バブルの真実:『堕ちたバンカー』『住友銀行秘史』『小説イトマン事件』。そして児玉博『堤清二 罪と業 最後の告白』『テヘランからきた男-西田 厚聡と東芝機械』

2021年2月3日刊。児玉博『堕ちたバンカー』(小学館)を読了。

住友銀行の平和相互銀行合併にいたる大蔵、日銀、政治家、住銀らの関係者との迫真のやりとりが記されている。主人公の國重淳史はメモ魔だった。1985年5月22日から、1986年2月5日までの、主人公國淳史の手帳の克明な記録をもとに書かれたページは131ページあるから全体の4割以上にのぼる。1986年10月に住銀の磯田一郎会長の悲願であった平和相互銀行の合併に成功する。その立役者が國重だった。

谷東口支店長となった國重は「イトマン事件」でさらに活躍する。戦後最大の経済事件となり、遂には磯田の辞任にまで発展する。その経緯は國重の告発書『住友銀行秘史』に詳しい。まだ刊行されていないが、『小説 イトマン事件』とタイトルをつけるべき國重が書いた小説の原稿を児玉は持っている。『住友銀行秘史』の小説版である。

2020年11月25日、イトマン事件で男をあげ、ラストバンカーと呼ばれた西川善文のお別れの会には國重の姿があった。

児玉博の取材法は独特だ。対象者に深く迫り、ガードが固い相手の理解者、そして友人にまでなり、ついに本音を白状させる。西武の堤清二東芝西田厚聡、そして國重らは、児玉には本当の姿をみせている。それがすぐれたノンフィクションとなって結実する。

國重との付き合いは20年に及ぶ。この本でも、赤坂のワンルームマンションで失意の國重を訪ねたときにも掃除をしながら袋に入っている書類を読むことも忘れない。人事発令の紙と國重の表情も見ている。必要な買い物も提案する。こういう「赤心」「一誠」の人には本音を語りたくなるのだろう。結果としてメモが書かれた手帳、小説の原稿、人事発令、などを手にしている。

この本は、『住友銀行秘史』と対で読まれるべき本だ。そして『小説イトマン事件』が世に出たとき、この3部作で四半世紀前の日本経済のバブルの様相とその中で暗躍した人たちの姿が歴史に残ることになるだろう。  

堕ちたバンカー: 國重惇史の告白

 以下、児玉博のノンフィクションについて私がブログに書いた記事。

 2016年大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した作品である児玉博『堤清二 罪と業 最後の告白』(文芸春秋)を読んだ。児玉博さんには橘川幸夫さんとの縁で2度ほど会っている。大分県の人で、2019年に『テヘランからきた男 西田厚聰東芝壊滅』(小学館)で、東芝の危機と転落を描いた辣腕の作家である。東芝の西田の場合も、堤清二と同じく、死が直前に迫ったときのインタビューをもとにした迫真のノンフィクションだ。

堤清二 罪と業 最後の「告白」

 

2017年。児玉博『テヘランからきた男-西田 厚聡と東芝機械』(小学館)を読了。 イランで現地採用され、業績をあげて東芝という名門企業の社長になってアメリカの原子力事業を6400億円で買った栄光の経営者。であったはずだが、それが契機となって東芝は奈落の底に落ちこんでいく。異端の戦犯経営者の告白を中心とした東芝問題の実像を大宅賞作家が描いたノンフィクション。

テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅

この本は、企業の事業展開、人事、マネジメントについて考える恰好の材料だ。

・ 西田(1943年生まれ)という人物はいかなる人物か?「情報を集めるだけ集め、学び、考え、判断していく。これを繰り返す」「勉強家」「庶民的で気さくな性格」「負けず嫌い」「起床は4時半。集中」「情報を集めろ、重層的にしておけ」「営業にいく国の成り立ち、歴史、思想的背景、思想家、民族の英雄、、、」「常に、5-6冊の本を読む」「読書せよ」「就寝前には藤沢周平作品」「日本、世界を東京からではなく、パリやボンなどから見れることが必要」「どうしたらできるかを考える人」「1973年イランで現地採用」「経済、政治、文明、文化の知識、教養がビジネスで問われる」「学問の世界だけでは自分の人生が実現できない」「時代に中におかれた個人」

テヘラン現地採用から始まり社長になった西田の選択と集中とは?半導体事業に1.7兆(東芝メモリー)、WH買収に6千億という大胆な投資を行った。東芝セラミックス東芝EMI、東芝不動産、銀座東芝ビルなどを売却した。

