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・図解塾の資料作成。

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「名言との対話」9月18日。山本徳郁「誰も「やれ」とは言わない。そのかわり、やらなければ誰にも相手にされない」

山本“KID”徳郁(やまもと“キッド”のりふみ、1977年3月15日 - 2018年9月18日)は、男性総合格闘家

父はミュンヘンオリンピックレスリングの日本代表。母は結婚後に公認審判員の資格、健康運動指導士、鍼灸師の資格を取得。姉の美優は全日本選手権4連覇、史上最年少の17歳で世界選手権優勝。妹の聖子は3階級で世界制覇を4度果たしていて、後にダルビッシュ有と結婚。レスリング一家である。

オリンピック出場の夢が破れた山本徳郁は、姉・美憂の夫であったるエンセン井上に師事して総合格闘技に転向する。総合格闘技とはあらゆる格闘技武術の、さまざまな打撃技、組技、寝技で構成され、ルールによる攻撃手段の制約を最大限排除したうえで競い合う格闘技である。打撃系格闘技と組技系格闘技の両方が必要な格闘技だ。

163センチ、体重は60キロ前後であったが、2階級上の中量の70キロ級と闘って、プロとしてデビューする。

2004年12月31日に絶頂期の魔婆斗と対戦。ダウンを奪い互角の戦いを繰り広げたが惜しくも判定で敗れた。紅白歌合戦の裏番組でありながら、31.6%の瞬間最高視聴率をとり、一躍スターとなった。

2005年には、HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメントでの決勝戦須藤元気に1ラウンドKO勝ちし、ミドル級世界王者となった。

格闘技では格上の選手が赤コーナーで、格下は青コーナーから登場するのが慣例だが、山本は常に挑戦者でいたいとの思いで、王者になっても青コーナーから出ていた。

総合格闘技では、デビュー以来1回を除き勝ち続けた。ケガや病気で2009年から2015年にかけて負けが続いた。

ケガも多かったが、血液のガンである白血病と診断され、2018年に公表する。ダルビッシュは医療設備が整ったチャーター機を用意し、グアム生活のために家や車を用意した。本人には知らせなかった。クラウドファンディングで資金集めをした、夢だったクレイジーリーグの開催を断念したが、ダルビッシュの支援で開催にこぎつける。

「神の子」山本徳郁KIDの死去を悼む戦友たちの言葉を記す。魔婆斗「真っ向勝負でぶつかってアドレナリンが出たことを覚えています」。須藤元気「引退してから、こんなに格闘仲間が集まることは初めて。それだけ多くの人に愛されていたということですね」。武蔵「向かい合ったとき、オーラがギラギラしていて「怖い」と感じたのがKIDが初めてでした」。総合格闘技については、あまり知らないが、以上の3人の名前はよく聞く。こういうスターたちが語る山本KIDは魅力がある。

設立したジム「KRAZY BEE沖縄」が、コロナ禍で苦境に陥り、クラウドファンディングを通して営業存続に必要な支援を募っているというニュースを見かけた。ここにもコロナの影響がでている。

KIDには「流した汗は嘘をつかない。脂肪を燃焼させて体を絞り込めば、心の脂肪も消えていく」「練習で泣いて試合で笑えれば最高です」など多くの名言があるが、私は冒頭の言葉が気に入った。やるべきことを誰も示唆してはくれない。自分で何かをやらなければ、誰にも相手にされない。何事かを極めていく人たちの共通の想いだろう。