「抽象写真」ー生命力は想像力を誘い出す

散歩中にふと思いついて、木々に近寄って撮影してみました。抽象画のようです。

抽象画といえば、父が脳溢血で倒れたときに「いづこの部分が夫のことばを奪ひしや抽象画のごとき脳の影像」と詠んだ母の短歌を思い出します。

最近107歳で亡くなった篠田桃紅は、「抽象画は想像する芸術。具象は見てわかる、理解するもの。抽象は理解するものではなく感じるもの。想像力を誘いだす」と言っています。写真にも抽象という分野があるかもしれません。生命力は想像力を誘い出す。

f:id:k-hisatune:20210424213056j:image

 f:id:k-hisatune:20210424213032j:image

 f:id:k-hisatune:20210424213038j:image

f:id:k-hisatune:20210424213042j:image

ーーーーーーーーーーーーーーーー

図解塾課外授業の「ライフワーク」と大学院の授業準備。

ーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」4月25日。富永一朗「長生きはするもんだ」

富永 一朗(とみなが いちろう、1925年4月25日 - )は、日本漫画家

京都生まれ。5歳の時から父の郷里の大分県佐伯市に移り、中学卒業までそこで育つ。大分県立佐伯中学(大分県立佐伯鶴城高等学校)に2番で入学、卒業。小学校教員をしていた母が恋愛事件を起こして東京に出奔し、このため祖母に育てられた。学費無料の台湾の台南師範学校に入学するも、学徒出陣。

敗戦後、教員免状を得て台南師範学校を卒業。佐伯市で小学校教員生活。1951年上京。帝国興信所で会社年鑑の編纂。『モダン日本』編集部の吉行淳之介から才能を認められ、後に吉行が移った三世社の『講談讀切倶楽部』に作品を多数掲載された。1953年頃から「赤本」と呼ばれた子供向け漫画単行本や貸本漫画を描く。4コマ漫画は「この方式は僕が初めてではないか」と語っている。

恰幅いい体型がトレードマークだったが、還暦を超えて糖尿病と診断され、生活を改めた。「健康じいさん」を自称し、模範患者として医療関係のシンポジウムや講演を通じて啓発活動を行い、闘病記も著した。代表作はチンコロ姐ちゃんポンコツおやじ、せっかちネエヤ、びっくりはるあき。

富永の漫画と姿はテレビでもよくみかけていた。日常や男女、忍者、歴史物語などをテーマにした作品は、いずれも「クスッ」と笑わせるユーモアが特徴だ。

『東京珍味 たべある記』(柴田書店)を読んだ。昭和42年刊行だから富永は42歳頃だ。「月刊食堂」に3年ほど食べ歩きのスケッチと文章を連載した。その100軒の記録をまとめたものだ。「安くてうまくて珍しい庶民の店」を食べ歩く胃袋の青春譜だ。確かにこの生活スタイルを続ければ糖尿病になるだろう。

私はこの本は出てから6年後の1973年に東京で就職している。食べたことのある店もあった。銀座イタリー亭。銀座の有薫酒蔵(九州料理)。銀座のお多幸(おでん)。新橋のさつま(鹿児島料理)。鶯谷の笹乃雪(とうふ料理)。浅草の駒形どぜう(どじょう料理)。神田ユック(北海道料理)。渋谷のくじらや(くじら料理)、、、。そこはかとするユーモアと軽快なエッセイで、私も青春時代を懐かしんだ。

値段をみてみよう。イタリー亭のナポリタンは300円。笹乃雪の三品コースは230円。くじら屋の尾の身さしみは250円。駒形どぜうのどぜう鍋は180円とあるのだが、この古本には「45.11.22」の書き込みと、どぜう鍋180円を250円と鉛筆で修正している。数年で4割近くも値上がりしていることがわかる。インフレ時代で物価も給料も上昇中だったことがわかる。

静岡県伊豆の修善寺には、ライフワークとして取り組んでいる作品集「一朗忍者考」の貴重な原画26点を集めた「がある。

2016年に広島カープが優勝した時には、長年のカープファンの富永は「長生きはするもんだ」と語っている。そしてこの記事を書いている本日、2021年4月26日(月)の西日本新聞には、「ユーモアたっぷりに別府描く 95歳富永一朗さん「まんが展」」という記事が載っているから、まだ元気なのだろう。本日で96歳だ。

東京珍味たべある記 (1967年)