「全国地域リーダー養成講塾」の講師。久しぶりのリアルの講演研修なので気合が入った。

今年も一般財団法人地域活性化センター主催の「全国地域リーダー養成講塾」に出講した。14時15分から17時15分までの3時間。テーマは「説得から納得の政策形成へーー図解思考のすすめ」。

コロナ禍で講演ができなくなって、キャンセルが続いていたが、久しぶりのリアル中心の研修だった。ZOOMで参加している人も多く、ハイブリッドだった。ブレークアウトセッションで行うグループワークも、助手の人たちが差配する画面に直接参加するスタイルを試すことができてよかった。

北海道の芽室町から、長崎県まで、全国自治体の行政マン23人と地域活性化センターの職員が受講対象。平均年齢は30代前半か。

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以下、感想のアンケートから。

  • もともと、図で考えるのは好きだったのですが、図にここまで効果があるとは思いませんでした。自分の周りのこと、リーダー塾での学びも図にしてみようと思います。
  • 図を描くことで「誰のために」「何のために」「何を」しているのか、仕事の大枠が認識できた。
  • 「図解コミュニケーション」に触れたのが初めてだったので新鮮でした。つながりがある事を書きだしていくことで視野が広がって、新しいことを考えられそうでした。自分で考えることが理解と疑問と反論だということがピンときました。
  • 頭の回転、大変共感しまひた。以前、先生の「図で考えれば文章がうまくなる」を読んだことがありまうs。思考が止まらない、楽しくなるやりか方を心がけたいと思います。
  • 私の仕事を図でかき、グループで説明していく中で、頭の整理ができました。少しづつ組織風土を変化させていきたいと思いあます。組織の理念と市民の存在を忘れることなく、仕事に邁進していきます。
  • 久しぶりに手書きしました。頭が活性化された気がしました。帰ったら人生の図をかいてみたいと思います。
  • 図で示すと自分の中で整理がつく、自己思想の問題が見える化できるのを実感しましたしかしながら、図解を第三者に見せるときに伝わるために第三者が「納得」できるための図を描くには相手の立場に立った視点がいると思うのですが、その点についてなにアドバイス等あると嬉しいです。本日はご講義ありがとうございました。
  • 仕事、人生、難しく書いてある文献や本も図にすると、誰にでも理解しやすくなることが学べてよかったです。なぜ、図にたどり着いたのですか?教えてください。
  • 公務員の性質か自身の仕事周りに注目しがちでしたが、改めて市民・市長をプレーヤー(相手)として意識すること、相手にわかりやすくするための図解化というところを意識させられました。講義ありがとうございました。
  • 実際に図を書いて、共有してみて、図を書く前に、目的を書くことで、自分の仕事が大きな視野で書けると感じました。(目的がないと、視野が狭まり自分の仕事ばかりかいてしまっていた)また、図の大きさ(規模、力関係)、位置取りを考えながら書くと、自分の立ち位置が明確になるので、頭がすっきりしました。
  • 自らの仕事を書く際に、すべてを詰め込もうとして、わかりにくいものになってしまったことと、市民などを書いていない点で視野が狭かったということを実感しました。これらのことを踏まえて、案内を見直していきたいと感じました。
  • 図におこすことで、頭の中がクリアになっていくのを実感できました。先生のおっしゃる通り、引き継ぎ書など箇条書きのものを図解することで的確な伝達ができると思うので、実践したいと思います。
  • 講義ありがとうございました。図にすることによって、自分の視野の狭さを痛感しました。また人によって図が全然違うのも驚きました。
  • 講義ありがとうございました。図にすることによって、自分の視野の狭さを痛感しました。また人によって図が全然違うのも驚きました。
  • 図解を通して自分の仕事の向いている方向が明らかになりました。少し恥ずかしくもありましたが、改めて向き合い、向くべき方向を考えさせられました。これからも課題一つ一つを図解してみて、向いている方向を確認していけたらと思います。本日はありがとうございました。
  • 図にすることで、頭を整理でき、市長や市民の存在を忘れていた、自身の視野が狭くなっていることにも気づくこともできました。普段の仕事や修了レポートの作成においても、図にして考える癖をつけて、思考停止に陥らないようにしていきたいと思います。
  • 図解を考え読み解く際の思考は、記録率向上につながるとともに、業務等の効率化が図られること、また図解化する際のポイントを学ばせていただきました。今後の業務の中で意識していきたいと思います。
  • 自分の仕事を図にするとき、目の前の業務を細かく記載することに注力していました。市民や市長など、自分の仕事の利害関係者を書くことで、何のためにその仕事をしているのか俯瞰することができると思いました。便利なため箇条書きやフレームワークを使って考えることが多かったので、改めたいと思います。本日はありがとうございました。
  • 最初苦手だなぁと思い、例題は典型的な考えない図になってしまいました。苦手と思いながらも図を作ることで考えるきっかけになりました。図の中に少人数意見をいれるというのが参考になりました。
  • 図を作成した際に自分に仕事が襲ってきているような書き方をしていました。仕事が襲ってきているのではなく、自分から発信している図の構成にしなければいけないと思いました。また、線の太さや形でも見る人の印象は違ってくるためそこも、今後図を活用する際には気をつけたいと思いました。ご講義ありがとうございました。
  • 図を描いていて、当たり前のことですが自分の認識にないことは描けないということに気づきました。先生からの指摘にあった、県知事、県民という視点が抜け落ちていたり、或いはもっと言うと時代認識とか他地域あるいは世界の中での位置づけなど、総合知といえる見識が求められる作業だと感じました。 また、事前質問で出していたキャリアデザインについても講義の中で言及いただき誠にありがとうございました。今後、先生の著書を読んで自分なりに学んでいきたいと思います。 f:id:k-hisatune:20201003044450j:image

