「新しい個人とは何か」ーー深呼吸学部は次のステージへ

 深呼吸学部の第2ステージ。20時半から23時半まで参加。

  • 小谷正一:闘牛。大阪万博パ・リーグ。野球の実況中継。インテリ・ヤクザ。自由! 清成忠男ベンチャービジネス。勉強会ブームと前田真人。
  • 新しい個人とは何か?:参加させられ型社会から参加型へ。参加と参画。プロジェクトが仲間をつくり、仲間がプロジェクトをつくる。仲間感覚。やわらかな、ゆるやかな方向感。雑談とチャットから始まる。身体という自己からはじるもの。フラットな関係。プレイヤーとプロデューサーの循環。ちゃんづけ運動。ライブ感。居場所。生徒=先生。(テーマに触発されて私が語ったこと、他の人の言葉で刺さったもの)
  • 無分別知(大拙)。名辞以前(中也)。集宙。1.4万年の縄文。キリストから現在までの7倍の平和な時間。道具と身体の関係。五感。感じること。、、、

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午前

・ヨガを1時間。

・散髪でスッキリ

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「名言との対話」8月28日。小山宙丸「聖書は人間的な、魅力にあふれた書物である」

小山 宙丸(こやま ちゅうまる、1927年8月28日 - 2006年9月22日)は日本の哲学者。

1990年から4年間、第13代早稲田大学総長をつとめた。1997年には早稲田大学在任中に白鴎大学学長就任している。亡くなったときは白鴎大では大学葬を行った。白鷗大は、小山の後は、2007年から森山眞弓、2013年から奥島孝康と続く有名人学長路線だ。2021年からは北山修学長となっているが、この人はフォーククルセイダーズで活躍し、「戦争を知らない子供たち」「風」「花嫁」「さらば恋人」などの作詞家だった人だ。本業は精神科医で九大教授だった。有名人だからということではなく、学内から推されたのだろう。こういう発見も面白い。

さて、小山宙丸総長はわずか1年半在籍した外交官・杉原千畝の事績を知って感銘を受け夫人を訪れて顕彰状を手渡し、早稲田大学校友として遇している。

小山の実家は東京都北区岩淵町の小山酒造だ。長く都区内唯一の造り酒屋として知られていた。名前は私でも知っていた酒造だが、残念なことに2018年に酒造業から撤退している。

小山の著書には、『概説宗教学』(稲門堂、985年)、『比較宗教哲学への道程』(早稲田大学出版部、1992年)、『中世末期の神秘思想』(上智大学中世思想研究所編、小山宙丸編訳・監修、平凡社、1992年)、『聖書をめぐる九の冒険』(ネスコ、1995年)、『ヨーロッパ中世の自然観』(創文社、1998年)がある。

『聖書をめぐる九の冒険』(小山宙丸編著)を手にした。小山と弟子たちが書いた本である。小山は「聖書の魅力ーー聖書世界へのみちびき」を書いている。旧約聖書は600-700年かけて書かれた1700頁の一流の歴史書であり、新約聖書は60-70年かけて書かれたイエス・キリストの言行録だ。この本には作家の三田誠広も「十二使徒から読み解く人間・イエス」を書いている。

小山宙丸の経歴を見ていて驚いたことがある。小山宙丸は1998年に早稲田大学を定年退職した年に、カトリックに改宗している。比較宗教哲学を専門として長く研究を重ねた結果なのだろうか。

ここでは「比較」という学問の方法を考えてみたい。比較社会学、比較教育学、比較政治学比較文化学、比較文学、比較音楽など、比較という冠をつけた学問分野は多い。比較しなければ対象は分からないのだから当然という気もする。170㎝の身長というだけでは人の背の高さはわからない。160cmより高くて、180㎝より低いということで私たちは初めて理解できる。絶対値ではなく、相対で実体をつかめるから、比較という方法は普遍的な方法論なのだ。

梅棹忠夫は生物学から始まり、生態学に移り、人間を対象とした民族学を研究し、そして最後は「比較文明学」を構築しようするまで視界が広がっていった学者であ。世界中の文明の運転の仕方を比較し、日本文明の未来を展望した。

その梅棹は比較はしたが宗旨替えはしなかったのだが、小山宙丸は「ミイラ取りがミイラになる」という言葉があるが、日本から出発して西洋から発した「聖書」に魅入られて世界宗教に宗旨替えをしたのだろうか。この点はいずれ調べたい。