隆慶一郎『時代小説の愉しみ』(講談社)ーー書く愉しみは、読む愉しみでもある。

古本市で買った隆慶一郎時代小説の愉しみ』(講談社)。

隆 慶一郎(りゅう けいいちろう、1923年大正12年〉9月30日 - 1989年平成元年〉11月4日)。影武者徳川家康』(1989年、新潮社)、『柳生刺客状』(1990年、講談社)をずいぶん前に読んで興奮した記憶がある。司馬遼太郎が「ライバルがあらわれた」と言ったという説もある。非農業民という一種の自由人の眼で歴史を眺め、その様相を書こうとした作家である。

時代小説の愉しみ (講談社文庫)

以下、拾い読みから。書く愉しみは、読む愉しみでもある。

時代小説の愉しみ、少なくとも書き手にとっての愉しみは、この古本屋での眩暈にに似ている。些細な史実にこめられた感動、さりげない言葉に秘められた目くるめくような美しさ。

・「死人の方が、生きている人間より確かだからでしょうね」。「死者たちの決然とした風貌の見事さはどうだ」「志を立て、それに殉じた。その誇りだけが烈々と私たちに訴えかけて来る」

・あの賞(ノーベル賞のこと)は、人生が間違いじゃなかったよと、仏様の光明のように、遠くからやって来た。(福井謙一の妻)

「あとがき」には、「私自身も含めて、小説家は不勉強だったとつくづく思う。歴史家に負けていてたまるか、と密かに敵愾心を燃やしているのである」とある。そのあとがきには、「平成元年7月20日東京医大病院にて 隆慶一郎」と書いている。それから3か月たたずに亡くなっているから、その志は完遂はできなかった。

もともとはテレビ、映画のシナリオライター池田一朗)であり、本格的に時代小説を書き始めて、直木賞候補になった『吉原御免状』を書いた1986年からわずか数年しか、作家生活はなかった。この人に時間があったら、日本史を書き換えたかもしれないと思うと残念だ。

1996年新潮社で『隆慶一郎全集』全6巻が刊行された。2009年9月より2010年7月にかけ同社で、新版『隆慶一郎全集』全19巻が刊行された。

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朝5時から12時まで、来週の準備のためのひと仕事。

図解塾・課外授業。大学院講義準備。ファミリーヒストリーの質問作成。6月刊行のP社の原稿の初校の著者校正。

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「名言との対話」4月11日。すぎやまこういち『無冠の帝王』っていう負け惜しみ的な自称を返上できる」

すぎやま こういち(本名:椙山 浩一(読みは同じ)、1931年4月11日 - )は、日本作曲家編曲家指揮者

東京生まれ。武蔵中学校青島幸男と知り合い生涯の親友となる。成蹊高校では音楽漬けに日々をおくる。音楽大学への進学を希望していたが、ピアノが弾けなかったことから断念し、東大に進学する。文化放送に入社、1958年開局準備中のフジテレビに移籍する。

ディレクターとして、「ザ・ヒットパレード」を企画。1960年代からはCM作曲家としても活動。1965年、退社しフリーとなる。1968年から作曲活動に専念し、ザ・タイガーズやザ・ピーナッツの黄金時代を支えた。1970年代には特撮音楽、アニメ音楽、そしれ1980年代にはゲーム音楽を手がけ、「ドラゴンクエスト」などゲーム音楽の作曲家として活動する。2004年、SUGIレーベルを設立。2020年、文化功労者

B面の王者を自称している。ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」、ザ・タイガーズ「花の首飾り」「君だけに愛を」など大半の曲、ヴィレッジ・シンガーズ亜麻色の髪の乙女」、ガロ「学生街の喫茶店」、、。また、CMソングは2000曲以上にのぼる。政治家の民主党松原仁自民党稲田朋美らの応援曲にも手を染めている。

以下、語録から。

 「音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る」「曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主」「プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要」「曲のメロディはもちろん大事ですが、大きな構造で考えるとスコアは設計図みたいなもの」

「最終的な完成形を頭の中でイメージしないで闇雲にキーボードを叩いても良い作品は生まれない」「若い時から優れた作品に触れることが重要」「音楽を創る上で一番大切な感受性は習って身につくものではない」苦労しないでフッと浮かんだ曲が結果的にいい曲になる

ゲームファンでもある。「煮詰まったらドラクエやる」「ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません」「ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません」「DQドラゴンクエスト)のスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ」

「曲作りの勉強は独学です」「楽家は勉強が好きじゃないと務まらない仕事」「芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切」「子どもの時から音楽が好きでしたので、音楽学校に行くことも考えましたが、音大の入試にパスするほどピアノが弾けませんでした(最終学歴:東京大学教育学部教育心理学科)」

「音楽は心のタイムマシーン。、、、音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、それが10年前であろうと20年前であろうと一瞬にしてパーンとその人をその時の気持や情景に送り込むことができる」

ユーチューブで2016年の交響組曲ドラゴンクエストⅣ」導かれし者たち コンサート」の東京交響曲を指揮し、聴衆に語る元気な声を聴いた。2018年の「ドラゴンクエストⅣ」のテーマ音楽の指揮をする姿をみた。すぎやまこういちのつくるゲーム音楽はオーケストラの演奏という本格的なものだ。

「ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄」とし、「(ゲーム音楽は)何回聴いても飽きない曲でないといけない」とのめり込んだようだ。

ゲーム音楽、アニメ音楽、映画音楽、テレビ番組の主題歌と素晴らしい業績であったが、不思議なことに賞には恵まれてはいない。2020年に文化功労者となったとき、「『無冠の帝王』っていう負け惜しみ的な自称を返上できる」と笑いつつ喜びを語った。「命ある限り音楽家としてやっていきたい」というように、最高齢ゲーム音楽製作者のギネス記録を更新中である。