「立志人物伝」の7回目:本日のテーマは「怒涛の仕事量」。取りあげた人物は漫画家たち。手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子F不二雄、矢口高雄、水木しげる、長谷川町子、横山隆一、やなせたかし、永井豪、さくらももこ、おおば比呂司。そしてインフラ系の米沢嘉博、長井勝一。

「立志人物伝」の7回目。本日のテーマは「怒涛の仕事量」。取りあげた人物は漫画家たち。手塚治虫石ノ森章太郎赤塚不二夫、藤子F不二雄、矢口高雄水木しげる長谷川町子横山隆一やなせたかし永井豪さくらももこおおば比呂司。そしてインフラ系の米沢嘉博長井勝一

前回の課題アンケートから。大山康晴牧野富太郎池波正太郎

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午後。

・杉田先生:自分史プロジェクト。

・ラウンジで樋口先生、久米先生。

久米先生の授業で師匠の一人として紹介された。「多摩大は、私が尊敬し、今も毎月教えを受けている日下公人先生が、創立時に先生をつとめた学校です。日下先生は、日本で最初にソフトの重要性を説いた、安倍首相はじめ歴代総理のご意見番です。あえて東大でなく多摩大に来たのは、野田一夫先生が創る大学を見たかったからだそうです。また、今も教壇に立つ久恒啓一先生、橘川幸夫先生も私の尊敬する師匠ですし、長島 剛先生など、実業でも活躍したプロが教えているのも魅力です。さらに、1年生の時点で、各自が「志」を考えて宣言するところも素晴らしいと感じました。入学の時点で「志」を定めて、ゼミに参加できるのは多摩大学だけでしょう。3人の師匠の教えについては、講義ブログにある本日のレジュメをご参照くださいませ」

www.facebook.com

・ZOOMで橘川さん、仁上さんと打ち合わせ

・佐保君

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夕方。

荻窪:石和田君と打ち合わせ

地研:「全集」第2巻。新規PJCT「編集・出版会議」の説明。

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「名言との対話」11月5日。熊谷元一「農村記録写真の村宣言

熊谷 元一(くまがい もといち、1909年7月12日 - 2010年11月6日)は、日本写真家童画家。101歳のセンテナリアン。

長野県下伊那郡会地村(現在の阿智村)に生まれる。旧制飯田中学卒業後、小学校教員の傍ら、童画を書いていた。1933年の思想弾圧事件二・四事件で検挙される。1936年から子供(自身の生徒たち)などの写真撮影を開始。1938年に刊行した写真集『会地村: 一農村の写真記録』が高い評価を受ける。

戦前戦後を通じて会地村に暮らし、アマチュアカメラマンとして活動写真撮影を続けた。1955年には、『一年生 ある小学教師の記録』(岩波書店)により、第1回毎日写真賞を受賞した。

1968年、絵本『二ほんのかきのき』(福音館書店)出版し、百万部を超えるロングセラーとなる。童画家としての活動も並行して継続し、絵本や画集の刊行も行った。1988年、阿智村に「ふるさと童画写真館」(現熊谷元一写真童画館)開館した。

写真家としては、一貫して農村の姿、特に子供の姿を撮影し続けた。村の何気ない日常や学校での子どもたちを撮影した写真からは当時の人々の等身大の生き様、道具や服装、景色からその時代背景を知ることができる。以下、受賞歴。 日本写真協会功労賞。長野県教育関係功労賞。1994年には、地域文化功労者として文部大臣の表彰。毎日出版文化賞特別賞。第2回信毎賞。2006年産経児童出版文化賞ニッポン放送賞。

阿智村は名誉村民・熊谷元一の精神を引き継ぎ、阿智村を撮影記録する「農村記録写真の村宣言」を行っている。熊谷元一写真童画館では70年にわたる農村記録写真を展示、約5万点をデータベース化している。また1998年から設けられた「熊谷元一写真賞コンクール」は、現在まで毎年開催されており2020年は23回を数え、テーマ部門では「令和の子ども」で募集している。熊谷元一が撮った子どもたちの笑顔の写真をみると、こちらも思わず笑顔となってしまう。そして村民たちが撮る子どもの写真、例えば第22回で阿智村賞を獲得した、ひとつのスイカに一緒にかじりつく「親子の絆」などをみると、熊谷元一はまだ生きているという感じを受ける。佐藤一斎の名言「死して朽ちず」という言葉を思い出した。