大学院の論文基礎講座で「必ず書ける! 修士論文の書き方」を講義

夜は大学院の論文基礎講座で「必ず書ける! 修士論文の書き方」というテーマで講義をしました。ZOOMで受講者は40数名。以下、その後もらった感想。

  • 久恒先生、今日は素晴らしい講義をありがとうございました。短い時間ではありましたが、先生のお教えには大変感銘を受けました。自らの、論文=文章の書き方という狭い認識を気づかされました。また、今回の講義は論文に留まることなく、抽象的な概念の具現化、共有についても大変有意義であるものと感じました。早速先生の著作も5冊ほど注文させていただきました。稚拙ながらも先生のご講義を図解させていただきました。今後ともご指導を賜れますようお願い申し上げます。
  • 昨日の「論文基礎講座」では、新しい認識を体感した講義でした。「図」を使って関係性を考える事は、様々な業務の場で活用してきましたが、その根本にある「文章は人によって受け取り方が異なる」や、「良書の解析」から不足分をどう補う?などのベースに立った「図解」という事を初めて認識し、改めて図を用いることの有用性を理解しました。今後ともご指導いただきますようお願いいたします。
  • 今日は大変ためになる講座をありがとうございました。以下、ごく簡単ですが感想です。図解してお送りしたいところですが、まだ十分に理解できていないこともあり、箇条書きで失礼します。・これまでインプットしたものの図解、つまり図解することで得た情報の理解が深まり、頭の整理ができることは知ってはいたが、アウトプット、つまり論文を書く際の構成にも使えるというのは発見だった。今後積極的に使っていきたい。・短い時間だったが、まず図解することで実際に文章が書きやすくなることを体験できたので、有用性がよく分かった。・ただ、図解をどう作っていくかは90分の講座では十分に理解できなかった。本来は春学期を通して学ぶ内容だと思うので当然だと思う。・マインドマップやロジックツリーなど他の図解手法との違いについて、簡単に解説していただいたが、もう少し詳しく知りたかったと思う。
  • 本日の講義ありがとうございました。文章とは設計図である。私が理解した今回の内容を設計図にしました。文章には、設計図が必要でその骨組みと成る構造と関係性を示す必要がある。それにより全体像把握することができ、読み手に伝わる内容と成る。箇条書きや文体などといった、手法に頼る事ではなく目に見える図と言うものを使って文章を構成し作成する必要が論文作成には基本と成る。その様に受け取りました。 質問です。関係性について矢印だけであると関係性の表顔が困難でした。一方たくさんの種類の記号を使うと煩雑な図になるのではないかと考えています。例えば対立する場合などは×をつかうなど何か先生が使っているような記号があれば教えていただきたいです。本日はありがとうございました。以上です。スケジュールが合えば来年インサイトコミュニケーションを受講してみたいと思います。
  • 本日は本質的なお話をして頂きありがとうございました。目から鱗で、1時間半があっという間でした。特に印象に残ったことを3つ挙げます。1つ目は「中身がないから書けない」ことです。これは身につまされます。中身がないと企画書は見てもらえず論文も同じだと認識致しました。2つ目は「全体の構造と部分との関係」です。まず全体を見て、見えたら問題のありかまでさっと降りていく。そんな鳥の目を持って挑んでいきたいと思いました。3つ目は「文章は書いた通りに人は理解しない」ことです。住宅選びの演習で実感し、そこには自分の癖があることに気づきました。ただそれが価値観でありオリジナルなのだとも思った次第です。読み手の腑に落ちる、中身がある論文を書こうと思います。今後ともご指導頂ければ幸甚です。
  • 本日の論文講座、ありがとうございました。3日間、それぞれの先生の特色あるお話が聞けてとても参考になりました。久恒先生のパート、「構造」と「関係」を明確に理解するために図を用いるというのは、是非普段のビジネスの中でもやってみたいと思いました。また、私は修士論文の前に、インターゼミのゼミ論でも苦戦しており、元々立てた仮設に対し、インタビューから得た答えがまったく的外れというような状況に陥っています。まずは図を書いて頭の整理をして、設計図を作成してみようと思います。どうもありがとうございました。また、授業でもお会いできましたら、よろしくお願いします。
  • 本日は論文基礎講座のなかで図解について講義いただき、ありがとうございました。久しぶりに図解コミュニケーションのお話を聞くことができ、図解の重要性を再認識いたしました。授業で学んだことは忘れずに図解は日々意識しております。論文作成においても引き続き図解を意識し、読み手に伝わる文章と論文を作成していければと考えております。本日はありがとうございました。
  • ひさびさに久恒先生の「箇条書きはダメ」をお聞きしました。だいぶ慣れたつもりでも気を抜くと(意識しないと)字ばっかりになっています。ただ論文については、ただいま図解にて鋭意設計中です。見ていただいてダメ出しをいただきたいと思っています。今日もありがとうございました。
  • お世話になっております。本日は論文基礎講座にてありがとうございました。また、前期では講義を受けさせていただきありがとうございました。論文を書くための図解の方法をお聴きして、図解の大切さにあらためて気付かされました。論文はメッセージを決めること、文章は建築物であり、構造や関係性がわかるような設計図を描くことが重要であること。また、図解があることでわかりやすい説明ができることは以前学びましたが、本日行った演習のように、図解から文章を書くと肉付けもしやすくスラスラと書けることにも驚きました。今日お聴きしたことを元に、自身の論文内容の設計図を描いて、文章を書いていきたいと思います。行き詰まってしまった際はぜひご相談に乗っていただけると幸いです。今後とも宜しくお願いします。
  • 図で表してから文章にするということを初めて知ったので、とても勉強になり,面白かったです。普段、仕事を行うときも図に表して説明すること、フローにすることがありましたが、長い文章を作成する時にも設計図があると無いとでは全然違うのだと感じました。私は、設計図がある方が、さらにアイデアが出る気がしてきました。しかし、設計図を作成するということ自体難しいのだとも感じました。まずはたくさん作成してみます。貴重な講義ありがとうございました。
  • 本日の論文基礎講座ありがとうございました。気付いたことを図でお送り致します。

