今日の「名言との対話」は、高木俊介を取り上げました。高木俊介(たかき しゅんすけ)という人が1月6日生まれだったので、高木俊介『こころの医療宅配便』(文芸春秋)を取り寄せ、読み終わったところ、人違いであることがわかってショックを受けました。同姓同名のアンデルセンの創業者のことを取り上げるべきだったのです。
高木俊介(たかぎ しゅんすけ)は、1957年広島県生まれの精神科医師。精神分裂病から統合失調症への改名を発案した人。2004年に、たかぎクリニックを開設。ACT-Kを立ち上げ、チームによる精神障害者の在宅ケアに日々奔走している人です。
気を取り直してなんとか、本日分の「名言との対話」を書き上げました。さて、そういうわけで、「同姓同名」にアンテナがたったのです。少し調べてみました。漢字は同じでも、読み方が違うことも多い。
- 江川卓:江川 卓(えがわ たく、1927年1月24日 - 2001年7月4日)は、ロシア文学者、東京工業大学教授。本名は「馬場 宏(ばば ひろし)」。江川 卓(えがわ すぐる、1955年5月25日 - )は、福島県いわき市出身 のプロ野球選手(投手)、野球解説者、タレント。二人の対談があり、卓(すぐる)が「江川騒動」の件で「ご迷惑をかけました」と謝っていた記事を読んだことがあります。
- 高野悦子:高野 悦子(たかの えつこ、1929年5月29日 - 2013年2月9日)は、日映画運動家、岩波ホール総支配人、映画プロデューサー、放送作家、テレビドラマ演出家。高野 悦子(たかの えつこ、1949年1月2日 - 1969年6月24日)は20歳で自殺した大学生。遺著『二十歳の原点』(にじゅっさいのげんてん)で知られる。岩波の高野悦子のことはよく知っていましたが、私と同世代の高野悦子の本を読んで感受性の高さに感銘を受けました。
- 吉田茂:戦後に外務大臣や首相を務めた吉田茂(外務省出身)と、戦前から戦中に厚生大臣や軍需大臣を務めた吉田茂(内務省出身)がおり、しばしば混同された。邸宅の所在地から前者は「大磯の吉田」、後者は「目白の吉田」と呼ばれた。また互いに「和子」という娘がおり、結婚前には父娘で同姓同名の状態だった。これは珍しい。
- 早川徳次:早川 徳次(はやかわ とくじ、1893年(明治26年)11月3日 - 1980年(昭和55年)6月24日)は実業家・発明家で、シャープ創業者。早川 徳次(はやかわ のりつぐ、明治14年(1881年)10月15日 - 昭和17年(1942年)11月29日)は、戦前の実業家。東京地下鉄道(後、帝都高速度交通営団→東京地下鉄)の創立者で、日本に地下鉄を紹介・導入したことから、「地下鉄の父」と呼ばれる。地下鉄の地下道で「早川徳次」の像をみかけ、シャープの創業者と同じ名前だなあと思ったことがあります。
- 伊藤 武雄(いとう たけお)という同姓同名の有名人の座談会が開催されている。伊藤武雄 (声楽家) - バリトン歌手(1905年 - 1987年)。伊藤武雄 (中国研究者) - 南満州鉄道調査局勤務。のち日中友好協会副会長・中国研究所理事長(1895年 - 1984年)。伊藤武雄 (1895年生のドイツ文学者) - 東大卒業後、四高、金沢大、桃山学院大教授を歴任、1971年没。伊藤武雄 (1909年生のドイツ文学者) - 東大卒業後、八高、名古屋大などの教授をつとめる、1977年没。伊藤武雄 (俳優) - 俳優(1977年 - )。
- 加瀬俊一 (1920年入省) (かせ しゅんいち) - 1920年に外務省に入省した外交官。太平洋戦争終結時のスイス公使だった。加瀬俊一 (1925年入省) (かせ としかず) - 1925年に外務省に入省した外交官。後に国連大使となった。
- 歌手の安田祥子(やすだ さちこ、由紀さおりの姉)とラジオパーソナリティーの安田祥子(やすだ しょうこ)。
- 女優の香山美子(かやま よしこ)と詩人の香山美子(こうやま よしこ)。
- 「一般社団法人 田中宏和の会」という団体があり、同姓同名を集める田中宏和運動を展開している。1994年、プロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから1位指名を受けた田中宏和がいることを知った同姓同名の人物が全国の田中宏和を探し始めたことが事の始まり。
- 木村拓也。タレントのキムタクこと木村拓哉とプロ野球選手の木村拓也は、読み方は同じですが、漢字が違うケース。