東芝を絶望の淵に落とした原子力事業買収とは何か?ブッシュ政権による原子力ルネッサンス。中国は2030年迄に原発140基建設。インドは現在の20基に加え30基以上の建設。2025年迄に170兆円に成長と予測。2030年迄にアジア・アフリカで156基の新規需要。世界潮流は加圧水型原子炉(PWR)。中国は2050年には500基導入を目指している。原発は安全保障と密接に結びついている。2011年の東日本大震災によってコストが大きくかかる構造になっていった。原子力事業を甘くみていた。

・WH買収の実態?企業価値は2400億円。2700億円で落札。当初は最大4000億円と見込む。結果として6400億円で買収。WHはショー・グループから疑惑まみれのS&Wという建設会社をプット・オプション付き(ショーが売りたい時には東芝は買い取る)で買収。原発建設の遅延でWHとS&Wは深手の傷を負い、損失を流し続けた。しかし、東芝はそういう事態に眼をおおっていた。現地企業をマネジメントができなかった。

・西田会長と自らが後継指名した佐々木社長の確執:「社長室からどなり合う声」「選んだ者と選ばれた者が歯をむき出すようにして罵り合う」「顔を合わせない」、、。人事抗争によって沈みゆく東芝を大物OBたちは見て見ぬふり。粉飾決算。つくられた数字で成り立つ会社へ。盟主が去った後の経営陣は烏合の衆と化した上場企業とは思えぬ体たらくをさらし続け、経営者会議は何も決められない。人事抗争と人物の払底。

東芝の石坂泰三、土光敏夫などがつとめた財界総理といわれる経団連会長職を望んだとされる異端の経営者によって、名門東芝という巨大企業が原子力という「神の火・悪魔の火」に関わる事業展開で転落するストーリーをロングインタビューで構成した優れたノンフィクションだ。

 

経団連会長職を望んだとされる異端の経営者によって、東芝という巨大企業が原子力という「神の火・悪魔の火」に関わる事業展開で転落するストーリーをロングインタビューで構成した優れたノンフィクション『テヘランからきた男-西田 厚聡と東芝機械』(児玉博。2018年)。

西田という人物はいかなる人物か。「情報を集めるだけ集め、学び、考え、判断していく。これを繰り返す」「起床は4時半。集中」「情報を集めろ、重層的にしておけ」「営業にいく国の成り立ち、歴史、思想的背景、思想家、民族の英雄、、、」「常に、5-6冊の本を読む」「読書せよ」「就寝前には藤沢周平作品」「日本、世界を東京からではなく、パリやボンなどから見れることが必要」「経済、政治、文明、文化の知識、教養がビジネスで問われる」「学問の世界だけでは自分の人生が実現できない」「時代に中におかれた個人」、、。

「余力を残してはいけない」という経営哲学を持っており、その実力と迫力で東芝本体の社長、会長に昇り詰める。「リスクは冒します。でもビジネスは賭けではありませんから、決して無謀なことはしません。、、大手ウェスチングハウス社の株式買収について、原子力は20年から30年のタイムスパンで収益性を考えなければいけない事業です」と説明していた。宴席で東芝の幹部だった私の友人も西田を高く評価していた。

WH買収の実態はいかなるものであったか。企業価値は2400億円。2700億円で落札。当初は最大4000億円と見込む。結果として6400億円で買収する。しかし東芝は現地企業をマネジメントができなかった。その結果が、粉飾決算、人事抗争、そして人物の払底となった。そして東芝債務超過に陥り、主要な利益部門の売却を迫られてしまう。そのさなかに西田は急性心筋梗塞で世を去った。

「センス・オブ・アージェンシー」、緊迫感、緊張感、焦燥感を携えて難問を解いて いった西田厚聰は、選択と集中を実行した「平成のスター経営者」から、最後は「名門崩壊を導いた戦犯」となった。安泰な企業はない。東芝自体も何度も危機に陥りその都度再建を果たしてきた。第15代社長のこの人の生涯を眺めると、仕事人生を全うすることは難事業だと思わざるを得ない。誰にとっても人生という作品を美しい姿に仕上げることは一大事業だ。

 

2016年に刊行された話題になった国重惇史「住友銀行秘史」(講談社)を読んだ。

住友銀行秘史

高収益で有名だった住友銀行の汚点となったバブル謳歌時期の裏で発生したイトマン事件の実相を、最も身近にいたものとして、1990年3月から1991年7月までの手帳日記で再現したノンフィクション。大企業の奥の院で志を果たそうとするビジネスマンの物語でもある。

著者は当時威力があった内部告発文書「Letter」を大蔵省、新聞社、行内、有力OBなどにばらまいた張本人であった。業務渉外部部付部長として住友銀行内部との葛藤と、それにからんだ伊藤寿永光、許永中らが起こしたイトマン事件の中心にいた一人である。銀行マンとしての首をかけた戦争であった。