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午後。

西武池袋線の中村橋の練馬区立美術館の『まるごと 馬場のぼる』展。

・目黒の林屋茶店で橘川さんとミーティング。会うたびにいつも新しい展開がある。

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「名言との対話」9月9日。小中陽太郎「ことばのシュートでなくアシストパスが会話の美技」

小中 陽太郎(こなか ようたろう、1934年9月9日 - )は日本の作家、評論家、翻訳家。
神戸生まれ。幼児は上海で過ごす。東大仏文科で渡辺一雄に師事。1958年にNHKに入局しディレクターとなる。1964年退職し、ルポやコラムなどを執筆。1956年には小田実らと「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)を結成。1983年、フルブライト交換教授としてウエスバージニア大学などで客員教授。帰国後、中部大学教授などをつとめる。日本ペンクラブ専務理事、マスコミ九条の会の呼びかけ人。

小中陽太郎先生とは、私を育ててもらった知的生産の技術研究会の縁で親しくさせてもらっている。本日は小中先生の著書をひも解きながら人物を語ってみたい。
2014年の日本作家クラブ主催の小中陽太郎先生の『翔べよ!源内』(平原社)が第一回野村胡堂文学賞を受賞した。その受賞パーティに出席した。「子供の頃は、鞍馬天狗銭形平次ロビンソン・クルーソーが愛読書。源内は戯作に憂さ晴らした。神田明神銭形平次の碑がある。胡堂は19歳で新渡戸稲造から受洗したクリスチャン」が挨拶だった。この本は異能の持ち主の波乱の人生と彼を取り巻く個性豊かな人々、そして江戸の田沼時代の空気を買いた書だ平賀源内(1728年生れ)という異能の持ち主の波乱の人生と彼を取り巻く個性豊かな人々、そして江戸の田沼時代の空気がよくわかる傑作だ。讃州高松藩の最下級の武士の家に生まれた源内は、本草学・薬草に深い関心を持つ藩主と親しくなるが、広い世界を見たいと暇をもらおうとする。藩主の答えは自由は与えるが、他に就職してはならないという「仕官御構い」の宣告を受ける。著者は若い頃にNHKから脱藩した経歴を持っており、市民運動、執筆、などの仕事で世の中を渡る人物だが、この源内の人生に関心を寄せている。歴史の中に自らのモデルを求めるといういことだろう。この本を読みながら、小中は源内そのものだと何度も思った。源内という人物を表す言葉。才気の人。諧謔の人。。千里の駒。戯作者。須原市兵衛。夢見人。起業家。天才。奇才。、、。ネットワーカー源内を取り巻く同時代の人々。この源内にして、最晩年の鬱屈があった。翔べなかった己を愧じた言葉がある。「ああ、吾、あやまてり。あたら小才と奇智におぼれ、お江戸の風に浮かれだこ」だ。

小中陽太郎「上海物語 あるいはゾルゲ少年探偵団」(未知谷)。著者は「少年の夢と老人の幻」を書いた。1930年代から始まる時代と、21世紀の現在を自由に往復しながら、「ゾルゲ事件」を題材に自由で奔放で真面目で複雑な、そして魅力的な物語を紡いでいく。再会と別離の織りなす運命。20世紀の少年から、作家と平和運動の葛藤とペンクラブ、そして21世紀の奇妙な現実と向き合う老人の視界。小中陽太郎の自伝的ハイパー・スパイ小説だ。

