夜は大学院の「インサイトコミュニケーション」の授業を3時間。

大学院の3回目の講義。

 朝日新聞日経新聞の記事を題材とした演習。以下、翌日の早朝までに届いた感想。

  • 「図解と人生はくっついているので分けて語れない」という先生の言葉に、極めるってこういうことなんだろうなと羨望の念を抱きました。【学び】・1日1図(1週1図からでも)、簡単な物でもやってみる。意識します!・図は捨てずに書き直す、書き足す形で仕上げていく。・正解を求めない。答えは一つでは無い。自分なりの理解を表す。「自分の理解の共有=伝えたいこと」か?!・演習で、理解できてない状態で図解に取り組むと形にならないことを身をもって経験。【授業で取り組みたいテーマ】日本文化、都議会選挙。以上、本日もありがとうございました。
  • 5月21日第3講、ありがとうございました。1.感想。だんだんと要領が解りはじめて、面白さがましています。今日は、図を構成してからどこまでの情報を入れるべきかということの理解が少し深まりました。簡単にしすぎると解らない、伝わらない。必要な情報は文字の大きさや図の形を工夫して入れる。一方で、図にしようとすると理解できなくても、文章だと流してしまいます。文章に対していかに適当に対応しているかということも解りました。これも図解することの威力だと思います。文章を整理するときにも役立ちます。きっと!2.次回以降の希望する講義は、順に①人生鳥瞰図②私の仕事③日本文化をお願いしたいです。おつかれさまでした。ありがとうございました。
  • 本日の授業の感想:・本を読むときに自分にとって大事なところ、自分なりの解釈でよいという言葉が印象的でした。線を引きながら読み、キーワードを丸で囲み、図にすることで自分なりの要約を完成させるという手法は今後、修士論文を書くときに使いたいです。・図解に自分のクセがあると感じています。タイトル(見出し)がないこと、情報量が少ない、結論が抜けていること。図解=図を意識することにより、文字情報を少なくしようとする傾向がありますが、タイトルと結論は必ず記載しなくてはならない重要な情報であることを意識したいです。・今後の授業で取り組んでみたいことは「私の仕事図」と「人生鳥瞰図」です。この2つは重なっているところがあると思います。今の仕事を選んだ背景にはこれまでの人生がどこかに影響している可能性があるのではないでしょうか。仕事から人生鳥瞰図につながる図は自己分析にもつながるのではないかと考えております。・本日の宿題になった新聞記事の1stバージョンの写真を投稿します。「一日一図」明日もう一度記事を読み直して図解にチャレンジします。手法:①目で読む、②手で読む、③重要なキーワードの丸印、④キーワードを書き出す、⑤キーワードを組み立てる。
  • 先生の[正解はない]を聞くたびに、頭の余計な考えがなくなります。先生は図解だけでなく、図解と哲学を合わせて話してくださったところ、感動する場合があります。例えば[遅咲き]の話しのところ[生き甲斐、やり甲斐]を言及してくださった。生き甲斐やり甲斐の話しを何回聞いたが、留学生として先生の話しを聞いてつい感動しました。苦しくて(図解を描くのは難しい)楽しい授業です。【学び】* 図解を描く時、情報全体を把握することは大事です。*理解した情報を図解でどう正しく伝えることも重要です。【取り上げたいテーマ】*仕事図*人生鳥瞰図。本日もありがとうございました。日本語の間違いがあれば教えていただくと大変助かります。
  • 本日もありがとうございました。【学び】•図解により、複雑な文脈を整理することができる。全体像、構造、つながりが理解しやすい。•図解することで、新たな疑問がわき、内容の深掘りにつながる。•図解しにくい文章は、そもそも文章がよくない。•骨格を図解し、そこに周辺情報を付加すると、わかりやすくかつ情報量も豊富な図解となる。【感想】•講義を受けるごとに、時間があっという間に経ちます。演習は楽しい。•それぞれの方に図解の特徴があると思いました。皆さんの図解を見るのはとても参考になります。私の場合は単調、ワンパターン。字の大きさを工夫したり、図のバリエーションを増やし、わかりやすいものにしていきたい。•印象的だった先生の言葉。 1. 今の時代は「起承転結」ではなく「起承転転」 2. 忘れることに罪悪感を持たなくてよい。忘れるのは知識が多い証拠。忘れるから新しく知識が入る。次回以降も含蓄ある言葉を楽しみにしています。【取り上げたいテーマ】 いずれもハードル高いですが、「日本文化」、「人生鳥瞰図」に興味があります。
  • 本日の講義もありがとうございました。講義ごとに新たな課題が見つかります。絵心は不要で、論点が大事という指摘には、根本的なことを気付かされました。また、本を読む際の、ライン引き、自分の気になったところを見直し図解にするという方法は、今後行っていきたいと思いました。あらためて、講義の中でいつもより頭を使っていることに気づき、図解にすることは、数学の証明を行うことにも似てる作業だと感じました。論点を見つけて、自分なりの答えが出せるよう、引き続き講義に臨んでいきたいと思います。今後のテーマ希望:*日本の文化。日本文化の関係性や繋がりを確認してみたいので。*自分の仕事図。自身の仕事の見直しや、皆さんの仕事図についても見てみたいので。
     
