ラジオ「おしゃべり放送大学」で使う「図解塾」PR用のインタビューを受けました。

深呼吸学部のラジオ「おしゃべり放送大学」のインタビューを受けました。「図解塾」のPR動画をつくるのだそうです。インタビュアーは名古屋の鬼頭恭子さん。図解を使わないで、音声だけで説明するのはなかなか骨が折れます。以下、事前のメモ書き。

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 YAMI大学・深呼吸学部・図解学科。音声だけだとうまく伝わるか?自己紹介:日本航空労務・広報・経営企画)・NPO知研(「知的生産の技術)。「図解コミュニケーション」!。1990年「図解の技術」。大学へ転身:宮城大11年・多摩大11年。100冊以上。650回の講演。「図解コミュニケーション全集」全10巻の刊行開始。図解とは何か=文章地獄と箇条書き信仰からの脱却。ごまかし(書く人・読む人)。大小・重なり・関係が不明。組織のコミュニケーション不全。混乱の原因!3割ダウン。ビジネス=コミュニケーション能力:理解・企画・伝達。他人と自分と。文章と箇条書き。日本の課題=考える力の欠如。企画・創造、、。図解=全体の構造と部分同士の関係。虫の眼から鳥の目へ。ワークラウフバランス。安全・安心。、、、。構造と関係。コロナ対策=専門知と全体知(感染症・歴史46億年・30億年・20万年・疾病の全体像・広報・心理学・、、、)。最終課題‘「私の仕事」の図の完成。 図解塾第1期:2020年9月10月に図解塾入門第1期。クラファン支援者とnote申し込み者=計20名(30代から80代。ビジネスマン・経営者・行政マン・企業OB)・教授・主婦)。ZOOM開催。Fbグループの併用。意思疎通。人の進歩と図の進化。日本発。立体的。つながり。論理。自由。楽しい。SDGs。ワクワク。自分の考え。図解=思考。図解道。、、、。新しいOS(基本ソフト)。国際言語。万能! あらゆる分野に役立つ武器。鈍才が秀才に勝つ技術。1月からの第2期「図解塾」:月2回+課外授業(図解・時事・人物・名言・著書・質疑、、、、、コミュニティ機能を重視)毎週(水)に。20時から2時間。クラファンで募集。1期生含め15名が参加。一緒に学ぶ。「若い人は年配者と付き合え。年配者は若い人と付き合え」(福沢諭吉)。スクーリングも(表参道、荻窪)。「図解道場」へ。プロジェクト(出版、研修、)、資格制度、、、、。

YAMI大学・深呼吸学部へ、ようこそ。(入部案内)|橘川幸夫|note

YAMI大学 深呼吸学部・特別学科「久恒啓一の図解塾」|橘川幸夫|note

『久恒啓一・図解コミュニケーション全集』第2巻「技術編」 | MIRAI FES!

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「名言との対話」1月11日。谷桃子「踊り手としてもう一生ほしいですし、振付にも指導にも、もう二生も三生も欲しいですね」

谷 桃子(たに ももこ、1921年(大正10年)1月11日 - 2015年4月26日)は、日本バレリーナ振付家。

外資系の商社マンの父と師範学校での母親の間で生まれ、ハイカラな家庭で幼少生活を送る。8歳で洋舞といわれていたバレーと出会う。女学校は自由教育の文化学院で音楽や美術にも触れていく。

 1947年 - 東京バレエ団コッペリア』の日本初演で主役を踊る。1948年 -、『白鳥の湖』のオデット役でるようになり、日本のバレエ界に一時代を画した。そして、1949年には谷桃子バレエ団を立ち上げる。

バレリーナ 谷もも子の軌跡』(文園社)を読んだ。谷桃子と親しい舞台関係が谷をかたる文集だ。三島由紀夫は「軽やかさ、その憂愁、そのエレガンス」と言い、タナー歌手の藤原義江は「舞台の上で音楽が歩いたり、とんだりしているよう」と評し、舞台芸術妹尾河童は「美意識の高さ」と述べている。

バレリーナとしての清楚な姿と好ましい人柄で、谷桃子は画家たちにファンが多かった。猪熊弦一郎小磯良平鈴木信太郎宮本三郎岡鹿之助らがモデルにした。三岸節子週刊朝日のモデルに使っており、三岸が谷をモデルに絵にしている姿や、デッサンを二人で眺めている写真をみることができる。なかでも奥村土牛の描いた傑作「踊り子」は院展で評判になった。

谷桃子の代表作でもある「白鳥の湖」は通算で1000回を超える公演となっている。1974年、『ジゼル』を最後に53歳で現役ダンサーを引退し、振り付け、指導に専念する。そして2003年には、日本バレエ協会第3代会長に就任し、2006年まで続けている。

谷桃子は優れた教育者でもあったようだ。この本には指導を受けたダンサーたちの尊敬の言葉が載っている。実力と意欲と厳しさの伴った指導に皆が感謝をしている姿は圧巻だ。「バレエは時間のかかるもの、一生勉強よ」、「色々なことが分かって来る頃には悲しいことに体の方が言うことを聞かなくなるのよ」などと指導していた言葉が弟子たちから語られている。

 85歳時のインタビューでは、「足や腰、背骨が磨り減ってしまい、骨がきしんでおきる関節の痛みです」とバレリーナの職業病を語っている。そして、「踊り手としてもう一生ほしいですし、振付にも指導にも、もう二生も三生も欲しいですね」という発言には驚いた。自分が生きたバレリーナとして歩んだ一生、それ以外にもう一生、そして振付師で一生、指導者で一生。なんという探求心だろうか、北斎のように「あと10年あったら」どころではない。こういう発言は今まで聞いたことがない。その後、10年近くもバレエの世界に生きている。享年94。

 谷桃子が活躍した時代と彼女のバレエ人生の軌跡を眺めると、バレエのパイオニアというだけでなく、その生涯は日本の舞踏史そのものだという感慨をおぼえる。

 バレリーナへの道〈65〉バレリーナ谷桃子の軌跡