珍しいテーマがある。小中陽太郎「いい話グセで人生は一変する」(青萌堂)がそれである。全編を一気に読んで、小中先生のまわりに多くの人が集まることに大いに納得した。偶然に出会った人と縁を結び、その糸を大事につなぎ、大きな絵姿に織り込んでいく、その秘訣が語られている本だ。まさに人間関係の名手による名著である。キリスト教の聖書理解を土台とした深い知識、国連の事務総長の英訳・セクレタリージェネラルは全体の秘書役であるという解説などの豊富な知識、東西の古の偉人のエピソード、そして同時代の井上ひさし田原総一郎久米宏など親しい著名人との交友を通じた観察など、そのディテールが主張に納得感を添えている。

人間関係をスムーズなものにするのは座持ちの技術である、というのがこの本の全体を通底する思想である。好意を持って相手を立てる、適度なあいの手を入れる、言い足りない点を補足させるような質問をする、観察力をもとにしたユーモアの推奨、コーディネーター論、サッカーのミッドフィルダーにような司令塔、というように会話にあたっての膝を打つようなアドバイスに溢れているので、大変に参考になる。特に若い人には役に立つだろう。

この本のもっとも大切なところは、会話術のディテールもさることながら、常に全体の場を見ながら自分の役割を考えよ、というところだろう。言語と言語以外のコミュニケーション手段を用いて、場全体に奉仕せよ、主役の座を降りプレイヤーをアシストする、場を支配するのではなく団結が深まるように振る舞え。そういったことを身に付けるると大きな報酬をもらえる。それは、友情と尊敬と愛である。
これは単なる座持ちの思想ではない。民主主義という思想はこういった考えのもとに運用されなければ、なかなか果実を得ることはできないのではないか。これはある種のリーダーシップについての本ではないか。こういった民主主義の作法は著者が永年関わってきた市民運動を通じて得た運動論についての叡智だろう。

一つのことがらについて賛否さまざまの主張があるが、普遍の真実という論争は不毛のように思う。それを主張する人の性格が内容に大いに影響をしているのではないだろうか。小中陽太郎先生自身も自分には「たいこもち」の性格が少しあると言っているように、この本の考えは、そういった性格の人にふさわしい主張があるように思うが、違う性格であっても大いに参考になる。

現在の日本は、合意の形成に手間取っているようにみえる。あらゆる組織や団体、運動でも内外の関係者との合意形成が難事である。社会的合意形成の理論と技術が未熟なために、社会のあちらこちらで混乱が起こっている。私自身は、定性情報と図解思考と顧客視点という武器で、社会的合意形成というテーマに挑んできたので、小中先生の「話グセ」という視点は小さいようで、実は社会変革の実践に於いて重要なポイントであることがわかる。全体と部分、鳥の目と虫の目、説得ではなく納得、みんなを巻き込んでいく、関係を大事にする、、、こういったことを、私の「図解コミュニケーション」では大事にしているのだが、小中先生のこの本の考えには大いに共感を覚える。

小中陽太郎先生の出版記念の会に呼ばれたことがある。江戸川橋の小さなスナックを借り切って行われた会には、芸能界、市民活動家、政治家、メディアなど様々な団体や業界の人が入り乱れて坩堝(るつぼ)の如く、怪しいが親しみの湧く、ゆるいが愉しい雰囲気であった。この会で、小田実とも知り合い大阪の勉強会で司会をしたり、その前後にコーヒーを飲みながら、持論となりつつあった「図解」の話をしたこともある。盟友であった小田実については「この男には世界大の題材を摑み取るエネルギーとマイノリティにこだわる人生観の両面があった」と著書で語っている。

小中陽太郎という名前を初めて聞いたのは、大学生の頃だったと思う。ベトナム戦争が時代に大きな影を落としていた時期に、小田実と一緒に戦争反対の運動を巻き起こしたベ平連ベトナムに平和を!市民連合)を率いていた颯爽たるリーダーだった。NHKのディレクターだった若き小中は、番組制作の過程で組織との軋轢を産み、組織から離れて市民運動の中に飛び込んでいく。
さて、小中先生は一口で何と説明したらいいいのだろうか。「作家、評論家、日本ペンクラブ理事」という肩書が本に載っているが、何か物足りない。この独特の存在感をどう表現すべきだろうか。

30代に入った頃、「知研」で著名人の書斎を訪ねる企画をつくることになり、小中先生の自宅の書斎を訪ねた。その後、私たちの会に何度も講師として来ていただいた。小中先生と会うと、いつも春風に吹かれているような感じを受ける。年齢の違う私たちにも暖かい関心を寄せて丁寧に接していただけるし、幅広い教養と人をそらさない会話と態度などまさに人間関係の達人である。自由で明るくそして闊達な空気の中で、立場や年齢を超えて、小中先生を台風の目にして友人関係が広がっていく。「春風秋霜」という言葉を思い出した。

小中陽太郎先生の言葉からは、「ことばのシュートでなくアシストパスが会話の美技」を採ることにした。心したい名言だ。先生は、本日で87歳。万年青年の気概で人生100年時代のモデルになっていただきたいものだ。