寺島実郎「世界を知る力」ーーこの10年、復興は進んだのか。中国とどう向き合うか。

寺島実郎「世界を知る力」の6回目。東京MXテレビ

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 ・震災から10年:20世紀初頭の1901年は漱石もみたヴィクトリア女王の死去は「イギリスの世紀」の終りの象徴。21世紀初めの2011年9月11日は「アメリカの世紀」の終りの象徴。21世紀は「アジアの世紀」になる。

GDP。2000年:日本14%・日本を除くアジア7%・アメリカ25%。2010年:日本7%・アジア17%・アメリカ25%。2020年:日本6%・アジア25%・アメリカ26%。2030年予測:日本4%台・アジア32%・アメリカ22%。

・日本の貿易額。2010年アメリカ12.7%・中国20.7%。2020年アメリカ14.7%・中国23.9%・アジア54.2%。20230年予測:アメリ12%・中国26%・アジア61%。

・この10年、復興は本当に進んだか?:人口:岩手・宮城・福島3県の人口は▲32.9万人で6.1%の減、しかも仙台など大都市に集中。経済:2010年から2017年では第一次産業は▲33.9%(全国▲16.9%)。第二次産業(含む建築・土木)は+29%(全国14.7%?)。ハードを中心とした復興予算37兆円(防潮堤400㎞の8割・土地のかさ上げ等)。果たしてその後の新産業は興るか。日本海側を含む東北ブロック全体で2045年までで人口は▲30%。広域東北の構想はまったくみえていない。
・防災力を高める産業構造へ:1995年の阪神淡路地震から2020年までの25年の変化は、コンビニ5.6万件で社会インフラになった、スマホ・携帯が人口の1.5倍になり情報力のベースになった。地震・台風・風水害に対する日本列島の防災力を高めるべきだという教訓を得た。構想力と戦略性がキーワードだ。日本総研は医師会・土木学会と協力し道の駅を防災拠点とするプロジェクトを遂行中(備蓄・トイレ・PCRなどのコンテナ)。

・21世紀、中国と正面からどう向き合うか? 「尖閣問題」。北方領土(ロシア)、竹島(韓国)と違って、武力衝突の可能性がある。尖閣問題は存在しなかったが1968年にエカフェの資源調査で石油の埋蔵の可能性が指摘され、1970年代から中国が関心をもってきた。1978年トウ小平が来日し「棚上げ、後の世代に」と発言。2010年代には領有を主張する台湾も含め魚釣島をめぐる事件が起こった。2018年、中国海務局(海上保安庁にあたる)は軍のラインに位置付けられ準武力組織になった。日本、中国ともに「固有の領土」と主張しているが限界がある。正統性から主張すべきだ。双方の主張を相対化すべきだ。

・日本の主張:沖縄に帰属する。江戸時代には琉球は日中両属だった。ペリーの来航時には5回琉球に立ち寄り外交関係を結んでいる。明治の廃藩置県の延長で1879年に「琉球処分」で沖縄県にした。1895年1月には伊藤博文内閣は無人島の尖閣の領有権を閣議決定した。1896年、古賀家に貸与し、1932年に払い下げた。国際的にみて日本固有の領土(inherent:もともと、生来の)であったのではない。1943年の戦後処理を話し合ったカイロ会談でルーズベルト蒋介石琉球はどうするかと聞き、蒋は信託統治か、中米の共管と答え、アメリカは軍事基地のために施政権を得たが、もともと日本領土だったという認識だった。

・中国の主張:「尖閣は台湾に帰属」しており中国の領土だ。日清戦後の下関条約で仁日本に奪われた。台湾が中国に戻った。明・清時代は中国に帰属していた。(半分は正しいが、半分は違う。台湾は中国帰属ではなかった)。台湾では外省人に対し、「台湾人」としての自覚が高まっている。

