立志人物伝10回目のテーマは「飛翔する構想力」ーー後藤新平、徳川光圀、嘉納治五郎、松下幸之助、宮崎駿

志人物伝10回目。テーマは「飛翔する構想力」。取り上げた人物は、以下。

明治の大事業構想家・。大日本史を編纂した徳川光圀。柔道の発明者・嘉納治五郎。経営の神様・松下幸之助。アニメの。

以下は、前回の「怒涛の仕事量」の作曲家の課題アンケートのまとめ。

古賀政男氏の考えの深さを感じた。・日本にあまりすごい作曲家がいるイメージがなかったので、今回の講義は新鮮だった。・古賀政男さん以外の音楽は調べていないが他も素晴らしい人なのだろうと思った。・冨田勲が成し遂げた創作とマネジメント事例は今日においても多くを学べた。特に立体音響などを考えたのはすごい。・作曲家の人はみな優しそうな顔をしている。有名な曲以外も気になった。・冨田勲さんは音楽の革命家なのではないかと思った。・初めて聞く話ばかりで興味を持って聞けた。芸術家の話も聞いてみたい。・私も少しギターを弾いていたので、今回の話を聞いて、また少しやってみたいと思った。・冨田勲さんは、初音ミクなどのホログラフィーですが、日本に限らず世界的にも注目されています。0から1を考える企画はどれも大変ですが、それを常に模索し、音楽のあり方というものを第一線で変えてきたのは冨田勲さんです。・音楽に興味があるので、今回の講義はより集中できた。・私自身絶対音感を持っているのでとても共感できることが多かった。・明治から昭和、今にかけて、昔に作られた名曲が残り、生き続ける音楽というものは素晴らしいなと思った。・冨田勲が税関に一ヶ月止められていた話が印象に残った。・古関裕而は流行歌、軍歌、オリンピックマーチ、社歌、ラジオドラマ曲と幅広いジャンルの作曲を手がけ、その一つ一つに昭和の歴史と彼の物語が詰まっていると感じた。・古関裕而という人物をより深いところまで知りたいなと思える講義だった。・冨田勲さんが、浸透してないシンセサイザーボーカロイドなどをいち早く活用していく柔軟性に非常に感銘を受けた。・知っている人でも知らないエピソードが学べて楽しく受けている。・誰かに認められるように、自分の才能を活かしたいと思った。・何でも相談できるような友達を大学生活中に作ろうと考えた。・知っていた作曲家が一人もいなかった。・過去の業績を残した人々のルーツを辿ることは自分の知恵の肥やしとなり、多様な価値観のある人生をみて自分のライフスタイルと比較することができるので良い。・まだ様々な音楽家の方々がいるので、昔の人から今の人まで、様々な人を調べてみたい。・独学はこの100年時代にとても合っていると思った。・ジャズに最近興味があったので、中村八大を聞いてみようと思った。・歴史上の人物よりも最近の人のほうが親近感が湧くのと、どれほど偉大な人なのかが良くわかるので理解がしやすかった。・音楽や映画など娯楽分野にも様々な著名人が居るがそれがこんなに昔から沢山いることが分かって良かった。・最後まで追い続けられなくても一生懸命自分の好きなことに向き合うことは良いことだと学ぶことができた。・調べていくうちに自分の知っていることと繋がりを見つけられて楽しかった。・黛敏郎の「日本のオーケストラが日本人の作品を演奏しなくてどうする」という一見当たり前のようで当たり前ではない言葉にハッとした。・作曲家をしている人は、感受性が豊かな性格のために、鈍感な人よりも考えすぎてしまったり、重く捉えてしまうことが多く悩み事が多くなるのではないかと思った。・音楽というのは、心に入りやすく影響力が強いものだと思った。・朝の連続テレビ小説エールを見ていたので、古関裕而さんが紹介されたときは嬉しかった。・オンラインで受講しているが、問題なく受けることができている。・尾崎豊さんは死後何年も経ってから生まれた私もファンになった。・偉大な人物は多く学んだがまだ知らないことがたくさんあると分かった。・先生と著名人との関係のお話や、実際に足を運んだ展覧会のお話など聞くのが非常に楽しい。・中村八大の生涯を知り、経験がいくらある人でも間違えることはあり、間違いをそのままにせず人生の起点にするピンチをチャンスにした様子を知った。私自身も過ちを恥じずに克服できる人間になりたい。・古賀メロディーという名があった時代があったと知り、愛されていた作曲家だと分かった。・古関裕而さんの生き様を学び、私も後世に残せるようなものを生む人生を歩みたいと思った。・一つのことを長い期間続けられることも一つの才能だと考えた。・自分も作品を何か作ってみようかなって思った。・古関裕而がこんなにもたくさんの曲を作っていて驚いた。・音楽家の話になるとYouTubeではその人が作った曲や作品が出てきて調べるのが大変だった。音楽は本当に人を助けられるものであると改めて思った。・自分は環境のせいや人のせいにすることがあるので改善していきたい。・いつか楽想して古関さんみたいに音楽を作ってみたい。・今ある時間を大切にしようと思った。・独学によって活躍している人が多いことが分かった。・毎回の授業でテーマが定められていてとても面白いなと思っている。・中村八大のストイックさが数多くの名作を残してきた所以ではないかと思った。・音楽の話が多くてとても良かった。・松本隆細野晴臣も音楽業界に大きな影響を与えた偉人であり、自分の尊敬している人たちだ。・冨田勲の言葉がとても印象的だった。・もっと色々なことを知っていきたい。・他の作曲家についても調べたくなった。・音楽家の歴史を調べるのは貴重な体験となった。・そろそろ自分の気になった人物を決めたい。・古関裕而さんというまさにタイムリーな人物を学べて良かった。・昔も現在も音楽は必要なのだと確信した。・冨田勲さんの一つ一つに取り組む姿勢は、どの年代の人も学ばなくてはならない働く人間としての重要な心の持ち方になってくると思う。固定観点に囚われずに様々な考え方や視点を持ち物事に取り組む大切さを学んだ。・親がエールを見ているが主人公がここまで来るのにとても大変なものだと改めて感じた。・名前から覚える必要がある人が多くなってきた。この人たちに関しての本などがあったら読んでみたい。・冨田勲新日本紀行冨田勲の未知へのサウンドを視聴した。久恒先生の冨田勲関連のブログ記事は、どれも興味深かった。・自分で興味の持つことを積極的に調べて、将来のために自分の知識という財産にしていきたい。・独学で学ぶというのは、今の世の中にも適用することだと感じた。独学の方が新しい発想が生まれそう。・授業内で早めに最終レポートについて触れていただいてよかった。