- アメリカで一番多い同姓同名はジェームズ・スミス(James Smith)。1969年に設立されたジム・スミス協会(Jim Smith Society)という会員約2000人の団体が存在、入会資格は姓名がジム・スミスであることで、女性メンバーもいる。
- 2005年、実業家のマーサ・スチュワートがテレビ番組の企画で集めた自身と同姓同名164人という記録がギネス世界記録として認定されている。
- 中国では2007年の統計で「張偉」が一番多い同姓同名で、29万607人いる。
久恒啓一の同姓同名はいるか。この苗字は九州の大分県中津には多い。小学校からの同級生に久恒良一という人がいました。仙台に住みついていた時には、珍しい苗字なので奥州久恒氏の開祖になろうかと考えたこともありました。仙台では総務省の東北局長から「久恒先生、こんにちは。私も久恒です」とのメールが来て飲んだことがあります。また石川県庁での講演の時に、加賀友禅作家の久恒さんから連絡があり、それ以降飲み友達になっています。その会に金沢工大の久恒という女性の先生も交えて食事会をしたことも思い出します。皆、中津に関係のある人たちでした。まだ同姓同名にはおめにかかっていません。
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「名言との対話」(大正から昭和へ。誕生日編)1月6日。高木俊介「全ての仕事は素人より始まる」
高木俊介(たかきしゅんすけ。1919年1月6日〜2001年8月10日)は、経営者。
7年間の戦地勤務を終えて帰還。戦後間もない1948年に、生きられるということの素晴らしさを感じ、本物のパンを焼き焼こうと決意し、夫妻と従業員2人で広島市で開業する。1951年に株式会社タカキのパンとして法人化し、パンホールを開店した。
内村鑑三著「デンマルク国の話」という本で「戦争に負けても不幸ではない。内側を豊かにすれば大国に負けない」という言葉に刺激を受けて、1959年にデンマークを訪問する。この本の主人公ダルガスはドイツ・オーストリアとの戦争に敗れ、肥沃な土地を失ったとき、デンマーク復興のビジョンを示した人だ。残った不毛の地を沃野に変えていこうというビジョンを指し示し、農業と畜産と植林によってデンマークを一大農業国に実際に変えていった。希望の持てる明確なビジョンを示すことの重要性を改めて感じる逸話である。以降、高木と会社はデンマークとの縁を深めていく。
1962年にタカキベーカリーに改名する。1967年に被爆建物の三井銀行広島支店を買い取り広島アンデルセンを開店した。1972年より、フランチャイズ店舗のリトルマーメイドの展開を開始する。1981年、デンマーク王国マルグレーテⅡ世女王陛下・ヘンリック王配殿下が広島アンデルセン来臨している。1983年、創業35年を記念して「アンデルセンのメルヘン大賞」を創設。
創業者の高木俊介の死去以降も、2002年4月にグループ名をアンデルセングループに改名。2003年に子会社の新・株式会社タカキベーカリーを設立して、持株会社・アンデルセン・パン生活文化研究所と商号変更している。毎年、従業員をデンマークに派遣し、「いまのデンマーク」を知ることに努め、創業60周年には1000人以上の従業員がデンマークへ旅行している。資本金 8,000万円(持株会社、売上高はグループ連結 644億円(2018年度)、社員数はグループ連結 1,983名(2020年4月1日現在)にまで成長している。
「全ての仕事は素人より始まる」との創業の原点どおり、日本初のセルフサービス方式の導入、広大な自社農場「100年農場」の創設等々、先例にとらわれない独創的なアイディアで事業を展開しながらパン食生活文化普及に尽力してきた。
ヤマト運輸の創業者・小倉昌男は、晩年にはヤマト福祉財団を創設し、障害者雇用に力をいれる。食事に関する事業をやることになり、俊介の息子の高木誠一社長に、「障害者が働けるパン屋を作りたい」という事業構想を持ちかけ、月給10万円以上を目指すという「スワンプロジェクト」が始まり、銀座で第一号店がオープンしている。小倉昌男は「論理的な思考とは、物事をシンプルに考えることにほかならない。シンプルな論理思考を心がけることだ。物事をできるだけ単純に考えることが、真の目的に到達する近道なのである」と言っている。この人の宅配便事業もドアツードアで運べたら喜ばれるだろうという素人発想で成功した。高木俊介の「全ての仕事は素人から始まる」は、やはり名言だ。