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午前の2限目は「立志人物伝」の2回目の授業。

受講者はリアル171名、リモート94名、計265名になった。

本日のテーマは「仰ぎ見る師匠の存在。紹介した人物は「高杉晋作」「吉田松陰」「森鴎外」「白洲正子」「白洲次郎」。

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「名言との対話」10月2日。土居君雄「もったいない」

土居 君雄(どい きみお、1926年3月23日 - 1990年10月2日)は、日本の実業家ドイカメラのドイ)創業者。 

問屋から製品を仕入小売店に納入する二次卸から始まり、写真、電化製品を扱う小売業に進出する。ヨドバシカメラら競合店と「新宿カメラ戦争」と呼ばれた安売り合戦を展開し話題となる。最盛時は、九州、関東関西地方などに約130店舗を展開。1989年度売上は346億円に達し、カメラの専門店チェーンとしてはヨドバシカメラビックカメラに次ぎ日本で第3位となった。 しかし、1990年に病気のため急逝する。土居は日本でのミュシャ((1860年-1939年)の紹介者の一人であり、1989年、チェコ文化功労最高勲章が授与されている。土居の死後、ドイは、2003年8月に民事再生法の適用を申請して倒産し再建を目指したが2006年に破産した。

土居君雄は、稼いだ金は好きな洋画自動車の蒐集につぎ込んだ。特にミュシャBMWの世界的コレクターであり、どちらも遺族から大阪時代に居を構えた大阪府堺市に寄贈され、約500点にのぼる「ドイ・コレクション」として堺市立文化館アルフォンス・ミュシャ館でで公開されている。ミュシャアール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナーで、女優サラ・ベルナールのために制作された7点のポスターなどの貴重な作品が収蔵されている。ミュシャの祖国である現チェコ共和国でも観ることができない大型の油彩画や下絵など、貴重な作品を加えた厚みあるコレクションだ。

私は2017年に国立新美術館で「ミュシャ展」で、サラ・ベルナールのデザイナー作品やスラブ叙事詩という超大型作品をみて強い印象を受けている。2019年には横浜そごう美術館の「ミュシャ展」もみた。

ミュシャスメタナ交響曲「わが祖国」の演奏を聴いて、スラブ民族の連帯を主題とする連作絵画を制作することを意識する。1909年には「スラブ叙事詩」20点を制作するスポンサーを見つけて、翌年プラハに戻る。このときミュシャは50歳。プラハ市は専用の美術館を建てると約束しこの大事業に着手し、1911年から16年間かかって「スラブ叙事詩」が完成する。

本業の「ドイ」は無くなったが、「もったいない」が口グセであった土居君雄は付き合いなどに金は使わず、創業者として得た富でミュシャの絵画を買い続け、それが「ドイ・コレクション」として残った。本人がいうような単なるドケチではなかったのだ。金は使い方が大事なことがよくわかる。