秋学期の完全面接型(オンライン併用)の授業が始まった。

秋学期の「立志人物伝」の最初の授業。私もマスクをつけて講義。

学生たちは、マスク着用、検温済み証、アルコール消毒、QRコード登録などが義務付けられている。終了後にカードリーダーで登録し出席を確認する。

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多摩大は完全面接型授業(オンライン併用)という方針で取り組んでいる。

私の授業は200人規模なので大講義室で行い、特別の事情があってオンラインを選択した受講生にはその授業を流すという仕組みだ。

ZOOMを使って資料を見せながら、講義室用のマイクとヘッドセット用のマイクを二つ使い、授業を続けるというスタイルだ。

目の前にいる受講生とパソコン画面の受講生を睨みながら機器操作をし、講義を進行させる。オンライン受講生からのチャットやメールも来るので私の研究室の近藤さんにも手伝ってもらったが、気を配らねばならないことが多く、なかなか大変だ。

ともかく、秋学期の最初の授業が終わった。授業で出した課題(福沢諭吉渋沢栄一のユーチューブの視聴、説明した資料が載っているURLを読み、学んだことを書く。そして本日の授業で学んだこと、感想、質問)は来週のや火曜日までに学内システムにアップされる予定。どのような反応があるだろうか。

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昼は教員ラウンジで、客員の久米先生と樋口先生と歓談。久米先生は新設の専門職大学iUでの専任と明治大学での非常勤、そして多摩大での客員と3つの大学を掛け持ちしているので、それぞれの様子を聞いた。それぞれにドタバタがあり、コロナで大きな影響を受けている各大学の取り組みが聞けた。樋口先生は春学期の授業がなかったので、今回初めてのハイブリッド的な授業なので、苦戦している様子だ。事務局のフォローがあり、なんとか進んでいる様子。こういう事務局の援助があるところも多摩大のいい点だと再認識。

金先生から授業の様子。長島先生から簡便なヘッドセットの情報。学長室の山本さんから多摩テレビで10月から「久恒啓一の名言との対話」が始まるとの情報、、、。

午後:SCANSNAPで資料のアップ。図解塾の準備など。

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夜:弟と妹と連絡し合い、来週以降の食事会の日程のセッティング。母とも電話で近況を確認。

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「名言との対話」9月25日。宝井馬琴(6代目)「厳しくはあったが好きな道つらくはなかった、水が低きに流れるようにごく自然に・・」

6代目 宝井 馬琴(たからいばきん 1935年昭和10年9月13日 - 2015年平成27年)9月25日)は講談師。

講談は伝統芸能の一つで、演者は高座におかれた釈台しゃくだいと呼ばれる小さな机の前に座り、張り扇を叩いて調子を取りつつ、軍記物軍記読み)や政談など主に歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して読み上げる。

宝井 馬琴(たからい ばきん)は、講談師の名跡で、初代から六代目まで存在する。

初代東流斎馬琴。本名:吉田 常吉1801年享和元年) - 1857年10月6日安政4年8月19日)。

二代目。初代東流斎馬琴の娘婿で高弟の弟子。最初は初代宝井琴調という。通称「琴調馬琴」。

三代目東流斎馬琴。1827年文政8年) - 1869年明治2年)。2代目東流斎馬琴に入門し調窓、初代西尾麟慶初代琴凌を経て3代目宝井馬琴襲名

四代目。宝井馬琴。本名:小金井 三次郎(こがねい さんじろう)、1853年2月4日嘉永5年12月26日) - 1928年昭和3年)12月27日。享年76。3代目は実の父。

五代目。宝井馬琴。本名:大岩 喜三郎(おおいわ きさぶろう)、1903年明治36年11月9日 - 1985年(昭和60年)10月26日

6代目 宝井 馬琴1935年昭和10年9月13日 - 2015年平成27年)9月25日)は、1959年明治大学文学部を卒業、学生時代にはラジオ東京の「しろうと寄席」に出演経験がある、高校生の時にラジオを通して出会った講談、その魅力にとりつかれ明治大学進学後もその熱は冷めやらず、天の導きか学生寮のすぐそばに後の恩師「昭和の講談会の名人」と言われた五代目の住まいがあった。「厳しくはあったが好きな道つらくはなかった、水が低きに流れるようにごく自然に・・」に入門する。素人寄席で名人になり、卒業後に正式に5代目宝井馬琴に入門し、3代目琴調を名乗る。1966年、真打に昇進し、4代目琴鶴に改名。1976年1984年文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。1987年、6代目宝井馬琴を襲名。1988年浅草芸能大賞奨励賞を受賞。1991年文化庁芸術祭賞受賞。1998年芸術選奨文部大臣賞を受賞。1999年紫綬褒章を受賞。また、2006年から10年まで講談協会会長などの要職を歴任した。「埼玉英傑伝」「いま甦る名将のはなし」などの著書がある。

オーディオブックに「師匠を語るー六代目・宝井馬琴が語る五代目・宝井馬琴」がある。六代目・宝井馬琴が恩師五代目の思い出でを語っている。また、豊かな声量と庶民的な人柄であった5代目の動画がNHK人物録にあった。父の4代目から「自分の地所へ自分の思うとおりの家を建てて住むようになれ。それ以上の望みを持つな」「卑しい心持ちと行動をするな。常に殿様の気持ちでいろ」と言われ、その通りの生涯を送っている。長い伝統の中で培われた先代の教えを引き継いでいく。この流れはついには江戸時代の初代にまでさかのぼっていくのではないだろうか。それが「名跡」であるということなのだろう。

その宝井一門の宝井琴梅講談協会・常任理事)の協力で橘川幸夫さんらが「講談未来フェス」を推進している。寄席演芸としての講談の原型は、江戸時代大道芸のひとつである辻講釈だ。文政年間には 講釈」と呼ばれるようになり、話芸としてほぼ確立し、幾つかの流派が誕生する。明治時代以降、講釈は「講談」と呼ばれるようになり人気を博した。近年では1983年生まれの100年に一度の天才と言われる6代目・神田伯山の登場で講談人気が復活してきた。講談は、もともと「本を読む」というところから始まった。「読み聞かせ」を芸にしたものだから、子どもからお年寄りまで、楽しめる芸能だ。世田谷区の桜神宮で講談未来フェス」のイベントを定期的に開催しており、ZOOMも併用している。講談の新しい可能性を追求する企画である。伝統芸能の世界でもコロナ時代を迎えて、新しい流れの胎動が始まっているようだ。