiktok。100文字の自由詩を発明。深呼吸する言葉。6000本を組み合わせ。

一人ぼっち。根性。青空。嘘。単語を思い切り広げて、100文字に凝縮する。「ひとりぼっち」(一人ぼっちとは変な言葉だ。2人でも、10人でも、100人でも、みんな「ぼっち」だ。自分と仲間の中を探る、コミュニティの外部を探検する、内的世界の深化と外的世界の拡大の相互作用で人は人となっていく)。アイフォンのバランスノートを下書き。組み合わせで本をつくっていく。

無限教師:動画・問題・正解・不正解は再び動画。このサイクルで学んでいく。誰もがつくれるe-learning。自分が学ぶことが社会の資産になるという考え方。BIでは学ぶことが労働となり対価が発生する。教はオンラインで知識、育はリアルな関係性、コミュニケーション。学校は友達をつくるところ。

講談は読み聞かせ。明治大正の実用書は宝の山。「通」のシリーズ。一次情報。食の古本屋。大正は多様な文化が花開く時代。デジタルとアナログの両方を追求。バブルはアヘン。バブルのなかった80年代。瞑想。内面と宇宙の往復。ポール・バレリーの「箴言集」。

チェックアウト:名言集と箴言集。「名言との対話」は歴史と人物との対話から触発されて自分の思想を引き出す作業。「深呼吸する言葉」は自分の想像力で自分の思想を生み出す作業。

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土曜日の朝はヨガ:男性2人だけだから、丁寧に指導してもらえるので1時間のレッスンが早く経つ。

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「名言との対話」8月8日。田中殖一「おいしいと感じる度合が60%~80%のものをあえて採用した」

田中 殖一(たなか ふいち、1907年明治40年)1月1日 - 2008年平成20年)8月8日)は、日本実業家徳島製粉創業者。

徳島県生まれ。1947年徳島製粉を設立し、自社ブランドの小麦粉「金鶴」(キンツル)を製造販売する。大手パン屋の攻勢を受けて小麦粉の売上が落ちてきたため、ラーメンづくりを始め、1965年に即席麺「キンツルラーメン」を発売。1967年に「金ちゃんラーメン」に名称変更し、カップ麺「金ちゃんヌードル」等とともに全国で販売した。

「金ちゃん」の名称は徳島製粉で製造していた小麦粉の商品名「鳴門金鶴」(なるときんつる)に由来する。、金ちゃんラーメンの包装には鶴を模ったロゴマークが描かれている。またデザインの中に“田”という字を丸で囲んだマークがある。これは創業者・田中殖一の“田”だ。

1971年に発売したカップ麺「金ちゃんヌードル」は、コシが強く、食感が硬い麺の歯切れがよいのが特徴で、カップのふたがきちんと閉まり、出来上がり後も冷めにくいため、全国で人気を集めた。田中には卓越した経営手腕と見識があった。今回、出演したテレビCMを何本か見た。田中社長自ら出演し、漫才の今いくよ・くるよ等と共演するなどしてお茶の間に知られた。

1970年黄綬褒章1976年に勲五等双光旭日章を受けている。1988年10月からは徳島商工会議所名誉議員徳島県製粉協会会長、全国製粉協議会副会長などを歴任した。

田中殖一は「おいしいと感じる度合が60%~80%のもの」をあえて採用した。少し物足りない味の方がリピート購入していただけると考えたという。後継者たちは、「飽きのこない味づくり」を心掛けており、一口目で「おいしい!」というよりは、一杯を食べ切ったときに「ああおいしかった、また食べたいな」と思えるような商品開発に取り組んでいるとインタビューで答えている。徳島製粉は、現在では従業員130名で、年商80億円までになっている。

88歳の米寿を記念して会社の敷地内に寿像を建設する。その完成記念祝賀会には取引先や地元の政・財界など関係者約400名が招待され、盛大に催された。それから13年後、田中殖一は101歳で昇天する。kotiba 百寿者、センテナリアンである。