ロナルド・ドーアーー「誰のための会社にするか」。図書館で本の除菌機器に驚く。

筆債を一つ返す。

「名言との対話」11月13日。ロナルド・ドーア「誰のための会社にするか」

 ロナルド・フィリップ・ドーア1925年2月1日 - 2018年11月13日)は、イギリス社会学者。93歳で死去。

英国ボーンマス出身。第2次大戦中に日本語を学び、戦後に日本へ留学。近現代の日本社会の生活様式や学歴社会、日本的経営など様々な分野について、各国との比較研究を行った。ロンドン大学のほか、カナダや米国でも教壇に立った。

専攻は日本の経済および社会構造、資本主義の比較研究で、知日派として知られる。実地調査に基づく理論構築に優れ、社会学のみならず、経済学、人類学、歴史学、比較産業研究の各分野に貢献した。 ロンドン大学名誉教授、同志社大学名誉文化博士。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス特別研究員、英国学士院会員、アメリカ芸術科学アカデミー会員、日本学士院客員。

日本に関する著書は多い。『都市の日本人』 1962。『日本の農地改革』1965。『江戸時代の教育』 1970。『学歴社会新しい文明病 1978 。『貿易摩擦社会学 イギリスと日本』1986。『イギリスの工場・日本の工場 労使関係の比較社会学』 1987 。『21世紀は個人主義の時代か 西欧の系譜と日本1991『「こうしよう」と言える日本』朝日新聞社 1993。『不思議な国日本』 1994。『「公」を「私」すべからず やっぱり不思議な国日本』 1997。『日本型資本主義と市場主義の衝突 日・独対アングロサクソン』 2001。『働くということ グローバル化と労働の新しい意味』 2005。『誰のための会社にするか』 2006。『金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱』2011。『日本の転機 ─米中の狭間でどう生き残るか』 2012。『幻滅 外国人社会学者が見た戦後日本70年』 2014。

2006年刊行の『誰のための会社にするか』(岩波新書)を改めて読んだ。ドーアについては、1979年に私がJAL勤務の20代の頃「ロンドン空港労務事情」を書いた当時から、この論客の名前は知っていた。日本的経営を評価する学者だった。

株主主権企業への流れをせきとめて、ステークホルダー企業を定着させるべきだ。人間関係、社会的効果からこちらの方が望ましい。株主、従業員、債権者、同業他社、下請け企業、地域社会、、。今までは従業員を優先する性格が多少強すぎた面はあるが、ステークホルダーを大事にするのが日本のテーマだ。以上がドーアの主張である。

「会社はだれのものか」ではなく、「誰のための会社にするか」というタイトルは、今からどうするか、という問題意識で日本が分析され、進むべき道のアドバイスが記載されている。グローバルの流れとは一線を画して日本型の経営を時代に合わせて深化させ、進化させよという主張には納得する。

誰のための会社にするか (岩波新書)

誰のための会社にするか (岩波新書)

 

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図書館で人物事典の棚を探る。『事典 近代日本の先駆者』(室田仁)。『新聞にみる人物大事典」1-5。『日本「死」人名事典 作家編』。「石原慎太郎の文学」全10巻。「小林秀雄全集」全10巻。「井伏鱒二自選全集」全11巻。「石川淳全集」全10巻。

こんなものが! 本を中に立てて入れると(数冊可能)、下から風が出て、ページが少しづつ開いて除菌されていく。ここまできたか。

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「名言との対話」8月13日。福永武彦「愛と孤独との関係に於いて、孤独は常に双六の振出である」

福永 武彦(ふくなが たけひこ、1918年大正7年)3月19日 - 1979年昭和54年)8月13日)は、日本小説家詩人フランス文学者

福岡県生まれ。一高在学中から詩作を始める。東大仏文科卒。1942年加藤周一中村真一郎らと文学グループ「マチネ・ポエティク」を結成、加藤、中村との共著『1946 文学的考察』 や、『マチネ・ポエティク詩集』 で注目され、短編集『』 を経て長編風土』や『草の花』  の成功で作家としての地位確立した。

以後、学習院大学で教鞭をとる傍ら『冥府』『廃市』『忘却の河』『海市』など、叙情性豊かな詩的世界のなかに鋭い文学的主題を見据えた作品を発表。1961年『ゴーギャンの世界』で毎日出版文化賞、1972年『死の島』で日本文学大賞を受賞。1979年、死去。

福永武彦『愛の試み』(新潮文庫)を読んだ。愛について語ったエッセイだ。人間は生きるために他者を求めていく。その魂のようなものが、生きるための人間の希望の一つだ。それを福永は愛という。愛は孤独と相対的なものだとう考えであり、この本は終始、孤独との関係で愛を語っている。以下、少し「愛と孤独」についての言葉を拾う。

内なる世界は、、常に生きて、流動して、外界の変化に連れて次第に膨張していく。

内なる世界は、生まれながらにして愛と孤独とを持っている。

愛と孤独との関係に於いて、孤独は常に双六の振出である。

愛の幸福は、、人間の精神を麻痺させる役割しか果たさない。、、愛の与える不幸は、、人の内部に鋭い傷を与える。

精神的な快楽は繰返されることによって快楽として洗練され得るが、肉体的な快楽は繰返されることによって効果を減じる。

愛は持続すべきものである。、、、節度のある持続は、実は急速な燃焼よりも遥かに美しいのだ。それが人生の智慧といったものなのだ。

愛の場を広げるために必要なのは、二人に共通の、統一された、想像力である。それは一種の豊かな幻想であり、最早「私」のものでも「お前」のものでもない、「我々」の夢みる愛の理想の形、、

 福永武彦の小説は読んだことはないが、「小説においても詩的な世界観と哲学者のような深い考察が福永作品の魅力」という評価があるのは、『愛の試み』を読み進める中で了解した。

ところで福永の息子が作家の池澤夏樹であることが今回わかった。  「叡智の断片」(集英社文庫)、「知の仕事術」(インターナショナル新書)を読み、そして池澤夏樹個人編集「日本文学全集」全 30巻を購入しそのいくつかは読んでいるから、私にとっては馴染みのある作家である。その池澤は「人間はみな荒野の旅人です。このありかたを孤独といいます。孤独というのは淋しいことではない。判断に不安がつきまとうこと。その不安に耐えることです」と孤独について語っている。父の福永武彦の「愛と孤独」についての考察を引き継いでいるようにみえる。 

愛の試み (新潮文庫)

愛の試み (新潮文庫)