『女性セブン』の「人生 遅咲きがちょうどいい」がニュースで流れています。
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この記事へのコメントは19件もありました。賛否あり、興味深い。
- 53歳です。今も惑わされてばかりいます。小学生のころから見ていた波平さんの年齢になってしまうことに感慨深いものがあります。あの当時はおじいさんと思っていましたが、その年齢になると、まだまだ動けるように思えます。1.6倍という数字は妥当なのかもしれません。そうであってほしいと思う、まだまだ成長途中だと信じたい男性でした。
- そうかもしれませんね。昭和10年代後半、昭和20年代前半生まれの親の発言に対する違和感が半端じゃないです。高度成長期の現役世代(現在の5,60代も含む)の感覚だと難しいですね。低成長期の現在は今迄の枠では生きづらいと思う事が多いです。
- 年齢を重ねて感じるのは、体力と気力の違いです。やはり、30で自立できるように20代、10代を過ごす方が若手にもいいような気がします。ただ、発達のデコボコさんは精神的に幼い部分があるので、無理せず気負わずもともとの教えを目安にしていきたいと思います。ただ、早熟な方は同じ年齢でも、落ち着いているので楽しみ方を知らないな~と感じることもあります。逆に私は精神年齢が低い方だったので、昔ご迷惑をおかけした方々に心から懺悔する日々です。なので、ボランティには極力参加するようにしています。人それぞれの人生、許容され、また、再チャレンジできる社会であって欲しいものです。
- 違う。六十にして耳に従い、 七十にして心の欲するところに従いて矩をこえず。であって、50歳で終わりではない。また、孔子は74歳で死んでいる。「論語」を自説の都合の良いように編集するな。
- 仕事しなくなってからの何十年にする事が無い症候群が問題
- 「人生100年時代」見るのも聞くのもイヤな言葉。記事タイトルにしないでください。
- そりゃ人にもよるけど、人生100年もいらない。死ぬ権利も必要になるかな?
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朝は、近藤さん(秘書)と多摩センターで打ち合わせ
夜は、デメケンのミーティング
1万4千歩。
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「名言との対話」5月17日。棚網良平『ゴルフで「間」は非常に大事。間のないゴルフは、間抜けというんだ』
11歳からゴルフを始め、戦前は東京GC、戦後は相模CCと名門コースの所属プロとして活躍し、相模CCでは名誉プロとして所属している。戦績は1950年の関東プロ、1960年の日本プロで優勝。1987年には関東プログランドシニアを制す。正確なショットと、アプローチ、パットの小技が無比なプレイヤーだった。
日本プロゴルフ協会(PGA)理事として1969年から2年間、PGA副理事長としては1974年から4年間、プロゴルフ界発展の為に尽力した。1999年、文部科学大臣顕彰を授賞。ゴルフスポーツの普及、そして向上発展に多大なる貢献をした。
棚橋は宮本留吉の弟子であり、江連忠らカリスマコーチの師匠でる。。孫弟子には上田桃子や諸見里しのぶらがいるなど、指導者としてもすぐれた業績をあげている。
以下、棚橋のゴルフ理論のパット編を少し学んでみよう。
- 「ショートパットは命がけで打て」
- 「賞状を受けるときの手の位置を参考にしろ」。賞状をもらうときは、両ひじが軽く脇についている。その状態から左の手のひらを右の手のひらに上から重ねてクラブを持つ。このときの両わきのポジションを変えずにアドレスに入れば、左右の手の長さはそろう。
- 「パターは握るんじゃない、吊るもんだよ」。左手でパターを吊り、右手は手のひらをやや上に向け、吊った左手に添えるだけ。
- 「半身で構えれば「距離に立つ」ことができる」。これはヘボゴルファーの私にはまだ理解できない。
江連忠は、グリーン上ではスパイク跡やボール跡を最低3つは直しなさい。それはバンカーでも一緒と、棚橋に言われていた。そして「棚網先生は悪魔の魔ぐらい、間は難しいと言ってました。間のタイミングとかリズムというのは目に見えない。しかしその目に見えないものをコントロールすることが、一流ではないかと、教えてくれたのです」と語っている。「間」は日本の芸能でも重要な概念だ。「間が悪い」「間が抜けた」など、「間」の取り方が演技を左右するとされている。まさに「間は魔物」である。
優れた弟子を持つことは思想や技術が生き続けることであり、師匠としての自分の価値があがえることでもある。夏目漱石は優れた作品を書いたが、同時にいい弟子を育てたている。亡くなったあと、名をなした彼らが讃えたために、日本文学史における漱石の存在はさらに大きくなった。
日本のゴルフの黎明期の第一人者だった宮本留吉に学んだ棚橋の場合はその理論と技術を継承する江連忠という後継者を得て、次の世代の上田桃子や諸見里しのぶなどの一流選手に引き継がれている。人を育てる醍醐味はここにある。