寺島実郎の「世界を知る力」(東京MXテレビ)ーー中国と正対する意思

寺島実郎の「世界を知る力」(東京MXテレビ)をみました。1時間で以下の内容を説明するから、やはり速足となっています。リレー講座でも聴いているから深い理解ができたようです。

  •  ロンドンエコノミスト「2021年の展望」:「悪いことばかりじゃないよ」。中国がアメリカを追い抜くのは2028年(2035年から前倒し)。確率の高いシナリオから実現すべきシナリオへ。日本の埋没、権力維持のための政権交代
  • IMF世界銀行の世界経済見通し:2020年の世界は▲4.3%。2021年は+4.0%(2019年レベル)。日本は▲5.3%から+2.5%(2013年レベル。2008年から10年間は+0.7%成長)。中国は+2.0%から+7.9%成長。アジアも強い回復力。
  • 奇怪なことが起こっている:実体経済と金融経済の大きな乖離。実体経済▲5.3%、株価は+18.3%。2071年から20-20年でGDPは▲4.5%、株価は40.1%上昇。マジックマネーインパクトが定説だが、資本主義に変化が起こっているのではないか。
  • 課題:1:格差と貧困:70歳以上の高齢者の31.5%は預貯金は100万円以下、11.1%は3000万円。現役の6000万人のうち年収200万円以下は32.1%。5割は年収400万円以下の下層(エッセンシャルワーカー)、4割は中間層(テrワーク)、1割が年収1500万円・3000万以上の金融資産ありの上層(株・ビットコイン)。2:DX(デジタルトランスフォーメーション)。:AIが中間層の肩代わり。デジタルプロレタリアート。3:パンデミックはDXの影の部分、国家主導の対策へ。新しいルールの模索!デジタル課税などで財源など。
  • 現在の中国は大中国(漢民族+8%の少数民族)。江戸期の日本は通貨(寛永通宝1636年)の自立、暦(1685年の大和暦。826年から800年間は中国の暦)、国学(唐心から大和心。明治維新へ)。国境なき交易の時代(明1644年から清への過渡期)。4つの口(長崎・琉球対馬蝦夷)。日本の自立の時代。
  •  永遠の隣人・やっかいな隣人の中国と正対する意思が必要:1:日本文明・文化への自信:加上。創造力。進化させてきた。仏教は日本で民衆仏教へパラダイム転換。儒教を武士道の美学へ。2:強権化・強大化する習近平の中国:日本が敗戦によって獲得した民主主義。アジアの民主主義のリーダーとしての期待がある。3:米中に分断されない:大きくしなやかな構想力が求められる。理念性。アメリカをアジアで孤立させない。核兵器禁止条約など先頭に立つべきだ。中国を交際社会へ関与させる。尖閣問題など軍事力ではなく、外交力で解決すべき(国際機関など)。

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「名言との対話」1月17日。上田閑照「それでも私は、「見るべき程のことは見つ」と、まだ、言えない」

上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - 2019年6月28日)は、日本の哲学者

 東京生まれ。1949年、京都大学文学部哲学科卒業(宗教学専攻)。Ph.D.マールブルク大学、1963年)(学位論文「マイスター・エックハルト研究」)。文学博士京都大学、1976年)(学位論文「東西神秘主義研究」)。2003年日本学士院会員。2018年文化功労者

上田閑照集』岩波書店(全11巻。2001-03年)に著作のほとんどが入っている。それは以下で構成されている。西田幾多郎。経験と自覚。場所。禅‐根源的人間。禅の風景。道程「十牛図」を歩む。マイスター・エックハルト。非神秘主義 エックハルトと禅。虚空/世界。自己の現象学。宗教とは何か。

上田閑照『生きるということ 経験と自覚』(人文書院)を読んだ。

光陰矢の如し。その矢は自分自身を貫いて飛んでいる。(時間が過ぎ去るのではなく、自分自身が過ぎ去っていくということだ)

「生涯」とは何か:人の一生。人が生きる時代。生きることの質としての境涯。この3つの局面が組み合わさって浸透し合って生涯を成してくる。(一人の人生とそれを包む時代、そして生きることの質を左右する境涯、その組み合わせが」生涯であると理解しておこう)

「生命」は生物とつながっている。「生」は人間的な文化的生、生活、人生、より豊かにが生の運動。「いのち」は、死に触れることを通して触れる、宗教的なニュアンス、生き方。この3つの連関が「生きている」ということ。(生きているということは、生命、生、いのちの関連の中にある)

「経験」とは理解・対応できない事実にぶつかるという仕方で事実を知ること。実験(自分で験ためしてゆく)を重ねるという意味での経歴。自己が破られて世界が新しくなる。「体験」とは自分の世界を壊すという仕方で、痛さとともに事実がぶつかってくる。新しい世界への裂け目に身を置いて耐え通す時間が必要で、それに耐えて新しい世界がリアルに開かれてくる。深く統一されてくる。広くなる、深くなる。それまでの経験が新しく経験し直すことになる。尽十方(じんじっぽう)という無限の広さと深さへの転換、これが根本経験、純粋経験。主客未分。自己の根源。、、(外的世界の拡大は内的世界を深化させる、という私の信条のこと。しかしその先に根本・純粋経験という世界があるとのことだ)

 仏教:劫。巨大な宇宙時間。天人が100年に一度、薄い絹の衣で1回擦ることを数えきれないほど繰り返し、石がなくなってしまうまでの時間が一劫。我々の住む小世界が千集まって中世界、それが千集まって一つの大世界。それが、、、続いて巨大な三千大世界。(仏教世界の「時間と空間」の考え方がわかった感じがする)

以上、なかなか完全な理解は難しいが、以上、関心のあるところを拾ってみた。この本の最後は「それでも私は、「見るべき程のことは見つ」と、まだ、言えない」で終わっている。それを書いたのは1991年、65歳であった。上田閑照がそれから28年後に没するが、すべてをみたのであろうか。

 

生きるということ―経験と自覚