あれから四半世紀が経って関係者は物故したり、第一線から退いており、迷惑がかかることも少なくなったとして、関係者は、実名で登場しているから、少しでも関心のあった向きは、よく理解できる構造となっている。磯田一郎、巽外夫、西川善文、樋口広太郎、堀田庄三、土田正顕、坂篤郎、佐藤正忠、、、。

許永中イトマンに絵を売り、その金でイトマン株を買い占めている。自分の金で乗っ取られているようなものだった。そういう構造で住銀が支援していた中堅商社イトマンが揺さぶられていた。

以下、銀行内部に対する著者の感想から。-誰も引き金を引きたくない。-住銀の内部は権力闘争の混じった統制のとれない悪循環。-徹底した減点主義ノメガバンク。-バブルでゆるみ、浮かれ、タガがはずれていた。-高い地位にある人間は自分から降りることができない。-社内の勢力図が変わろうとすると、皆変わり身と逃げ足だけは速い。-権力は周囲から腐っていく。-何も決められない。-怒りと焦れ、呆れを通り越して悲しかった。「権力の頂点にあった人物を引きずりおろすのは重いことだ。」「一日遅れたら、一ヶ月遅れたら、それだけどんどん損失が増えていく。」以下は、ようやく磯田会長の辞任、イトマンの河村社長を解任した後の著者の感慨。-高揚感はまったくなかった。後味が悪かった。抜け殻のようになった。-相変わらず人事ばかりを気にする空気が蔓延。-人事の見立てほど虚しいものはない。-皆、自分のことしか考えていない。いかに自分が安全地帯に逃げれるか。-無力感。

著者はその後、本店営業第一部長、丸の内支店長、取締役を経て、住友キャピタル証券副社長、ネット証券社長、楽天副社長、副会長を経験。70歳になって、新たな事業を始めている。

この本は、バブル期の裏面史を描いているが、また大企業の内幕と実態、その中で保身でうごめく人々の群れの姿を写している。この描写された姿は大小を問わず多くの企業も同じだ。私もそうだったが、読者は自分の組織と自分を重ね合わせながら、身につまされるであろう。

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「名言との対話」2月2日。紀平悌子「父の残念と、母の無念、その二つを自らのものとして生きる」

紀平 悌子(きひら ていこ、1928年2月2日 - 2015年7月19日)は、日本政治家参議院議員。

聖心女子大専門部歴史学科を卒業後、市川房江の門下入りし、婦人・市民運動の道に入る。1950年、日本婦人有権者同盟事務局員として婦選会館に入る。1953年、参議院議員となった市川房江の初代秘書。1964年有権者同盟事務局長。1972年、会長。1989年、参議院議員

佐々家は戦国武将・佐々成正の末裔。父は吉野作造の弟子の佐々弘雄。リベラルの論客であったが九州帝大政治学教授の地位を「アカ教授」のレッテルを貼られて追放される。東京で浪人しながら文筆活動を行い、緒方竹虎朝日新聞に迎えられ、論説委員。戦後、参議院議員となり、緑風会を起ち上げる。51歳で夭折する。

『父と娘の昭和悲史』(河出書房新書)を読んだ。『昭和政治悲史』にある父の考えと娘の悌子の眼という対照で綴られた本だ。昭和初年から、二・二六事件大政翼賛会、敗戦、昭和23年の父の死までの期間が対象である。父の生涯と思想を紹介すると同時に、悌子自身の自分史にもなっている。

弟は危機管理で有名な佐々淳行で、私はビジネスマン時代から本を多数読んでいる。東北新幹線の中で挨拶をし、話をしたことがある。兄は朝日新聞佐々克明、この人のことは日本地域社会研究所の落合英秋社長からよく聞いている。

悌子は、実の父からは「自由の心」を継ぎ、そしてもう一人の父・市川房江からは「婦人運動の魂」を学んだと語っている。

悌子が働いた婦選会館を2005年に訪問したことがある。2階に市川房江の記念室がある。偉大な社会運動家であった1893年明治26年)生まれの市川房江の写真とともに、言葉が飾ってあった。そこには「運動は事務の堆積である」という簡潔だが、重い言葉が記してあった。長い長い時間をずっと社会改革の運動に捧げた、類のない型の女性闘士市川房枝ならではの言葉だと感銘を受けた。その市川房江が師であったのだ。この本では、市川房江と並んで、デモや演説などで活躍する写真をみることができた。

そして、ファシズムとの闘いで空しく敗れた父の残念さを受け継ぎ、才能を殺しイエを守る苦しい一生を余儀なくされた女性の母の無念、その二つを自らのものとしえ生きよう。それが悌子の信念だった。

座右の銘である「人の価値は棺を覆いて後分かる」言葉を胸に、紀平悌子は最近まで政治に警鐘を鳴らし続けた。享年87。

 

父と娘の昭和悲史