     
     
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日経新聞は「文化欄」がいい。本日の記事から。

  • 伊集院静「ミチクサ先生」。作品を読んだ金之助はその作品の価値を的確に捉えるから、誉められた若手作家は、その栄誉に恥ずかしくない作品を書こうとするようになる。鈴木三重吉「なかなか佳い文章を書く人です」。樋口一葉「『金色夜叉』よりはるかに良い作品だ」。島崎藤村「明治の時代に小説らしき小説が出たとすれば『破壊』であろう」。野上弥生子も。
  • 「交遊抄」。片山虎之助「役人を怒っても、代わりに役人にはできなことをしてやればいい」
  • 「Curators of  Sweden」は政府が希望する国民にツイッターアカウント(@sweden)を提供する。母国を美術館のキュレイターのごとくつぶややりかた、も紹介されています。
  • マンガ図書館。内記稔夫(27万点)米沢嘉博(14万点)の収集した漫画コレクションを土台に、「マンガ・アニメ・ゲームの複合アー開ブス施設」の構想(森川嘉一郎

今日の発見「構造はシンプルに。関係は詳細に」

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橘川さんと打ち合わせをしながら昼食。

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大事な人が亡くなった。

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 「名言との対話」5月21日。半藤一利「昭和史の教訓ーー根拠なき自己過信と底知れぬ無責任」

 半藤 一利(はんどう かずとし、1930年昭和5年5月21日 - 2021年〈令和3年〉1月12日)は、日本ジャーナリスト戦史研究家作家。享年90。

文芸春秋社に入社。坂口安吾を担当する。「週刊文春」編集長時代はロッキード事件取材を陣頭指揮。「文言春秋」編集長。1993年『漱石先生ぞな、もし』で新田次郎文学賞。専務取締役を経て1995年に退社し、「歴史探偵」を自称し作家活動に専念する。

1998年、『ノモンハンの夏』(大宅壮一の名を使った)で山本七平賞。2006年、『昭和史』で毎日出版文化賞特別賞。2009年、語り下ろしの『昭和史1926-1945』『昭和史戦後編1945-1989』。2015年、菊池寛賞を受賞する。

私は半藤さんの本はよく読み、テレビの対談やインタビューも聞き、映画になった作品も見ている。昭和や太平洋戦争については、この人から学んだ。半藤の持論は「憲法9条を守るのではなく育てる」だった。

オーディオブックで、半藤一利『昭和史』(1926-1945年)34巻を全編聴いた。著者の半藤さんが語るのを聴くという講義スタイルなので、毎日少しづつ勉強するということになる。勉強と健康の一石二鳥である。

この「昭和史」は、終戦時に中学生だった半藤さんの実感も交えて、1928年(昭和3年)の満州某重大事件(張作霖爆殺事件)から始まった日中戦争の全過程、その延長線上に勃発する大東亜戦争への突入と1945年の敗戦に至るまでの激動の昭和の前半が語られている。この20年の過程で、日本人の死者の合計は310万人を数えるという惨憺たる結果になった。明治維新から日露戦争まで40年かかって築いた大日本帝国は、その後の40年で滅び焦土となった。

半藤一利は、この「昭和史」の教訓をあげている。総括すると、日本は「根拠なき自己過信」に陥っていた。「国民的熱狂をつくってはいけない」「抽象的観念論を好み、具体的理性的な方法論を検討しなかった」「タコツボ社会の集団主義の弊害」「終戦にいたる国際的常識を理解していなかった」「大局観・複眼的考え方がなく、対症療法、短兵急な発想に終始した」。日本は気がついたら、最終的に中国、米英、ソ連などほとんど全世界を相手に闘うということになってしまっていた。そしてこの大戦争は始めたはいいが、やめることは実に難しかった。

聴き終わって、軍部の暴走、マスコミの扇動、国民の熱狂、冷静さの喪失、責任者の無責任、人事の怖さ、世界情勢に対する感度不足、情報戦での敗北、、、など感ずるところが大であった。この昭和史は、日本人自身の陥りやすい欠点がすべて込められていると思う。

