『図解コミュニケーション全集』第3巻「実践編」を刊行。

久恒啓一 図解コミュニエーション全集』第3巻「実践編」を刊行しました。

『図解コミュニケーション全集』第3巻「実践編」では、「図解コミュニケーション」を構成する「よむ・考える・かく」にかかわる著書4冊を中心に収録。


Ⅰ「図でよむ」では、『図解で読み解く! ドラッカー理論』(かんき出版)を取り上げました。「マネジメントの発明者」と呼ばれるP・ドラッカーの著作にはビジネスのヒントがたくさん詰まっています。しかしドラッカーの著書を読みこなすのは難しいものがあります。ドラッカーの全仕事を図解しながら解説する、格好の入門書となっています。「図でよむ」ことの威力を示します。


Ⅱ「図で考える」では、2冊を取り上げます。

『「図で考える」ことができる人・できない人』(PHP研究所)。自分の頭で考えて行動し、周りの人を動かし結果を出して評価される。これは誰もが納得する、仕事がうまくいっている人の必要条件でしょう。図を描くことで、頭がフル回転し頭が汗をかく。それは自力で考えているからです。すぐに使えて、どこからでも読めて、仕事に活かせるトレーニング本、「図で考える」ことができるようになる本です。


『仕事力を高める方法は図がすべて教えてくれる!』(PHP研究所)では、自分自身の仕事を「図解」する過程で、自分で「考える」ことができるようになり、仕事のレベルが飛躍的に向上することを具体的な事例を駆使しながら示しています。


Ⅲ「図でかく」では、『図で考えれば文章がうまくなる』(PHP研究所)を取り上げました。学生のレポート、社会人のビジネス文書など、「書く」ことは多くの人にとって一生ついて回る課題です。「文章」を書くという行為には、「文体」と「内容」の二つの問題があります。文章読本の名著の多くは、「文体」、つまり「書き方のルール」に注力していました。肝心の「内容」をどうつくるかについては触れていないのです。「内容」を図解でまとめて、それを文章で表現する。それを「図解文章法」と名付けました。

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・インタビューのまとめ。

・1万歩。

・徳岡孝夫・土井荘平『百歳以前』(文春新書)を読了。91歳の同級生の共著。」「百歳以前をどう生きるかだよ、これからの課題は」というかつての名コラミストは、目が悪く字を読めない。電話での会話を相棒が録音し、書き起こし、それを聞かせて、次を喋ってもらう。二人三脚でできあがった本だ。90歳を越えた男が90歳以上の日常を書いた本。

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「名言との対話」9月23日。砂子義一「ドライバーによって車の性能が変わる」

砂子義一(すなこ よしかず、1932年9月23日 - 2020年1月3日)は、レーシングライダーレーシングドライバー

ヤマハ発動機の工員時代にバイクのスピード競争で勝ち、それがヤマハレーシングチーム監督の耳に入り、プロのライダーとして誘われる。レーシングライダーは2輪バイクのレーサーで、生身で活動するのでケガが多い。1951年の「富士登山レース」250ccクラスで初出場し優勝し注目を集めた。ヤマハワークスライダーとして世界GPレースなどで活躍する。

引き抜かれてプリンス自動車のワークスドライバーとなる。自動車レースのドライバーに転身し、4輪レーシングドライバーとなり、プリンス自動車のエースにのしあがる。

プリンスが日産自動車と合併した後は、歴代のレーシングカーで勝利を積み重ねた。日産ワークスドライバーとして活躍した。

ひとつしかない命を賭けるレーシングドライバーは、世界の頂点を極めればモナコに豪邸が立つといわれる。自分のヘルメットカラーと同色のプライベートジェットでパリでもマイアミでもコート・ダジュールでも巡ることができるという職業だ。

砂子義一は「レースで勝って、(賞金で)外国行って、お姉ちゃんと遊ぶ。コレ、若さの秘訣!」とジョークで周囲を笑わせていた。

晩年の映像をみると、皮の黒の上下を着こみ、トレードマークの大きなロシア帽に白ふちのサングラス姿が多い。ロシア帽をかぶった華やかな石原裕次郎が、寅さんのようなべらんめえ調で啖呵を切っているようだとの評価もある。豪放磊落で女好きなことは誰もが知っているようだ。かくしゃくとしてユーモアあふれる語り口で、2輪車時代のライバルで、4輪車時代の仲間とのトークは笑いにあふれていた。

87歳で亡くなる。2020年の日産本社ギャラリーの追悼展では、1966年代3回日本グランプリの車、1964年第2回日本グランプリスカイラインGT(S54A-1型)、1964年日本グランプリで使ったプリンスグロリアスーパー6などが展示されていた。

「智彦がレーサーになろうとして、オーディションに受かったって、電話をくれたときに、俺がやってきたことをダメだとはいえなかったね」。息子の砂子智彦も有名なレーシングドライバーになっている。

最晩年のイベントで、スカイラインが「ドライバーによって車の性能が変わる」とオーストラリア人から言われたと喜んでいた。それほどのテクニシャンだった。

スピードに命をかける男たちの職業がレーシングドライバーだ。日本のモータースポーツ黎明期に、トップレーサーとして国内外で暴れまわった。その日本の黎明期の牽引者がレジェンド・砂子義一である。