「中里介山『大菩薩峠』--明滅するユートピア」展(日本近代文学館)ーー28年間にわたり書き続けた「大乗小説」

日本近代文学館の「中里介山大菩薩峠』--明滅するユートピア」展。

 中里 介山(なかざと かいざん、男性、1885年明治18年)4月4日 - 1944年昭和19年)4月28日)は、日本小説家

f:id:k-hisatune:20210523062228j:image

西多摩郡羽村に生まれる。小学校高等科を出たあとは、独学で学んでいく。電話交換手、小学校教師を経て、キリスト教から社会主義に関心を向けて平民社に参加。その後「都新聞」で新聞小説に健筆をふるう。経典のほとんどを読破した上で、生死について「空」の観点から説いた『大般若経』を傍らに『大菩薩峠』を執筆していく。ある経典の見返し裏には「一介の愚人」という赤字の書き込みがある。

都新聞、大阪毎日新聞東京日日新聞、隣人之友、国民新聞、読売新聞などで連載し、最後は書き下ろしとなっていく。

「世界一の長編小説」を目指し、28歳から56歳まで、」1913年から1941年まで28年かけて書いた『大菩薩峠』は未完に終わった。

大衆小説ともいわえrたが、介山はそうではないとし、「大乗小説」だと反論している。大乗仏教の思想を体した小説という意味である。前半は盲目の剣士で「音無の構え」の机龍之介を中心とした死の匂いの立ち込める部分で、後半はユートピアの建設と崩壊の繰り返しが展開されている。

介山の年譜をみて驚くのは、37歳から草庵や学園などを次々とつくっていることだ。妙音草庵、隣人学園、黒地蔵文庫、隣人道場、八雲谷草庵、そして1930年に羽村大菩薩峠記念館を建て、西隣村塾を開き農業と教育に従事する共同体をつくろうとする。青年が読むべき本として「論語」と「聖書」をすすめている。その後も日曜学校も開設している。51歳、衆議院議員選挙の立候補し落選、54歳アメリカ旅行。『大菩薩峠』の最終巻は56歳である。

泉鏡花谷崎潤一郎をはじめ、宮沢賢治島尾敏雄、堀田善ねい、多田道太郎鹿野政直安岡章太郎夢枕獏鈴木敏夫らが高く評価し、1920年半ばにベストセラーになる。

大菩薩峠』に関与した画家も多い。石井鶴三が代表だが、小川芋銭坂本繁二郎石井柏亭山本鼎、伊藤深水、岸田劉生などが関わっている。演劇・映画でも澤田正二郎など多く上演されている。

日本近代文学館には中里介山文庫があり、10371点の資料が収蔵されている。

 「峠は人生そのものの表徴である。過去世と未来世との中間の一つの道標だ。菩薩が遊化にくるところ。外道が迷宮を作る処」。大菩薩峠はそういう意味を持っているのだ。

中里介山は「大乗小説」と位置付けた『大菩薩峠』だけを生涯書き続けた。後半部分から読んでみよう。 

大菩薩峠 全20巻セット

大菩薩峠 全20巻セット

  • 作者:中里 介山
  • 発売日: 1999/09/01
  • メディア: 文庫
 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

コロナの緊急事態宣言、まん延防止などで開いているのは、駒場日本近代文学館と、横浜の神奈川近代文学館のみだ。今日は、神奈川近代文学館で「三浦哲郎展」をみてきた。膨大な執筆量。自殺と疾走の兄弟姉妹。母と兄弟姉妹を執拗に描く小説家。30歳で芥川賞をとった『忍ぶ川』(新潮文庫)を買う。井伏鱒二が師匠。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

外山滋比古ラジオ深夜便「100歳人生はこう歩く」95歳時のインタビューから。96歳で没。

「少食。レム睡眠。男子厨房に入れ。耳を使う知的生活。口を大事に。目で読む文字は過去のもの。AIができないものをやれ。3人寄れば文殊の知恵。70過ぎて3人会を再開。失敗が大事。実験的に生きる」

外山 滋比古(とやま しげひこ、1923年11月3日 - 2020年7月30日)は、日本英文学者言語学者評論家エッセイスト。1983年の著書『思考の整理学』はロングセラーで文庫版は124刷、253万部に達した。90歳代になっても知的好奇心を失わなかった人。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

「名言との対話」5月22日。村松喬「「教育の森」は新聞の力、新聞の自由の上に成り立っており、それは強大なのである」

村松(むらまつ たかし、1917年5月22日 - 1982年11月15日)は、毎日新聞記者、作家、教育評論家。

村松毎日新聞の学芸部長をへて論説委員となる。教育現場取材チームのキャップとなり、1965年から1032回にわたり「教育の」を連載,し、菊池寛賞などを受賞した。のち東海大学や、芦屋大学で教授として教鞭をとった。

 「この「教育の森」については、当時話題になり私も記憶している。教育現場の苦悩と問題を記した企画は多くの共感を得ていた。

『教育の森』は全12巻ある。1966年9月刊行の『教育の森 家庭と学校』(毎日新聞社)を読んでみた。

 私の中学から高校時代の教育事情が記されていた。「通知簿」「学級通信」「ランドセル廃止」「PTAの現状」「近代化の動き」「学歴意識」「実力主義への動き」などの章がある。

絶対評価よりも相対評価のほうが客観性がたかいというが、、」。「母親なら誰もが、いつも授業参観できるとは限らない」。「「学校でしつけ」「家庭で学習」これこそ本末転倒の見本」。「「義務教育はこれを無償とする」という憲法とPTA会費の矛盾」。「一般社員はどうしても子供を大学へ、幹部社員は子供を有名大学へ」。「一番から四百番まで、一番目につくところにはり出して競争させる」。

私の中学、高校時代に受けた教育そのものと問題点が記されていて、興味深く読んだ。親が子供の学歴獲得を至上とする考え方、成績を毎回1番から最下位まで張り出すというやりかたなど、今から考えると異常な世界だった。私が通った中学では、補習では各クラスも成績順に席が決まっていたことも思い出した。成績が下位の子共たちをなんども傷つけたはずだ。

こういう見出しで毎日、書く小さな欄「教育の森」の力は大きいものがあったようで、予想外の大きな支持を受けた。「教育の森」は新聞の力、新聞の自由の上に成り立っており、それは強大なのである。と村松喬は最後のページで書いている。

この「教育の森」が話題になってから半世紀たった。メディアの力は自由の上にある、ことを改めて感じる読書となった。