出版ラッシュの年か。

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以下、本日の動き。今年は何度目かの出版ラッシュになりそうな情勢。

  • C出版社の「全集」第2巻のゲラチェック。明日、手渡し。3月刊行。
  • C出版社の写真の選定。明日、共著相手のM君と相談。
  • P出版社と新企画のやり取りが始まった。
  • N出版社との大型企画の進行をめぐり日程調整し2月中旬に面談。
  • B出版社の新企画のインタビュー対象者のリスリアップ。

上記以外にも、下記の企画が進行中。

  • P出版社での期待の企画が大詰め。春に刊行予定。
  • U社の大型企画。今年仕込んで来年に形に。
  • NP出版の2020年版の6冊目。
  • C出版社の「全集」第3巻。
  • 非売品:リレー講座13年の学びの軌跡(2月)。ブログ本(2020年版)

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成績付け:A+。A。B。C。D。

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「名言との対話」1月28日。勅使河原宏「直接とびこんで体験する」

勅使河原 宏 (てしがはら ひろし、1927年1月28日 - 2001年4月14日) は、日本芸術家

東京美術学校日本画学科入学。兵隊候補の簡閲点呼の招集令状を受けとったが出頭せず、そのうち終戦となった。小林古径が指導教授、後に洋画学科に転科した。

卒業後、映画にのめり込み、木下恵介に師事。1962年から安部公房原作・脚本の「おとし穴」「他人の顔」「燃えつきた地図」を監督した。「砂の女」はブルーリボン賞、毎日映画コンクールの作品賞・監督賞、キネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得。国外でもカンヌ国際映画祭審査員特別賞サンフランシスコ映画祭銀賞を受賞し、アカデミー賞では監督賞外国語映画賞にノミネートされた。

1972年以降は、福井県宮崎村の草月陶房に通い、陶芸をやりながら自然の凄まじさ、猛々しさを知ることになった。1980年前後から「いけばな」の仕事に入り、父・蒼風と2代目となった妹の霞を失い跡を継いだ。1984年アントニー・ガウディ」で映画界に復帰し、フランス芸術文化勲章を受章。

古田織部ー桃山の茶碗に前衛を見た』(日本放送出版協会)を読んだ。

「いけばな」は環境をトータルで変えていこうという環境芸術だ。花を選び、それを素材としてもう一つの自然を創りあげる。花の名前を消して名前から自由になる。花とは色と線の素材であり、いけばなとは植物を素材とした空間表現だ。一定の時間がたてば花は無に帰ることになる。草月流の華道を継いだこの人は、規模の大きさ、自由で独創的な表現方法で広く注目されていく。

50歳を過ぎてから「お茶」の魅力を知り、茶の千利休も環境芸術家であったことを発見する。利休の師の武野紹鴎、その師の村田珠光、そして利休の弟子の古田織部に惹かれる。今回手にした本では、古田織部の前衛性に現代のアヴァンギャルドをみている。

映画の世界も捨ててはいない。1989年の野上弥生子原作の「利休」はモントリオール世界映画祭芸術貢献賞ベルリン国際映画祭フォーラム連盟賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞した。

勅使河原宏は映画、華道、陶芸、書、舞台美術、オペラ、庭園設計、、、などオリジナリティあふれる才能で、ジャンルにとらわれない創作活動を展開した人だ。父である草月流の初代・勅使河原蒼風も含め、「創造者の行為には強い吸引力と説得力がそなわっている」と観察している。「いけ花」の枠を超えるスケールの大きな個展は世界中の人々に新鮮な驚きを与えた。いけ花は「家庭だけが場ではない」とあらゆる空間を表現の場とした。「線の展開の面白さと葉のリズム」に興味が尽きなかった。特に強さと柔らかさがあり、変幻自在の竹という素材を使った作品も多い。

71歳のときのNHKアーカイブスの動画で「予期しないところに予期しないものが出現する面白さ、驚き。意外なものが出現し引いていく。ショックを与える」ために、仕掛けていくと語っていた。

 

勅使河原蒼風花伝書」には、「花は美しいけれど、いけばなが美しいとは限らない。花はいけたら、花ではなくなるのだ。いけたら、花は、人になるのだ」という言葉が載っており、草月流に縁のある人にはよく知られているという。その考えを引き継いだ勅使河原宏は「いけばなに形を与えてはいけない、いけばなはその時代時代にその形をあらたに持つものである」と、前衛的ないけばなを展開していった。

日本の創造者と改革者の時代の頂点は安土桃山時代とみていた勅使河原宏は、草月流の家元の家に生まれたことを幸運とするのではなく、自身の感性と才能と努力で、あらゆるジャンルを越えていこうとした創造性豊かな革命家であった。74歳という若さで惜しくもくなるが、その後の活動をみてみたいと思わせるオーラを感じさせる。

何かにとりかかるときは、「直接とびこんで体験する」主義で、その世界が積み重ねてきた常識、経験、技術にとらわれることなく、自由な視点でとりかかり、自分で発見し、新たな見方を身に着けていく。カタチから入らない、それが勅使河原宏の方法であった。桃山時代をモデルに文化の時代を創ろうとして、あらゆるジャンルの前衛たろうとした革命芸術家だったと総括しよう。

古田織部―桃山の茶碗に前衛を見た