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今日の収穫。

ヤスパース「一人で成り立つ自分はない。自分を見つめるだけの人間は滅ぶ。他者との関係において自分が成り立っている」

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NHKラジオ深夜便「明日への言葉」の「沢木耕太郎」を聴く。

NHKBS1スペシャル「山本五十六の真実」をみた。山本の生涯の親友であった大分県杵築市出身の堀悌吉について興味が湧いた。大分県先哲資料館に堀の資料がある。ここはまだ未訪問だ。山本五十六を調べていると堀との友情がでてくる。

堀 悌吉(ほり ていきち、1883年明治16年〉8月16日 - 1959年昭和34年〉5月12日)は、日本の海軍軍人海軍中将大分県杵築市出身。先輩の米内光政、同期生の山本五十六、後輩の井上成美からの信頼が厚く、山本権兵衛加藤友三郎らの系譜を継ぎ海軍軍政を担うと目されていたが、軍縮会議後の大角人事により中将予備役編入される。東條内閣海相嶋田繁太郎が、「堀が開戦前に海軍大臣であれば、もっと適切に時局に対処できたのではないか」と述べているように、その才幹を惜しまれた人物である。また"戦争自体は悪である"との持論であった。

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「名言との対話」12月4日。中村哲「我々の歩みが人々と共にある「氷河の流れ」であることを、あえて願うものである」

