ブログの連続記入6000日ーー「日記考」

ブログ「今日も生涯の一日なり」の連続記入日数が、昨日で2004年9月28日以来6000日に達しました。16年以上毎日書いていることになります。

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以下、日記を書き続けた人たちーー永井荷風は38歳から79歳まで42年間日記を書いた。ローマ教皇ヨハネ23世は14歳から死去まで日記をつけた。野上弥生子は38歳から62年間ほとんど毎日書いて1.9万枚で単行本63冊相当。小渕恵三は50年以上毎日日記を書いた。金子兜太は50代半ばからほぼ毎日40年以上書いた、「私にとって日記が唯一の財産」。和田勉は高校時代からずっと日記を書いた。原田國男は28年間日記を書いた。池田光政は29歳から61歳までの33年間日記をつけた。高山彦九郎は27歳から47歳まで21年間。阿久悠は44歳から70歳まで26年7か月、毎日書いて9700日。シュリーマンは12歳から68歳まで50年以上。原敬は19歳から65歳まで、原敬日記。安田善次郎は33歳から82歳まで49年間毎日。黒田清隆は毎日日記を書いた。佐藤栄作は24年間の日記40冊が6巻の書物になっている。モーリス・ドニは13歳から生涯日記を書いた。町田の小島家の当主日記は86年間続いた。高橋是清は毎日。松本清張は71歳から書いた。山本一力は30代後半から力を入れて書いている。吉野作造は30歳過ぎから亡くなるまで日記を書いた。坪内逍遥は29歳から77歳まで書いた。

以下、日記について発言している人たちーー鈴木健二辰濃和男高木東六おおば比呂司山田風太郎外山滋比古高野悦子、田鍋友時、梅棹忠夫、赤松重明、古川ロッパ、上田晃、鹿島茂山本周五郎司馬遼太郎黒田清隆ピカソ与勇輝、西川祐子、樋口一葉羽仁もと子、日本日記クラブ、徳富蘇峰、、、、

私のブログは1日に原稿用紙(400字)3枚とすると6000日で1.8万枚になり、それは単行本60冊相当、4枚なら80冊分相当になります。この3枚のペースは生涯で大小370冊の本を書いた本多静六博士とほぼ同じペースとなります。書く量は段々増えてきています。

このブログ日記は1日も休まずに書いていることが特徴のようだから、この記録がどこまで伸びるかやってみましょうか。宮本武蔵によれば「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬となす」とのことだから、日記という稽古を1万日続けて初めて鍛錬が完成する。まずは1万日を目標にしようか。そこまで今から11年ほどかかる計算です。

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・プレジデント社から刊行する本の第一校正作業が終了。第二構成は3月下旬。5月に刊行予定。

・NJ出版社の企画の原稿修正を来週から始めることになった。

・大学:秘書と打ち合わせ

・電話:地研の落合社長。橘川さん。母親。

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「名言との対話」3月4日。天地茂「つまらん奴の手にかかるより、貴公に斬られたかった」

天知 茂(あまち しげる1931年3月4日 - 1985年7月27日)は、日本俳優歌手

高校卒業後、松竹京都を経て新東宝スターレット1期生として入社。「東海道四谷怪談」、「黄線地帯」など数多くの作品に出演した。
東宝倒産後は大映東映の映画に出演しながらテレビでも活躍の場を広げる。特に1963年のドラマ「孤独の賭け」の千種役で大きな人気を得る。その後、「一匹狼-ローンウルフ」、「夜の主役」、「大岡越前」、「江戸の牙」など現代劇、時代劇を問わず幅広く活躍。中・後期の代表作は「非情のライセンス」の会田刑事と「江戸川乱歩シリーズ」の明智小五郎天知茂は断片的に映画やテレビでみていたが、苦み走った個性的で存在感のある俳優だったという印象がある。

天知茂を評す言葉は、ダンディー、キザなセリフが似合う、個性派、ハードボイルド俳優、クール。ヒル、、、。ニヒルな役柄の代名詞的存在として、孤独なヒーロー役や悪役を演じることが多かった。その実力は三島由紀夫が戯曲『黒蜥蜴』(江戸川乱歩原作)の上演にあたって次のように最大級の賛辞を送っている。「もう一人の問題は、(美輪明宏の)相手役の明智小五郎だつた。このダンディ、この理智の人、この永遠恋人を演ずるには、風貌、年恰好、技術で、とてもチンピラ人気役者では追ひつかない。種々勘考の末、天知茂君を得たのは大きな喜びである。映画『四谷怪談』の、近代味を漂はせたみごとな伊右衛門で、夙に私は君のファンになつてゐたのであつた」。テレビでも明智小五郎役は好評で、天知の当り役となった。

テレビ時代劇においても、映画界時代以来培ってきた安定感のある演技力で主演および主要脇役として活躍した。『非情のライセンス』では主題歌「昭和ブルース」を持ち前の渋い低音で歌ってヒットさせている。

天知茂は映画「座頭市物語」(1961年)の平手造酒役で頭角をあらわした。ふとしたことから親しくなった座頭市(勝新太郎)と平手造酒(天知茂)。二人は相対する親分に草鞋を脱いでおり、二人は対決することになる。一瞬の斬りあいの後平手が倒れ、「見事だ、、、つまらん奴の手にかかるより、貴公に斬られたかった」というこのセリフを口にする。座頭市は亡骸を抱き、涙する。名シーンだ。甲子園の高校野球でも、優勝チームに1、2回戦で惜敗した高校がエールをおくる姿をみかけるが、優れたライバルとの闘いこそ男冥利に尽きるということだろうか。

脇役、悪役、主要脇役、準主演、主役と進み、1985年夏、これから役柄を広げようとしている矢先に急逝した。三島や渋澤龍彦らに高い評価を受け、今から大輪の花が咲くか、という54歳だったのは惜しまれる。