後半の『昭和史』(1945-1989年)も聴いたのだが、「戦前編」32巻と合わせて68巻になる。一つ30分としても34時間以上の時間がかかっている。約2カ月間、半藤節を通勤途上で聴いたことになるが、実に充実した時間だった。歴史に関するオーディオブックは、読み上げるアナウンサー口調だと無味であるが、その時代を生きた人物が語り下ろすという工夫は人間味があって楽しめる。

最後に「横町の隠居なりのお節介な忠言」として、今の日本(小泉内閣の末期の2005年から2006年にかけて)に必要なことを述べている。1・無私。私を捨てて努力と知恵を絞ることができるか。2・勇気。自分の組織から出て行く勇気を持てるか。3・大局。グローバル展望力を持つ、そういう勉強ができるか。4・自立。他国に頼らないで情報を得ることができるか。5・風格。大事を成すことができるか。

「日本型リーダーはなぜ失敗するのか」(文春新書)の最後の「あとがき」の最後に、「げに人のリーダーたるは難きかな、人に信頼の念を抱かせる人格形成は難きかな、なのである」と述べている。日本の軍隊はリーダー像をどのようにとらえていたのか。威厳と仁徳などの人格論に終始していた。しかし日本の軍隊はリーダーを補佐する参謀を重視し、陸大や海大は軍事オタク養成機関に過ぎなかったと喝破している。その参謀がやがてトップになっていくというしくみである。海軍大学校では「戦略・戦術・戦務・戦史・統帥権・統帥論」が72.8%。「国際情勢・経理・法学・国際法」といった軍政の授業は13.2%、「語学・日本史」などの一般教養は14%しかなかった。人格教育などはできていなかったらしい。それが太平洋戦争の敗戦につながっているという見立てだ。 リーダーに必要な世界観の醸成と人物としての修養に失敗したということだろうか。

辻正信にインタビューしている。大本営参謀は軍中枢部であるのはずだが、上層部の責任となっている。半藤一利は実際に辻に会った後「辻は自分の責任を全く考えていない、絶対悪というものが存在するのならば、この男のようなものを言うのだろう」と厳しくみている。敗戦の原因が辻正信のいうとおりならば、とうてい総合力としての国力からみれば、戦争を起こすことはできるはずもなく、また勝つはずもなかった。 

 松本清張司馬遼太郎は様々な面で興味深い比較ができるようで、両方と近い関係にあった編集者で後に作家となった半藤一利は「清張さんと司馬さん」というエッセイをものしていた。ローアングルの清張はデビュー作から最晩年の「両像・森鴎外」まで一貫して鴎外に興味を持ったのに対して、ハイアングルの司馬は晩年には漱石を懐かしむようになった。

 半藤一利原作の『日本のいちばん長い日』は、昭和天皇鈴木貫太郎内閣の閣僚たちが御前会議においてポツダム宣言を受け入れ日本の降伏を決定した1945年昭和20年)8月14日正午から宮城事件、そして国民に対してラジオ日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言の受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を描いている。岡本喜八の1967年版と原田真人監督の2015年版があり、私は戦後70年を記念した2015年版をみた。昭和天皇本木雅弘鈴木貫太郎首相は山崎勉、阿南陸相役所広司が演じたこの作品は、強い意思、狡猾さ、自己犠牲を持つこの3人のチームプレーで終戦となったストーリーとして描いており、話題になった。昭和天皇44歳、鈴木貫太郎首相77歳、阿南陸軍大臣58歳だった。何事も始めるのは簡単だが、終わり方は実に難しいものだが、特に戦争の場合は特にそうだと痛感した。1967年版では、切腹する直前に阿南陸相に「生き残った人々が、二度とこのような惨めな日をむかえないような日本に、、、なんとしてもそのような日本に再建してもらいたい」と語らせている。

 新宿区立漱石山房記念館がオープンしている。早稲田から歩いて10分。漱石が1907年の40歳から1916年に49歳で亡くなるまで住んだ場所だ。「夢十夜」「三四郎」「それから」「門」「彼岸迄」「行人」「こゝろ」「道草」「明暗」「硝子戸の中」などの作品を書いた家である。名誉館長は半藤茉莉子。この人は漱石の五女の筆子の娘で、作家の半藤一利の妻である。

2021年『文芸春秋』3月号は「追悼!半藤一利」特集だった。9歳年下の保阪正康、40歳年下の磯田尚道らが、先輩・半藤を語っている。半藤のいう「根拠なき自己過信と底知れぬ無責任」、それを昭和史の最大の教訓と考えたい。戦後70年以上経って、この教訓をあらためて心に刻みたい。 

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー 671)

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー 671)

 

 

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)

  • 作者:半藤 一利
  • 発売日: 2009/06/10
  • メディア: 文庫