梅棹忠夫の1995年の予言「情報戦争に負けたら、技術も負ける。科学も負ける、全部負けです」

1995年(平成7年)10月10日「梅棹忠夫先生を囲む会」(ホテル青森)での梅棹先生の発言から。

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日本の文明は恐ろしく物質化しているんです。物を作り、工業製品を作って世界を圧倒する時代は、とっくの昔に過ぎ去っています。21世紀は、明らかに情報の勝負です。情報戦争でどこが勝つかという話だと思います。、、日本文明は今が絶頂期ではないかと思っております。このままでは日本は情報戦争に完璧に負ける。情報戦争に負けたら、技術も負ける。科学も負ける、全部負けです。21世紀は科学技術の勝負ですが、それを支えているのは情報なんです。大変残念なことですが、やっぱり駄目になるでしょうな。、、なんとかしないと、このままでいいと思ったら大まちがいな状態です。ひどいことになります。20世紀の惰性で、生産、生産と言っていますが、次の時代の手立てをしておかないと本当にひどいことになる。農業生産、工業生産の準備をしないと、21世紀はとても勝ち目はありませんね。

(「梅棹忠夫先生と縄文の会」(編者・武田紀久雄)から)

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・縄文はアンデス文明と比較できるんじゃないか。

・縄文こそが日本文化の根幹を形づくった時代であるのではないか。

・日本は土器文化については世界で一番古い国。山内丸山遺跡は、日本文化そのものではないか。日本文化の起源はこのあたりにあるんだな、ということを痛感。

・『知的生産の技術』はフィールドワークの方法論。

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以上のように、梅棹忠夫が1963年の中央公論に「情報産業論」を発表してから30数年後、平成が始まったあたりの1995年に、情報戦争に負けてしまうと警鐘を鳴らしていた。それから四半世紀を経て、日本文明は世界の中で存在感を急速に失った(GDP16%から6%へ)。その主原因は情報戦争の敗者になったことだ。そのことは2020年の「新型コロナ」で明らかになった。

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「名言との対話」10月25日。村岡花子「自分がいなくなったあとで、子供たちから「良いお母さんだった」としみじみ思われるような一生を送れば、母として最も幸福なことでありましょう」

村岡 花子(むらおか はなこ、1893年明治26年〉6月21日 - 1968年昭和43年〉10月25日)は、日本の翻訳家児童文学者

山梨県甲府生まれ。1903年東洋英和女学校に10歳で給費生として入学し、「腹心の友」の柳原燁子(白蓮)に誘われて佐佐木信綱の門下で和歌・日本の古典文学を学ぶ。1913年に卒業し、山梨英和女学校で英語教師を5年間勤めた後、銀座の教文館の編集者となる。1919年に印刷会社を営む村岡儆三と結婚。 翌年、長男・道雄誕生し1926年に病気で亡くしたことをきっかけに、日本中の子どもたちのために外国の家庭文学の紹介をしていくことを自分の進むべき道と決める。1927年にマーク・トウェインの『王子と乞食』を翻訳出版。戦前にはJOAKラジオ番組『子供の新聞』を担当し「ラジオのおばさん」としえても親しまれた。
以後、日本を代表する外国の家庭文学の翻訳家として活躍。59歳から始めたL.M.モンゴメリ作『赤毛のアン』シリーズの翻訳が代表作。他の翻訳作品に、エレナ・ポーター作『少女パレアナ』、チャールズ・ディケンズ作『クリスマス・キャロル』、パール・バック作『母の肖像』など多数。童話集に『たんぽぽの目』『桃色のたまご』など。また、女学生の頃から矯風会活動に加わり、市川房江らとともに婦人運動にも積極的に関わった。

2014年3月から始まったNHK連続テレビ小説花子とアン」で吉高由里子が好演し、私も花子と演じた吉高のファンになった。平均視聴率は22.6%であり、大ヒットした『あまちゃん』(20.6%)や『梅ちゃん先生』(20.7%)、『ごちそうさん』(22.4%)を超えて朝ドラでは過去10年で最高の記録となった。

今回改めて『村岡花子エッセイ 美しく生きる』を読んだ。20歳年長の同志・中原淳一が1957年に創刊した女性雑誌『それいゆ』と、少女雑誌『ひまわり』に書いたエッセイである。

・嫉妬とは自分の所有しているものを失いはしないかと心配することであり、他人が所有しているものを見て苦痛を感じるのは羨みである。

・若き日の読書が人の一生の思想を支配する力は強いものである。

・私の愛読書の一つに『熊のプーさん』があります。

・私たちの生活は樹木と同じようなものである。根を持っている木でなければ枝は張れない。上の方に拡がれば拡がるほど、土の根は固くなければならない。

・何かしら新しい美しさを発見できない日はない筈です。

馬込文士村にあった村岡花子の記念館「赤毛のアン記念館」は、2015年に東洋英和女学院本部・大学院棟1階に「村岡花子文庫展示コーナー」がオープンしたことを契機に閉鎖されている。

「自分がいなくなったあとで、子供たちから「良いお母さんだった」としみじみ思われるような一生を送れば、母として最も幸福なことでありましょう」とエッセイで書いている。こういうお母さんは子ども達の心の中で生き続ける、それが母としての最高の幸福なのだろう。共感する女性は多いのではないだろうか。作者が読者にメッセージを届けることは、多くの人によい影響を与えることでなければならない。この点は改めて心したいと感じることとなった。

 

村岡花子エッセイ 美しく生きるために

村岡花子エッセイ 美しく生きるために