ギリー倶楽部のZOOMセミナー「note」に参加ーーヒントあり。

9時:近藤秘書と電話打ち合わせ。全集3巻見本9月3日。4巻の進め方。日誌2020年。

9時半:整体(立川)

14時:電話で矢口さんと図解塾運営の打ち合わせ。

15時:ZOOM。大学経営がテーマの「つねちゃんバンド」結成。インタビュー開始。

16時半:電話でマグネットの岩沢さんと情報交換。ストアーズ。知研。HP。

19時半:デジタルメディア研究所のZOOM会議。

20時:ギリー倶楽部のZOOMセミナー「note」に参加。講師は広報の金子智美さん。

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  • 説明:加藤貞顕社長。2011年創業。7年経った。会員は380万人。記事は1500万。この1年で会員は1.8倍、記事は2倍というペース。やさしい、静か、平和(広告なし、ランキング無し)。レコメンド(好き)。注目記事。プロフィールが重要。noteを学ぶ。生まれた書籍は90冊以上。シニア世代の事例。ウイスキー(野村輝行)、オリーブ4000年(柳生好彦)。「名言との対話」連続2000日突破のPR。
  • ヒント:私は現在「名言との対話」と「図解塾」を開いているが、以下ヒントをもらった。新しいつながり。ジャンル「読書」。「サークル」の活用(図解コミュニティ・人物記念館)。音声も。アマゾン、ユーチューブなどのなどの埋め込み。イベント100回。

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「名言との対話」8月30日。島桂次NHKは果たして人生をかけるだけの組織だったのか」

島 桂次(しま けいじ、1927年8月30日 - 1996年6月23日)は、第15代NHK会長。

栃木県足利町生まれ。東北大学文学部卒。政治部記者となり池田勇人の総理番記者となり、その後、宏池会を担当。 1973年、ニュースセンター次長となり、報道番組部長として1974年4月『ニュースセンター9時』、1976年4月に『NHK特集』をスタートさせる。1976年、アメリカ総局長、1977年、放送総局主幹、1978年、報道局次長、1980年、報道局長兼放送総局副総局長などを経て、1982年理事、1980年専務理事、1988年副会長、1989年4月にNHK会長に就任。

 この人は「NHKに島あり」と言われたやり手であり、「シマゲジ」という悪名で知られていた。島桂次シマゲジ風雲録 放送と権力・40年』(文芸春秋)を読んだ。オビには「皆さまのNHKは政治家、官僚の蝕まれた伏魔殿である」という刺激的な言葉が並んでいる。

島によれば、テレビ報道の歴史は、そのまま権力との闘いの歴史であった。一番問題なのが、政治家が公共放送であるNHKを通じてニュースや世論をコントロールしようとすることだ。直接的介入の舞台となるのが国会でのNHK予算承認である。NHKを国営放送だと勘違いしている人たちとの闘いはすさまじいものがある。

 政治家、官僚との闘い、特に田中角栄経世会との確執、そして直接の介入を辞さない中曽根康弘らとの激しいやりとりのなかで、いつか「シマゲジ」と呼ばれるようになる。それは 仕掛け人説、悪人説をあらわす妖怪的な存在であることを示す言葉である。「歴代会長の中で政府与党から最も疎まれた存在だった」という回顧は、NHKのために体をはって仕事をしたということだろう。
では、島桂次のNHK改革路線「島路線」とは、いかなるものであったか。

「私が考えるジャーナリズムの基本は、反権力とまではいわないが、やはり国民の側に立って政治権力をウオッチする、監視するという役割にあると思う」。この考え方を前提として、NHKの体質の改善が必要だと考える。一番の関門は、値上げ問題であり、予算承認である。そのための粉飾予算、万年赤字、受信料値上げ、の悪循環を断ち切らなければならない。それには独自に金を稼げば良い。関連会社、団体の設立、分社化である。現在のNHKはこの方向感に沿っているように思う。

将来はハイビジョン日を目指すという巨大化路線に島は反対する。解体分割を辞さない決意で、地上波、衛星放送、ラジオ電波のいくつかを整理すべきという。地上波2、衛星1、ラジオ3程度に縮小する。少なくとも衛星放送の1つは返上すべきであり、余った予算と人材はコマーシャルベースに乗らない分野の充実に振り向ける。もし公共放送にこだわるなら受信料収入に見合う範囲で独自路線を歩むべきだ、と語っている。この点も選択の問題だが、納得できる二つの方向だ。

そのために、能力のある人間をどんどん登用した。磯村正徳、和田勉吉田直哉など。要するにマスコミのいう「島路線」とは親方日の丸体質から脱したNHKの自立である。受信料収入だけに頼っていては真に自立した公共放送はありえないという路線だ。

「公共放送が権力に負け報道を曲げたら、その存在意義はなくなってしまう。国民のNHK離れが進むことも自明の理だ。そうなれば、NHKの存立基盤の受信料制度さえいるがしかないことになる」。この点は今なお解決できずに宿題としてNHKののしかかっているようにみえる。

この本の最後には、「NHKは果たして人生をかけるだけの組織だったのか」と述べているのは印象的だ。10数年間、血と汗を流し全力を投じた日々、最後は会長まで引き受けたことは、生涯最大の悔いとなったと書いている。「親方日の丸」の組織の難しさは、同じく長く半官半民であったJALも同様であったから、島桂次の憤懣は私も理解できるところがある。

島桂次という傑物は「島メディアネットワーク」を設立し、徒手空拳で日本のジャーナリズムを世界水準に押し上げるために、インターネットのフロンティアに挑戦しようとしていた。この本の発刊は1995年2月25日であるから、それから1年も経たずに68歳で永眠している。この本は生涯を賭けた、日本のジャーナリズムとNHKへの聞くべき遺言である。