中村 哲(なかむら てつ、1946年9月15日 - 2019年12月4日)は、日本医師。PMS(平和医療団・日本)総院長。

1968年年九州大学医学部入学後、佐世保への米原子力空母「エンタープライズ」の寄港、九大構内に墜落した米軍ジェット機「ファントム」の墜落などに遭遇。卒業後、国内の診療所を経て、1984パキスタンペシャワールに赴任。以来、ハンセン病を中心とした貧困層の診療に携わる。1986年よりアフガニスタン難民のための医療チームを結成し山岳無医地区で診療を開始。1991年より3つの診療所を開設し、1998年基地病院PMSを設立。2000年から水源確保のための井戸掘削と地下水路の復旧を行う。2003年から2009年にかけて全長25キロに及ぶ灌漑用水路を建設。2019年武装勢力に銃撃され死去。葬儀ではガニ大統領が棺を担いだ。

現地三十年の軌跡を振り返った『天、共にあり』(NHK出版。2013年刊行)を読んだ。火野葦平を叔父に持つ昆虫少年という幼少時からの生い立ちと、数々の出会いと出来事の連続が自身をつくったことが述べられている。そして無意味な生命や人生はないとの確信を述べている。この本の中では、「出会い」という言葉が頻繁にでてくる。そして民族の十字路・アフガニスタンでの中村の活動は「天命」であったとの考えである。

白水隆という九大教授の名前が出てくる。私が所属した九大探検部の昆虫博士の部長先生だ。中村は内村鑑三の『後世への最大遺物』と『論語』に影響を受けている。それにクリスチャンであり「天、共にあり」を神髄とするキリスト教と、アフガニスタンで知るイスラム教が加わる。そして中村は全ての人を貫く「人の道」の存在を確信するようになる。

餓死とは栄養失調で抵抗力が落ちて落命することだ。もう病気治療どこりではない。病気のほとんどは食料と水があれば防げる。そして井戸を掘り、2006年までに1600カ所の井戸を確保、20万人以上の難民化を防ぐ。しかし、温暖化による干ばつによって地下水も枯渇し始める。用水路建設に取り掛かる。2010年に25キロが完成する。日本の山田堰を参考にし、「いかに強く作るかよりも、いかに自然と折り合うか」という考えに達してつくった洪水にも渇水にも強い堰である。寄付で集めた14億円の総工費と摂氏50度を超える炎天下の砂漠で働く現地人400名の労働により穀倉地帯が復活した。

終章は「日本の人々へ」だ。

日本の国土は夢のように美しい。平和だが何だかものたりない。フィクションの上に成り立っている世界観と常識。宮沢賢治注文の多い料理店』は現在の日本を風刺しつくしている。「カネさえあれば何でもできて幸せになる」という迷信、「武力さえあれば身が守られる」という妄信からの自由が大事だ。PMSの安全保障は地域住民との信頼関係だ。剣で立つ者は剣で殺される。武力によって身が守られたことはなかった。発砲しない方が勇気がいる。そして「憲法9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ」とも他のところで語っている。

ぺシャワール会のホームページをみると、「中村医師からのメール報告」欄が目についた。現地から日々送信されてくる写真付きメールである。最後のメールは2019年10月4日受信の「天敵、アシナガバチの怪」だ。昆虫少年であった中村の観察である。「次回、ビエラの花と実にたかるミツバチの姿をお届けします」と書いてあるが、それは届かなかったのだろう。そして現地代表 中村哲のメッセージ載っている。「我々の歩みが人々と共にある「氷河の流れ」であることを、あえて願うものである。その歩みは静止しているかの如くのろいが、満身に氷雪を蓄え固めて、巨大な 山々を確実に削り降ろしてゆく膨大なエネルギーの塊である。我々はあらゆる立場を超えて存在する人間の良心を集めて氷河となし、騒々しく現れては地表に消える小川を尻目に、確実に困難を打ち砕き、かつ何かを築いてゆく者でありたいと、心底願っている。」

中村哲の志は、アフガニスタン人はもとより、日本の後輩たちにも大きく深い影響を与えている。こういう人を本当に「偉い人」というのだろう。

 

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い