野田一夫先生と昼食を摂りながら、いただいた推薦文の載った『全集』第2巻を贈呈。

朝:大学でスケジュール確認。

昼:広尾の有栖川公園近くのレストランで野田一夫先生(93歳)と半年ぶりにお会いしました。昼食をご一緒し、「図解コミュニケーション全集」第2巻(推薦文をいただいた)を贈呈。

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以下、表紙に使った野田先生の推薦文。

『図解革命進行中!』

「膨大な著作や多数の講演によって、日本発の「図解革命」は今なお進行中です。『図解コミュニケーション全集』全10巻が完成すれば、「図解革命」の経典となるでしょう。」

久恒啓一 図解コミュニケーション全集 2 技術編 図解コミュニケーションの技術 (コミュニティ・ブックス)

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午後:荻窪で地研の落合社長とミーティング。

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夜:デメケンの定例ミーティング。

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「名言との対話」3月8日。金子辰雄「私には761のふるさとがあります」

金子辰雄(1930年3月8日ー)はNHKアナウンサー。

東京生まれ。1951年早稲田大学法学部卒業後、NHK入局。主として芸能番組を担当した。1962年から1964年、「TV危険信号」を担当。1970年から1987年まで「NHKのど自慢」の司会者として全国を旅した。36年間のアナウンサー生活を終えて1987年定年退職。その後もテレビ、ラジオで司会をするなど活躍した。

1988年、16年8ヶ月続けた「NHKのど自慢」の余韻冷めやらぬときに書いた『ふれあい2000万人ののど自慢』(講談社)を読んだ。

訊ねた市町村は761。走行距離は地球16周。出会った出場者は35万人。この旅で泊まった旅館・ホテルは800軒。本番では、歌のうまい人以外にも、人気者、歌好き、地場産業で働く人を選んでいるから、下手な人も入っている。

木曜日は自宅で資料に目を通しながら勉強。金曜日に収録地に向かう、その夜から翌日の午前中は現地取材。土曜日は午後1時から350人が参加し25人を選ぶ予選会。日曜日の昼が本番というスケジュール。これはプロゴルファー並みの過酷な日々であっただろう。仕事生活の大半はこの番組で埋まり、家族と過ごしたの日々も半分くらいだろう。

この本の中のある一章はのタイトルは「明るく楽しく元気よく」だ。金子の人柄のよさがにじみ出ている態度そのものだと納得した。参加者だけでなく、テレビの視聴者と一緒に泣いて笑って過ごした日々である。この本の表紙の笑顔は素晴らしい。

「出会い・ふれあい・めぐりあい」が口ぐせだった金子は「800軒の我が家」「私のふるさと761」「旅は勉強の場」などの項を設けて世話になった人への感謝などを記している。「ゲストはみんな、あったかい」「縁の下の力持ち」「頼りになるスタッフ」などの項では関係者に目配りしている。全国各地に「のど自慢」の同窓会があり、出場者同士の結婚もあり、金子自身はその仲人を8回もしている。

平成の市町村合併の前は全国で3232の市町村があり、1800ほどに整理された、当時761の市町村を旅したということは、4分の一を訪ねたことになる。

地名がよくでてくる推理小説を携えて、推理小説の舞台を訪ねている。松本清張内田康夫江戸川乱歩、あたりの小説だろうか。旅の一つの楽しみ方だ。

「国民的」と形容する作家や俳優などは何人かいるが、テレビ番組でつけることができるのは、「紅白」と「のど自慢」だけではないだろうか。誰もが楽しく、そして癒されたこの番組には仕事人生の半分を捧げた金子辰雄がいたのだと改めて感謝したい心境になった。素朴で誠実な日本人がいることに国民が励まされたのだ。人は一つの仕事を全うできればそれでいい。本業自体がライフワークなった幸せな人ともいえる。金子辰雄は人々の心の中に灯をのこしたのだ。その灯はまだ続いている。

ふれあい2000万人の「のど自慢」