インスタに「後姿探検隊」をアップする新習慣。

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「後姿探検隊」というテーマで2019年1月から写真を撮って、インスタグラムにアップするという習慣があります。テーマが決まると焦点が定まってきて、意欲が湧いてくるから面白い。2年後の2021年1月現在で400枚ほどになっています。人間の後姿は実に面白いものがあります。親子、夫婦、家族、子どもたち、老夫婦、犬連れ、体操中、キャッチボール、ザリガニとり、二人乗り自転車、銅像、撮影中、映画、亀、博物館、ゴルフ、自動車、信号待ち、七五三、案山子、、、、。

石原慎太郎の作品に『弟』という本がある。2つ違いの弟・石原裕次郎を兄の目線で回顧した名著です。私にも2つ年下の弟がおり、兄の慎太郎の気持ちに共感しながら読み、その本を弟に贈って読んでもらったことがあります。

この本の中に日本郵船の小樽支店長をつとめたやり手でハイカラな父が出てきます。この父はカメラの名機を持ち、兄弟の姿を写真にして残していました。その写真はこの本で見ることができました。二人が遊んでいる「後姿」ばかりでした。後にこの写真を目にした慎太郎は父の目線を感じると書いています。たしかに被写体として兄弟が写っているのですが、それを見ている父の目線を意識させます。父の目に写った子どもたちの姿でした。

このエピソードを覚えていたので、インスタグラムというSNSが登場したとき、漫然と写真を撮りアップするのは面白くありませんので、テーマを探し見つけたのが「後姿」でした。そこには私の視線があります。何を見たか、何を感じたか、何を面白がったか、その目線は私自身の姿ですから、それは自分史でもあるということになるのでしょう。

この写真に、世相・時代、そして人間を詠む「川柳」を添えたら、面白いのではないかと考えています。、、、経済は経世済民の略とはホントかよ。テレビよりラジオが似合う日々となり。五十肩四十肩と見栄をはり。ウオーキング絶対ちがう散歩とは。賽銭も10パーセントを添えて入れ。、、、。

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「名言との対話」1月10日。いいだもも「村外れで振りかえれ、お前のお母さんの段々畠を!」

いいだ もも(本名:飯田 桃(読み同じ)、1926年(大正15年)1月10日 - 2011年平成23年3月31日)は、作家評論家

 東京都港区出身。本名飯田桃。東京都港区出身。本名飯田桃。敗戦後に一高生を中心に同人誌世代》を創刊したことが知られている。東京帝国大学法学部を卒業し日本銀行に入るが、結核を患い退職。1950年代から60年代にかけて日本共産党に属して活動したが、1965年除名処分を受ける。ベ平連、思想の科学研究会に参加。1967年、共産主義労働者党を創立するが短期間で離脱し、以後は評論、作家活動に従事した。著書多数。以上は百科事典マイペディアの記述である。

「鬼才 いいだだもも」(いいだもさんを偲ぶ会編)を読んだ。友人・知人らの「偲ぶ会」で配布された追悼文などをまとめた本だ。人の身近にいた人たちの文章をあつめた「追悼文集」を人となりがわかるので、私は重宝してきた。この本にも有名、無名を問わず、かかわりのあった人たちに映ずるいいだももが立ち現れている。

小中陽太郎「いつも、食事の時間になってもテーブルの上にゲラを広げて赤を入れていたから」(孫の飯田朔)。鶴見俊輔「私の不良少年魂をゆりおこし」。鎌田慧「若い頃ころはエネルギッシュな小説を、中年以降は博覧強記の評論を愛読」。

「エベレストである飯田先生」「才気煥発、才能絢爛、そして何というその浪費、濫費、分散、不徹底であったことか!」「速読即解、博学多識、博覧強記、速書健筆m言説湧出、多作多産」「旦那風、兄貴風、妙に腰が低かった」「晩年の膨大な著作は自身を叙述する自伝だった」「天下の奇才」「人の苦しみ、悲しみを、巧まざるユーモアで励ます」「「碩学にして稀有な表現者、変革者」「陽気で話しやすい型」「天才的才能、様々な伝説、波乱の人生、希代の革命家・思想家」「今在れば原発震災をなんと撃つ?」

いいだももの作家活動をみると、1961年の35歳の『斥候よ、夜はなお長きや』から2008年の82歳の『世界信用恐慌=サブプラライム・ローン破綻』まで、著書(著・共・編・編著)は、105冊、翻訳書(訳、編訳)9冊の計114冊を刊行している。47年間、間断なく一定のペースで出し続けていることがわかる著書目録は圧巻だ。72歳で胃ガン手術と糖尿病をわずらう。「あと5年生きたい」と言い、それから10年にわたり旺盛な出版活動を継続している。人物を理解するのに「略年譜と著書目録」の存在は重要だとあらためて感じた。

いいだももは2011年の「3・11」の大震災が起こった同じ月に亡くなった。震災で知られるようになった「メルトダウン」という言葉は日米の政治に対する批判の言葉としていいだももが使った言葉だった。

いいだももは20歳前後に多くのすぐれた詩を書いている。「立志」という詩の末尾が冒頭に掲げた言葉だ。「山国の子、利発な太郎」は、「海に行く」。いいだももは、人間味豊かな暖かさを携えてその海にこぎ出していったのだ。

鬼才いいだもも