八木哲郎さん死去ーーー「偉い人」「名伯楽」「ライフワークに取り組んだ人」「肥後もっこす」

八木哲郎さんが20日に亡くなくなりました。90歳でした。

NPO法人知的生産の技術研究会の創始者で、1970年から50年の間、この会を運営してきた。私は1980年から40年間にわたり一緒に活動してきたので、八木さんのことは誰よりもよく知っていると思う。いずれ本格的な「八木哲郎論」をまとめたいと思いますが、ここではいくつかのキーワードで故人を偲ぶことにします。

 

八木さんは「偉い人」だ。私は人の偉さは与えた影響力にあると考えている。八木さんは深く、広く、そして長く、若い人たちに影響を与え続けた偉い人である。人は育てた人の中に生きていく。そしてその人を通して次の世代以降にも影響を与えていく。人は死なないのだ。八木さんは生き続ける。

八木さんは「名伯楽」だ。八木さんに育てられた人は多い。私もその一人だ。私には人生の師が3人いる。野田一夫先生は新しい世界へ招いてくれた大恩人だ。寺島実郎さんは不動の北極星という存在だ。八木さんはじっくりと育ててくれた名伯楽である。「伯楽は常にあれども伯楽は常にはあらず」。名伯楽によって今日までなんとか歩いてきたという感慨が私にはある。

八木さんは「ライフワークに取り組んだ人」だ。「『19世紀の聖人 ハドソン・テーラーとその時代』と今回の『義兄弟』でライフワークが終わった。可能ならもう一冊」と2015年に私に語ってくれた。上下巻で1000枚の大作の小説「義兄弟」は完成したが本にはなっていない。2020年には『中国と日本に生きた高遠家の人々』も上梓している。中国と宣教師というライフワークにかけるエネルギーには敬服する。

八木さんは「肥後もっこす」だ。若い頃は狷介だったと自らを語っていたことがあるがそういう場面には私は出くわしたことはない。熊本県人の特徴を示す「肥後もっこす」と自称していた。以下、その特徴をあげてみる。ーーーー純粋で正義感が強く、一度決めたら梃子でも動かないほど頑固で妥協しない。短気で感情的で強情っぱり。意外と気の小さいところもある。プライドや競争心が強く、とくに恥やメンツにこだわる。曲がったことを好まず駆け引きは苦手で、他者を説得する粘り強さに欠け、プライドや反骨精神が強いため、組織で活躍することは向いていない。激しい性格でも陰険ではなく、南国らしく大らかで明るい。 不器用なところがあり、裏技や小細工といったものとは無縁。強情なだけでなく神経が細やかで細かい心配りができる。肥後の腰提灯。意地の熊本。肥後の引き倒し。、、、、まさに八木哲郎さんは肥後もっこすの典型だったなあ。

ご冥福を祈ります。 

19世紀の聖人ハドソン・テーラーとその時代

19世紀の聖人ハドソン・テーラーとその時代

  • 作者:八木 哲郎
  • 発売日: 2015/04/01
  • メディア: 単行本
 

 

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東京MXテレビ「世界を知る力」対談編。なかにしれいと寺島実郎の対談。以下、なかにしれいの発言から。

  • 国家が破綻すると国は国民を棄てる。時代の車輪が動くと人は抗えない。棄民。
  • 2000万人が犠牲となった世界大戦を経験した世界のコンセンサスと理想が結実したのが「9条」を持つ日本国憲法。戦後社会へ復帰するにあたっての国際社会へ向けての宣言だった。この憲法によって生き方、あり方、教育も変わる。
  • 歌、舞台、小説などを創造する文化人は愛を与える仕事。文化と芸術は憎悪ではなく愛情を与える職業。
  • 『愛は魂の奇蹟的な行為である』『ナンパ、不良、エロスな反戦』『1984』

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「名言との対話」5月23日。ジョシュア・レダーバーグ「この星を支配し続ける人類を脅かす最大の敵はウイルスである」

ジョシュア・レダーバーグ(Joshua Lederberg, 1925年5月23日 - 2008年2月2日)は、アメリカ合衆国分子生物学者で、遺伝学、人工知能、宇宙開発の研究者。

 15歳でニューヨークにある名門高校を卒業し、1941年にはコロンビア大学に入学し、動物学を専攻し生化学や遺伝学の実験を行った。学士号の取得と軍役を兼ねて、1943年から軍の病院で衛生兵として働き、海兵の血液や排泄物中のマラリアの検査を行い、1944年に医学士号を取得した。
コロンビア大学医科大学院で実験医学の研究を始め、大腸菌有性生殖期に入ると、接合を通じて遺伝情報を交換することを明らかにした。大腸菌の染色体のマッピングの研究で、1947年にイェール大学より博士号を取得した。

ウィスコンシン大学マディソン校の遺伝学の助手となり、1957年には医学遺伝学部門を設立した。1958年にノーベル生理学・医学賞を受賞後、スタンフォード大学に移り、遺伝学部門を創設した。

1957年のスプートニクの打ち上げの際には、宇宙探査の生物学にあたえるインパクトについて考え、全米科学アカデミーに宛てた手紙の中で地球外起源の細菌が宇宙船に乗って地球にやってきた場合、未曾有の病気が発生する可能性について言及した。また逆に、地球から発射される人工衛星や探査船に付着する微生物によって地球外生命が脅かされる可能性についても警告した。彼が主張する宇宙生物学は、NASAの生物学における役割を拡大した。1960年代、エキスパートシステムのDENDRALを開発した。1978年に彼はロックフェラー大学の総長になり、1990年までつとめている。

アメリカ政府の科学アドバイザーを長年務め、1950年には大統領の科学顧問になった。1979年には防衛科学委員会の委員になり、ジミー・カーター大統領直属のガン対策委員会の委員長となった。1989年にアメリカ国家科学賞を受賞し、1994年には湾岸戦争症候群を研究する部局の責任者となった。2006年、大統領自由勲章を受章した。
私生活では、1946年にフェローの学生だったエスターと結婚し、共同研究を行ったが、1966年に離婚している。女性科学者は、何世紀にもわたって不遇であり業績は夫や同僚の手柄となっている。革新的な業績を残したにも関わらず、不当な扱いを受けた女性研究者としてエスターも紹介されている。

「百年に一度と言われるウイルス禍の日本、中国、世界。再び「あのとき」を体験し、検証し、本質を抉る全く新しいノンフィクション」である門田隆将の『疫病2020』は、「この星を支配し続ける人類を脅かす最大の敵はウイルスである」というジョシュア・レダーバーグの言葉から始まっている。

微生物やウィルスの視点から、人体の小宇宙から天体の大宇宙までを視野に置いたジョシュア・レダーバーグの業績は大きい。宇宙時代を迎える人類の最大の敵はウィルスであったか。コロナ禍による第三次世界大戦下にあるという認識だけではなく、地球という星とそこに住む人類の運命をウイルスが握っているという視界も必要な時代になったようだ。