・日本の主張の正当性:日本はサンフランシスコ講和条約で戦後世界に登場した。この条約には中国本土も、台湾も参加していない。(国連常任理事異国の台湾は1952年日華条約で追認)。第2条は台湾、ぼうこ諸島は放棄。第3条ではアメリカ合衆国を施政権者とする。これは大西洋憲章ルーズベルトチャーチル)で「領土拡大はやめよう」となった流れをくんで、信託統治で正当化したものだ。1951年、1953年に民政布告。尖閣は沖縄に含まれる。古賀家にはアメリカは使用料を払っている。本来、領有権があって施政権が発生するものだ。1971年の沖縄返還協定でも尖閣は入っていた。しかし、その直前にアメリカは方針転換をし、「あいまい作戦」に転じた。中国にも配慮し、領有権については逃げた。ニクソンキッシンジャー蒋介石の台湾に気をつかい、1971年10月の米中国交回復で毛沢東の中国に気をつかった。1972年3月、福田外相は「アメリカのあいまい、中立に不満」を表明し、意思表示を行った。2020年11月の菅・バイデン会談、2021年2月26日の国防省「領有権には立場はとらない」。事態をややこしくしているのはアメリカだ。

・開講的解決に向けてすべきこと:筋道のたった方策。:1領有権の確認(アメリカと折衝)。2国連理事会への意思表示。3中国・台湾と対話し主張を明確化。4国際司法裁判所への提訴し国際法理の遵守。「世界」5月号に書いた。全体知で考えよう!

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 ファミリー・ヒストリー。母に電話して聞く。みっちゃん。れんくん。

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テレビ:・「青天を衝け」。 上原美術館(下田)。黒木竹子。モネ。埼玉盆栽美術館。ジョルジュ・ビゴー。「稲毛海岸」。

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「名言との対話」3月21日。小林司「「ホームズ物語」全体がドイル(作者)の心情告白である」

小林 司(こばやし つかさ、1929年3月21日 - 2010年9月27日)は、精神科医作家翻訳家

東京大学大学院博士課程修了。医学博士大宅壮一東京マスコミ塾第7期生。上智大学カウンセリング研究所教授を経てメンタル・ヘルス国際情報センター所長。

 小林は熱心なエスペランティストとしても知られており、エスペラントについての入門書、あるいは開発者のザメンホフに関する著作も多く、共著・再刊を入れると100冊を超える著訳著を刊行している。またジークムント・フロイト研究でも有名な人である。

18歳年下の洋子夫人は東山あかねという筆名で、「二人で一人」と語っているように、シャーロック・ホームズ」関連の共著・訳を中心に共著で数十冊刊行している。1977年秋に小林・東山は日本シャーロック・ホームズ・クラブを創設した。

 私はロンドン駐在時に、パブ「ザ・シャーロック・ホームズ」をのぞいた記憶がかすかにある。 ホームズはベイカー街に住んでいたことになっている。夏目漱石はベイカー街の一本西のグロスター・プレイスに住むシェイクスピア研究家W・J・クレイグ教授のもとで個人レッスンを受けていた。そして1901年、ヴィクトリア女王の告別式を目撃している。それはイギリスの世紀の終りの象徴だった。

日本にもシャーロキアンは多い。架空の人物であるのに、全国に関連するものがあるのは珍しい。軽井沢にホームズ像、神戸異人館の英国館、大阪駅前第一ビル地下一階に英国パブ「シャーロック ホームズ」、、、。

まだ30代の頃、NHK「サラリーマンライフ」に出演した時に、小林司にスタジオでお会いしたことがある。当時は上智大学の先生だった。『サラリーマンライフ』は、1976年4月11日から1985年3月30日までNHK教育で放送されたテレビ番組だ。

二人の共著『シャーロック・ホームズ入門百科』(河出文庫)を読んだ。精神科医であった小林司は「「ホームズ物語」全体がドイルの心情告白である」と発表した。以下、ホームズの言葉を拾ってみよう。「精神を集中するコツは、済んだことを忘れることだ」「自分の行動は、法的にみると犯罪かもしれないが、道徳的には正しいのだ」「誰だって失敗するけれども、それを認めて、二度と誤りをくり返さないようにと反省できる人がえらい」「転載とは限りもなく努力する人のことだ(カーライル)」「人間の生存に不可欠ではない余分なものーーたとえばバラの花ーーの美しさを見ると、神があることがわかる。だから、美というもにに人間はもっと希望を抱くべきだ」、、、、、。

 人がある著者や登場人物のファンになるのは、自分が感じていること、考えていることを代弁してくれていると共感するからだ。シャーロック・ホームズの言葉は、小林司の言葉と理解しよう。