土日は次の作品の準備。

停滞している単行本の企画に取り組む。この土日は著者としての編集作業に時間を費やした。材料が多いから簡単ではないが、少し光がみえてきた感がある。どの作品にも、それぞれ違うドラマがあり、その堆積が自分史となっていく。

時間を置きながら、少しづつ前進していく。時間がたって改めて眺めると、前に進んでいることが実感できる。その繰り返しだ。

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スイミング:500m

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「名言との対話」9月6日。山口洋子「長い文章のなかにある句読点のごとく、人はときおり休み、病み、考え考えあるくもの」

山口 洋子(やまぐち ようこ、1937年5月10日 - 2014年9月6日)は、日本著作家作詞家

高校を1年で中退。16歳で競輪にはまり込む。名古屋でクラブを任された。1957年東映ニューフェイス4期生となる。2年で女優をあきらめ、19歳で東京・銀座でクラブ「姫」を開店。各界著名人を顧客として抱え、経営に手腕を発揮し、「姫」は伝説のクラブになった。マダムはバンドマスターのようなもので、統率のために人を眺めつづけた。究極の人間のふれあいの場所を体当たりで生きていく。それが作詞と小説の材料になったと「NHK人物録」で語っている。

借金を払い終えた1968年頃から作詞活動を開始する。「噂の女」「よこはま・たそがれ」「ふるさと」「夜空」「うそ」「千曲川」「夢よもういちど」「雨の東京」「ブランデーグラス」「北の旅人」「アメリカ橋」などの多数のヒット作があり、特に1960年代後半から1970年代前半にかけて目覚ましい活躍をした。1973年、「夜空」でレコード大賞を受賞。作曲家平尾昌晃とのコンビはこの時代を代表するゴールデンコンビとして知られている。

1980年代、42歳からは近藤啓太郎にすすめられ、小説の創作活動も始め、1985年には『演歌の虫』、『老梅』で48歳で直木賞を受賞した。 出版点数は100冊をゆうに超える。日本音楽作家協会会長にも就任している。作詞家としてレコード大賞、小説家として直木賞、という快挙は、阿久悠でさえ叶わなかった勲章だ。

2000年刊行の63歳で書いた『生きててよかった 愛、孤独、不信、絶望の果てに』という自伝を読んだ。人生の機微を書いた自伝エッセイである。坂本冬美の本名デビュー、五木ひろしと中条きよしの命名者で、山口洋子は本名である。酒場を切り盛りし、演歌の詩を書き、人を小説で描く、そういう山口洋子は男と女の生態をみる眼が鋭い。

・女はいつも体当あたりで自分を盆の上に張って人生ドラマを歩いている。女は品格だ。下品は欲しがりすぎるところから生まれる。女は風呂に入らせてみて、男は思いっきり酒を飲ませてみて、はじめて本人がわかる。

・男というものは惚れられるもので、惚れるものではない。昔も今も若い男性の酒はろまんへの成長薬だ。遊び上手は「選女眼」が傑出している。

・作詞がベースの布地、作曲家は仕立て屋。アレンジ(伴奏)はネクライやベルトなどの小道具、歌い手は洋服を着て歩く人。

病気療養中に更年期うつ病を発症する。病む直前まで老後なんて「ない」と思っていたのだが、小説に手を染めはじめて躰を壊す。短命な作家稼業は内へ内へ籠っていくからだ。長寿の画家たちはスケッチやデッサンで手足を動かす。寿命の差はここにある。こういう考察も納得させられる。

このエッセイに奥の深さを感じるのは、漢字と振り仮名が効いているからだ。商売(ビジネス)、日常生活(まいにち)、落差(ギャップ)、生活(こと)、理由(わけ)、現在(いま)、開放的(アクティブ)、食物(もの)、事件(こと)、作品(うた)、酒場(ひめ)、晩餐(ディナー)、快楽(ゆめ)、銀座(みせ)、精力(パワー)、時代(とき)、情事発生場所(よるのさかば)、夫婦(カップル)、女分量(いろけ)、自己満足(なっとく)、表情(ふり)、出世(さき)、吝嗇(けち)、会計(レジ)、店舗(はこ)、男性(いせい)、女将(マダム)、女人(ひと)、表情(「かお)、嘲笑って(あざわらって)、彷徨(さまよう)、面々(クルー)、筆忠実(ふでまめ)、山口洋子(ものかき)、、。作詞家の面目躍如である。傑作は自己満足を「なっとく」と読ませ、「よるのさかば」を情事発生場所とした当て字のセンスは凄みがある。

77歳で亡くなるが、最後の作品はエッセイ「愛され力 本当のあなたはもっと愛される」(青萠堂 2009年、72歳)。作詞「トワイライトレイン夏川玲」(2011年、74歳)となっている。

 

「あとがき」では、本のタイトルの「生きていてよかった」とばかり思っている訳ではない。「死んだ方がまし」と思うこともしばしばある。どこかで折り合いをつけながら、せいっぱい生きてゆかなければならない。ごくたまにある「生きててよかった」という光がほんのちらりと垣間見える。それが命綱だ。そう記しているのだが、これは今でも毎週土曜日に放映されている「寅さん」の名言と同じだ。それが人生というもののありようだろう。長い人生の句読点として、山口洋子は休むこと、病気などをあげているが、句点が「生きててよかった」で、読点が病気だと考えたらどうだろうか。